第2話 六月の花嫁、朱い絆を結ぶ

 どういうわけか自分の元いた世界から別の世界へ送られたらしい。

「神送り」とはまさにその名の通りだったのだろうか――という所まで、咲夜は自分の中で半ば強引に納得する事にした。しかし村にいた頃、雨季の骸の処理は大変である──と六月に嘆く大人たちの愚痴を耳にした事がある。

 つまりそこには生贄の骸が横たわっているということだ。もう一つ不思議な事は、神送りは毎年行われているはずなのに、翁は久方ぶりに寄越されたと言っていた。


(誰でも来られるわけではない⋯⋯?)


 こんな非現実的な出来事に冷静に推論を立てるなど馬鹿馬鹿しい話と思われるかもしれない。しかし元々咲夜の半生は自分の能力も含めて非現実的なことの連続だった。

 むしろ咲夜にとってはこれが現実なのだ。


「此処よ」

「⋯⋯お屋敷?」


 幾つも並ぶ豪華絢爛な建物の間の石畳を、杏朱は提燈一つで照らしながらすいすいと歩いていく。やはり外にも咲夜の見たことのない景観が続いている。

 小さな村出身のせいといえばそうかもしれないが、建造物に施される装飾などからしてまるっきり違っているのだ。

 そうして辿り着いた屋敷は、先ほどから見てきた建物とは少し違いずいぶん離れた場所にある。小高い丘は何処とも群れをなさず、こじんまりとしていて他の屋敷より年季が入っていた。庭もあるようだが何も植わっておらず、なんとも寂れた感じのする建物だ。


「今日から此処が貴女の住む屋敷」


 自分の住む家というものが与えられる状況に、咲夜はますます困惑した。自分は生贄で、人から疎まれる存在として生きてきたというのに、突然このような歓待──と呼ぶには白麗も困った様子ではあったのだが、とにかくこんな親切を受ける資格だなんてと咲夜は首を横に振る。

 何せ咲夜はその身一つ。差し出せる対価は何もないのだ。


「い、いけません!このような。私には身に余ります。天女様達にこんなに施しを受けては、元いた村にも恵みが齎されなくなってしまう」


 そう言うと杏朱は「天女様?」と鸚鵡返しをし、しばらくきょとんとした顔をしていたが腹から声を出して笑った。

 先ほどまでの重たい空気は、杏朱の大笑いで見事消し飛んでいった。目元に涙を溜めながら、杏朱は笑いを噛み殺しながら咲夜を見る。


「あ、あの」

「貴女は異界より寄越された稀人。決して無碍には出来ない存在。それと此処に天女はいない。此処は龍族が統べる屋敷」


 簡潔に説明をされたが、やはり聞きなれない単語が多い。明確にわかるのは見目麗しいあの青年やこの女性が天女の類では無いということだけだった。いまいち飲み込めていないという事は杏朱にも咲夜の表情でわかったので、どう説明したものかと杏朱は逡巡する。


「早い話、貴女は古くから続く龍族の総領が治める「禁苑」。一国の主ではないから違うけれど、後宮に入ったというところかしら」

「高級⋯⋯?」


 確かに誰も彼も、何処もかしこも高価そうではあるがと咲夜はおろおろする。


「そこは女達そして総領しか入る事の許されない場所。住んでいるのはみぃんな女。そして総領に見染められれば誰もが機会のある場所。女達は此処では「花」と呼ばれ、花に仕えるものは「芽」と呼ばれているわ」


 後宮という言葉は咲夜には耳馴染みのない言葉だ。

 ただ前後の文脈から、いわゆる大奥のような所に来たらしいということだけは漸く理解できた。要するに殿様が白麗で、彼がいずれ愛でる花と呼ばれる女性達がいる区画──それが「禁苑」と呼ばれる場所で恐らく歩いて来た道のりにあった建物も花達が住まう屋敷なのだろう。

 そしてあろうことか、極貧に喘ぎ異能を気味悪がられ生贄とされた自分がその仲間入りをしたと杏朱は言っている。


「貴女の世界でいう神送りは我々にとっても貴重なものなの。何せ稀人が訪れるのは百年に一度あるかないかですもの」

「そ、そうなのですか。私の村では毎年行われていますが」

「まぁ、そうなの?それは初耳ね。では此処へ来られる者はほんの一握りということかしら」


 杏朱は楽しそうに咲夜に告げる。咲夜が推察したとおり、この彼岸は誰でも来られる場所ではないらしい。

 龍族と言ったが、咲夜が知るような天翔ける龍の姿を取るものは何処にもいない。何かの方便なのか、もっと知られざる何かがこの一族にはあるのか。わからないことだらけで困り果てた咲夜の手を杏朱が包む。その仕草も実に美しく可憐なのだが、手を掴まれたことで咄嗟に咲夜は後ろに飛び退いた。

 濫りに誰彼構わず思考や感覚を読み取りたくはない。少なからず目の前の女性は、自分に親切にしてくれる人なのだと咲夜は必死だった。


「あ、ご、ごめんなさい。びっくりしてしまって」

「いいえ。私こそ急に触れてしまって軽率だったわ。一族の者も貴女に何の説明もなく手荒に縄で縛って連れてきたんですものね。とにかくそんな襤褸を着ていては折角の花の顔が泣いてしまうわ。湯浴みをして、しっかり休息をとりましょう」


 まるで母が子に言い聞かせるような優しい声色。警戒しなくていいというように表してくれるゆっくりとしたその口調は、何処か先ほどの白麗という青年に似ていた。   

 咲夜は自然と頷き、彼女と共に月華園と呼ばれる屋敷の門を潜る。


(これからどうなるんだろう)


 先のことは誰にもわからない。

 ただ不思議と咲夜の胸の中にある戸惑いや不安は、次第に薄らいでいた。



 月華園は古びた屋敷だが、どこか温かみのある場所だった。

 前の住人も恐らく「花」なのだろうが、調度品は華美過ぎずどれも大切に扱われていたのか傷ひとつなかった。長らく無人のようでなんとも言いようのない重く冷たい空気が漂うものの、掃除はされているようだった。

 此処へ来た理由としては、杏朱曰く「手ぶらで来たのだもの。物があるところの方が都合がいいと総領も思ったのでしょう」とのことだ。

 普通は輿入れよろしく嫁入り道具を持って来て、花の好みに合わせて屋敷の内外を作り変えていくらしい。


「書物がこんなにたくさん!ここの女性達は皆読み書きを?」

「花は大体そうね。芽の中には読めない娘もいるけれど」


 そうか、ここが大奥のようなところであれば識字もまた教養の一つとして当たり前かと咲夜は目を輝かせる。咲夜の村では殆どの女子どもが読み書きが出来なかった。  

 様々な本があるが、どれも一つの言語ではないようで以前の住人はよほど博識だったようだ。ふいに本棚の柱に刻まれたいくつもの傷に目がいく。その傷を咲夜はそっと指でなぞる。


「──⋯⋯丈比べ?」

「あら、貴女の国でもそんなことするの?」

「母が生きていた頃にしていました。ずいぶん小さい時だったもので、すぐに終わってしまったけれど」


 遠い遠い記憶。母だけは咲夜の味方だったが、弟を産んですぐに天へ還ってしまった。男児が欲しかった父は弟の誕生を喜び、余計に異能を持つ咲夜を遠ざけた。

 異能のことを除けば、何もかもよくある話だ。咲夜は昔を懐かしみながら柱を撫でた。ここの花は見事芽吹き、新しい命を育んだということだろう。仲睦まじく丈を比べ合う母子がいた事に咲夜は素直に微笑ましく思った。


(でも、じゃあその二人はどこに?)


 ふとそんな考えが頭をよぎったが、今は何も考えないことにした。咲夜は杏朱の方を振り返って一礼する。


「何から何までありがとうございます。あの、貴女も此処の、えっと、総領の」

「私?私は禁苑に属するけれど花じゃあないわ」

「えっ、じゃあお仕えする側の方なのですか?そんなにお綺麗なのに⋯⋯」


 いやしかし白麗も綺麗な人だった。此処での高嶺の花ともなると、想像もつかない程とびきり美しいに違いない。

 目の前にいる杏朱も象牙のような肌に、赤みがかった銀髪、ぱちりとした朱色の瞳に、すらりとした体躯。胸元が空いた服装というのが少し目のやり場に困ってしまうが、上衣の肩から羽織られた天の羽衣のような薄布の衣は杏朱によく似合う。


(それこそ龍宮城にまつわる昔話があったっけ。この人やあの総領と呼ばれる人は、あの物語でいうところの乙姫様とかそういう類なのかも)


 咲夜がそんな事を思っているのを他所に、杏朱は「お仕え」とまた鸚鵡返しをしてからくすくすと笑い出す。どうにも咲夜の言動は杏朱の何かをくすぐるらしい。

 笑っていたかと思えば今度は揖礼をし、咲夜の前に跪く。


「然様でございます。これまでのご無礼どうぞお許しくださいませ。私こそ、咲夜様にお仕えいたします芽の杏朱に御座います。どうぞなんなりとお申し付けくださいませ」

「え、ええっ!?いえ、そんな、その、か、顔を上げてください」

「うふふ。申し訳ございません。初めて花にお仕えし、それも稀人のお方と聞き、つい色々試したくなってしまいまして。さ、夜も遅いですから今日は休みましょう。寝床へ案内いたしますよ」


 こんなにも親切にされて良いのだろうかと咲夜は戸惑いながらも、杏朱の後ろを歩く。

 良いのだろうか。のうのうと生きていて。自分の運命は、物語は、十六までと定められていたのではないのだろうか。

 そうは思っても、間違っても自らの手で命を断とうなどとは勿論思えなかった。


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