Bloody Kitchenknife

《🔪》


「来たのかよ」

 木々の間からよろめき出てきた影。――フラフラじゃねぇか。服もズタズタ、身体もズタズタ。膝が笑ってる。きっと、立ってるだけでもやっとなんだろう。そりゃそうだ、どうせ、発作が収まった後にオレがいないことに気付いて、ここまですっ飛んで来たんだろ。今にもバラバラになりそうな身体に鞭打って。

「当たり前でしょう。どうして急にあんなこと言うんですか、『お別れだ』だなんて」

「それ見たんだったら来んなよ」

「馬鹿なことを言わないでください。納得できる訳ないでしょう」

 オレはヤツに包丁を向けるんだ。こんな刃物、ヤツには1ミリも効かないのに。

「もうオマエと一緒にいたくない。オマエなんて見たくない。それ以外に理由が必要か? どっか行けよ……」

 近付くなよ。そんな血塗れの手を、オレに伸ばすなよ。オマエはその手で一体、何を掴もうとしてるんだ?

「行きませんよ。言ったでしょう、私はずっと貴方の側にいるんだって。今までもそうだったでしょう、貴方が嫌がろうが何だろうが、私は離れなかった。これからもそうです」

 クソッタレ。喉も、声も――砕け散らないように握り締めている刃ですらも、震える。

「貴方に逃げられてしまったら、追いかけるに決まっているでしょう?」

「うるせぇ」

「逃げないで、ダスク」

「うるせぇ!!」

 包丁を突き立てる。ああ、オレは何やってんだ。意味なんてない。刺せば血が出る、それだけだ。いつもオマエはそうやって、口からダラダラ血を零しながら、オレを慰めるように笑うんだ。オレじゃオマエに、痛みなんて与えられないんだ。いつだって傷つくのはオレ。オレの心。壊れるのはオマエの身体。

「ダメだ。もうオマエとは終わりにするんだよ」

「怒らないで、ダスク。何が駄目なんですか。私はどうすればいいんですか」

「だから、どっか行けって言ったろ……ッ!!」

「それは無理ですよ」

 どうしてだ。どうしてオマエはオレから離れてくれないんだ。どうしてそんなに苦しんでまで、オレの側にいようとするんだ。あんなに……あんなに苦しそうな、歪んだ顔してた。狂ったような声で痛がってた。なのにどうして、オマエは何事もなかったかのように笑ってられるんだ?

「何でだよ。苦しいんだろ? ならやめればイイだろ。神の声とかいうやつにさっさと従えばイイだろ。オレは一人だって平気だ。何でオレのためにそこまで苦しむ必要があるんだ? ないじゃんか」

「ありますよ」

 ねぇよ。触るなよ、オレに。そんなにボロボロなのに、オレの抵抗を封じ込めて、オレを抱きすくめるだけの力が、一体どこから湧くっていうんだ?

「そんなことだったんですね」

「ハァ? 何だよ、『そんなこと』って。狂ってんのかよ」

 そうだ。笑ってる、おかしいんだ――

「あのね、ダスク。大切な誰かのためだったら、痛みなんていくらでも耐えられるんですよ。ほら、人間さまにだって、恋人や我が子を庇って、命を投げ出すような人がいるんです。私は別に死ぬ訳じゃないんですから。傷もすぐ治りますし。……それにね、ダスク、いいですか。

 私たちはもう、離れられないんです。離れたら死ぬんですよ。ダスク、


 ――オレが?


「話すつもりなんてありませんでした。でも、貴方がどうしても納得できないと言うのなら話しますよ。

ご存知の通り、私は貴方のことを愛しています。ええ、心からね。でも、私が貴方と一緒にいる理由は、それだけじゃありません。貴方を守るためでもあるんです。

この前、『守護者堕ち』の話をしたでしょう? 守護者堕ちは断罪者によって抹消されます。そして、断罪者の手はこの世界にも及びます。本来、貴方は、とうの昔に見つかって、殺されているはずなんです。

守護者には様々な能力が与えられますが、私に授けられているもののうちの一つに、存在を隠す力があります。私と一緒にいることで、貴方の存在が――断罪者を呼び寄せる守護者堕ちの気が、薄れるんです。

いつかは見つかってしまいます。貴方も私も、殺されます。来たるべきときを少しでも遅らせるために、私がいるんです。

……お分かりですか、ダスク。貴方は私と一緒にいなきゃいけないんです。だって、?」


 待て。待ってくれ、オレは――


「ほら、貴方にそんな顔をさせたくなかったから、今まで黙っていたんです。忘れてください、いつも通りに過ごせばいいんです。私が貴方の『守護者』ですから、当分は心配いりません」


 ああ、オレは、オレは。


「さあ、一緒に帰りましょう、ダスク。ね?」


 ――オレは初めから、オマエなしで生きることなんてできやしなかったんだ。



 《Few minutes later――》


 ――オレだってオマエのことが好きだ。死ぬほど好きだ。だからオマエが壊れて、知らない女の名前しか言わなくなっちまったときも、地下倉庫で、牙を剥き出して、長い爪で自分の胸を掻きむしってるオマエを見たときも、怖くてたまらなかったんだ。オマエがオマエじゃなくなるんじゃないかって、気が狂いそうだった。オレの好きなオマエが、オレを好きでいてくれるオマエが、いなくなるのはイヤだったから。

 一緒にいたいさ。でも、オマエが苦しんでるのを見るのは、ツラいんだ。

 それでもオマエは苦しくなんかないって言う。何てことないって笑う。


 イイのか? オマエの優しさを免罪符にして、オマエに縋って、生きてイイのか? 存在すら許されないオレを、オマエはどこまでも許してくれるけど、本当にそれでイイのか?

 なぁ、ファントム。どうしてオマエは、そんなに優しいんだ――



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