12:*かいじゅー
函館陸軍病院本棟避難階段の下。濃い緑茶、コーヒー、エナジードリンク、スポーツドリンクの自動販売機。ペンキの空き缶に水が入っているだけの灰皿はバルブの外れた水道蛇口に下がっている。官僚的経費削減ポーズは不可解。
ここは屋外”簡易”喫煙所。
「大尉、催促来てますよ」
秘書という役職ではないが、ほぼ女房役として働いている古参の義仲曹長が逸身大尉に向けて、んもぅ、という顔でやって来た。
「あぁん、めんどくせぇ」
規律正しいイケメン少女兵として名高い逸身大尉は素が出ると口が悪い。
「ちょっとあーたん」
「糞座りしながら屁みたいなもん吸ってんのは仕事したくねぇって意味なんだよ」
「あーたんグレないでよ」
「書いてあるから適当にして」
「いや、いやいや!」
「あー死にたい」
「ちょっとぉ」
不死英雄。かつて”Imotal Brave”などと、今思い返せば調子に乗って名乗っていた自称藤波勇子に関する報告書は、本人からの事情聴取が不可能であることを専門医の意見を踏まえて書き上がっている。仕事以上に自身の恥部まで報告するので踏ん切りが難しい。何でお前等おっさん共に汚れた乙女の青春の一部を切り取って見せなければならないのか。
自称ユウコの精神は不安定である。
朝は”ここどこぉ!?”と泣き喚く。
飯時になれば”トコちゃんのごはんじゃないとイヤ”とすねて食べない。
ちょっと正気になれば”お蕎麦が食べたい”の一点張りか般若心経を繰り返し唱える。
常に隙あれば床や壁に頭を打ち付けて自殺を図るので、部屋はクッション詰めで中の綿を掻き出したりしないよう腕も口も使えない拘束具を使用。口が使えなくなってもモゴモゴと何か喋る。
憧れの、若い頃からの心の支えだった偉大な人物が頂点から底辺へ落下した姿は辛い。
次に、長白/白頭山奪還作戦についての報告を再度行えと通達があった。”んな昔のこと覚えてねぇよボケ死ねお前が行けアホ”と報告書に書きたかったが書いていない。
上層部は何らかの情報を逸身大尉から改めて捻り出したがっているが、鍵となるような情報を秘匿していると思われるので減衰した記憶を元にする劣化報告書を書いて仕上げとしている。突っ返される未来が透けて見えるので一層気分が悪かった。出世を喜んでいた10代が憎らしい。
日本海側中心に放射性降下物警報が鳴ったのは耳で聞いて、テレビ報道でも知るところ。地球側の長白/白頭山基地での核爆発と見られるが、情報は朝鮮半島北部で発生した以上の情報は伏せられている。民主政府が作戦のために使ったのか、瀋陽軍残党が報復に使ったのか、それともあの黄色い賢者が核兵器運用を始めたのか、分からない。
渡島大島基地の滝軍閥が関与しているかは断定できない。距離があり過ぎるのが第1である。ただあの谷の川の流域がどこまで広がっているかは不明。地図のほとんどが空白であるため全て推測止まり。
報告書に”これは君の推測ではないかね”と言われた時の返事が面倒臭いので推測を書いていない。普通の人間とはそこまでの信頼関係は無かった。築けそうな人物は大体死んでいる。金恵少佐が出世してくれればと思っても、被曝で余命が短いので期待できない。
煙草の煙と一緒に腰の重りが多少は抜けたところで逸身大尉は立ち上がる。吸い殻をペンキ缶に入れようとした。
「ユウコちゃんを返して!」
逸身分隊24名、ユウコの身柄を保護するために現在陸軍病院に詰めていた。反逆罪疑惑等々以上に、あの不死身の身体と体液で他人の怪我を治すという現代でも宗教指導者にでもなれそうな特殊技能を持っている重要人物を、異界人のみならず他国から防衛しなくてはいけない。科学や黒い賢者の知識で汎用化が成功すれば正に救世主にすらなれる。
いじけて何も出来ないならせめて薬の原料くらいになりやがれ。
魔力、斥力ある刺客が来れば少女隊の出番である。本日の刺客は、あの相撲もどきを少しやることになった渡島大島基地の給養員、日下部四萌だった。どう見ても単騎、車止めドラムが並び、脇に装輪装甲車を置く検問所の前で警備兵相手に用事を告げて堂々としている。
「話してくる。戦闘用意」
「はい!」
優れた少女兵相手に通常火器は意味が無い。警備は一般人の服装で武装していない女の子が正面から来ているということで警報を鳴らせばいいかどうかも迷ってしまっている。警告するにも敷地内に入っているわけではなく、頻繁ではないが車道を自動車が通過、市民が歩道を往来し、ライフルよりボールペンが手に馴染んでいる職員に、仕事上がりに見舞いにきた兵士家族も敷地内を歩いている。射線上に罪無き彼等がいては射撃困難。
平和など忘れ去られた時代だが、何時も敵は問答無用の殺戮魔であった。このような隠れもせず正面突破で聞けない言葉を吐いてくる間抜けで馬鹿正直な謀略知らずの敵などいなかったのだ。
「日下部四萌だな、島からここまで来て何のようだ!」
逸身大尉が出る。話し合いで矛が収まれば良し。警備兵が知り合い同士か、と一瞬安堵。
「ユウコちゃんを返して!」
「場所を間違えていないか」
「黒ちゃん言ってたもん!」
あれは敵か味方か。
「見当違いだ。金恵少佐を呼ぶ、大人しくしていろ」
「嘘吐き」
基地を案内してくれていた時のような愛想は無く、そして怒鳴っていた時の険しい顔も無くなった。
「ア……」
――耳をつんざく奇声絶叫から、絞りつくした声が消えて大股、脚を振り上げ180越えて190度、路面を踏みつける。
足形から蜂の巣粉砕、電柱曲がり、フェンス支柱浮き、電灯落下、扉歪み、壁に亀裂、ガラスが割れる、劣化金属溶接面破断、水道管亀裂漏水、自動車の防犯アラーム、非常灯点灯、公衆、固定、携帯電話に非通知着信、変電器からスパーク。入っていた電源が切れ、切れた電源が入る。警備犬逃走、鳥が飛ぶ、人の悲鳴。遅れて救急、消防、空襲サイレン。轟音が空から煽り返る。
地震、台風に核爆発さえ慣れてしまった兵士達が、腰を抜かして震えてライフルも構えられない。責任ある警備の指揮官も頭を抱えてうずくまる。一般人など動けないはマシな方で失神。通行車両は道を反れて衝突。誰もが周囲を見失う。携帯電話が警報を空しく鳴らす。
[地震です。地震です]
単純な音と振動ではなく明らかな魔力。歴戦の義仲曹長ですら持ってきたボルトガンを抱えたまま、女の子座りで腰抜かして「あーだん! あーだん!」と頼れる者を求めて泣き喚くだけ。
ここで冷静なのは逸身大尉1人。世界屈指の歴戦、練った魔力が精神浸食を防いだ。
「それは相撲のつもりか」
大きな音と迫力で戦いを回避しようとするのは動物の知恵。その隙に逸身大尉はボルトガンを手にする。
「脅かしてどうする」
化物の生け捕りなどありえず、逸身大尉井は魔力込めた20mm劣化ウランボルトを射出。ヨモは猫だまし、拍手1発で手も触れず弾いて、ボルトは回って明後日へ飛ぶ。
「なんだそれ」
ヨモが「アッ!」と踏み足1発、地面をせり上げ装甲車を曲げて跳ね上げ玩具みたいに転がす。検問所にフェンス、自動車、道路標識薙ぎ潰し、露出する水道管断面からの噴水が傾ぐ並木を優に超える。
「か、かいじゅー」
走って病院内へ逃げた。戦えず抗えないのなら、目的を失敗させる。
義仲曹長を担ぎ、歪んだ玄関自動ドアはやや動いて開かず、蹴り足で破って突入。
「逸身分隊、応答せよ」
無線応答無し。分隊の目的は偽ユウコの警護、脱走阻止である。この状況なら逸身大尉が彼女を担いでどこかへ走って逃げれば良い、はずである。正面から叩けないなら相応の手段があった。
院内負傷者多数、割れたガラスが降り注いで血塗れ、階段から転倒落下、その場で失神脳震盪。無傷でもうずくまって動けない。蛍光灯が脱落して割れて暗い。机から引き出しが半開き、棚が開き、書類に筆記用具が散乱。テレビ、電光掲示板、絵画が額縁ごと落下、ヒビが入る。消火器が噴射して消火剤散乱、煙幕を張る。スプリンクラー作動、水浸し。医療機器電源入り、消え、警告音、ショート。廊下と壁に亀裂、天井板外れ、配線が一部露出。水道管から水漏れ。
爆撃でも受けたようだった。即死級の打撲を受けた人体を建造物で再現したらこう、とでも言えた。
少女兵は全てを助けることなど出来た試しがほとんどない。義仲曹長は物陰に隠して「行っちゃヤダ!」と縋る手は顔面を蹴り飛ばして剥がして先へ行く。おそらくヨモは無用な殺戮はしない。
病院内の惨状を目にして足が止まってくれないかと思いながら地下、立ち入り制限区画を目指した。階段はほぼ踏まず手すり伝いに跳んで落ちる。
爆裂に近い音が上階で連続。扉を開けるのも面倒に思ったから構わずぶち破って回っている。闇雲に暴れ続けてくれれば逃げる時間がある。
異界人を捕らえて研究することもあった制限区画がある地下1階、ところどころ壊れた廊下の天井、その裏の埃や何かの部品が振動の度に落ちて来る。かろうじて点灯していた電灯が順番に消える。
一般と制限区画の仕切りがある通路に待機した分隊員4名、身を屈めて震えていた。互いに腕を回し合っているだけ地上の者達よりは多少の感情が動く余裕もあったらしい。
「お前等動けるか?」
返答無し。
天井をぶち抜いてヨモが落ちて来た。
逸身大尉は迷わず区画内へ入り、防護ガラス板を叩き割って隔離壁のボタンを拳で押した。
異界人、魔力持ちの怪力を想定した落とし扉が通路を轟音立てて遮断。爆裂に近い音1発、扉は歪まない。
「逸身分隊、応答せよ」
即答無し、足元の4名の無線から逸身大尉の声が出る。
[何とか……]
返事は1名。
「入口まで機関銃持ってこい」
[了解]
金切り音を上げ、部品を千切りながら落とし扉が持ち上がり始めた。隙間から覗けば肩幅に足を広げて踏ん張っているヨモ。ボルトガンでその、靴底抜けて半ば裸足になっている爪先を狙い魔力込めて射撃。斥力に劣化ウランボルトが削られ燃焼、その隙に足が上がって避けられるが扉も落ちる。
また爆裂の音。上で鳴動。
逸身大尉は走って後退。落とし扉の欠点が発覚した。設計倒れだった。
天井をぶち抜いてヨモが制限区画へ侵入。床の隙間を掘って迂回してきた。
「隊長!」
「よし」
逸身大尉愛用の水冷ウォータージャケット付き12.7mm重機関銃、銃床銃把を増設した特別仕様。精神力の強い部下は本体から弾帯繋がる弾薬箱も担いできた。
魔力は複雑な機構の武器程込めづらい。自動銃より半自動銃、それよりも先込め銃、それよりも弓矢、それよりも刀槍、1番は素手。ロケットランチャーにはほぼ込められない。逸身大尉なら、自動銃で十分に異界の甲冑戦士を射殺せた。
重機関銃を腰だめに構えて魔力込めて連射、秒間10発越え、わずかに光る電灯が照らす暗い通路を銃炎が照らす。
12.7mm弾、始めは反れるが徐々に斥力場を穿って、弾けになり、削れになり、壁の中に逃げても追跡して諸共破壊を試みて、魔力探知のレーダーが床下を確認。
「しまった」
地下2階、偽ユウコの隔離部屋があった。あちらも身柄の確保が目的で、逸身大尉の生死は関係なかった。
破壊した壁の横穴から、下の階へ開けられた縦穴へと逸身大尉は降りる。
下の階で正気を取り戻した部下の1人がボルトガンに雷剣を付けてヨモへ突撃、簡単に銃身、身体も捕まって失敗。
「これはこう使うんだよ」
渡島大島基地訪問以来、雷剣にC4爆弾を付けて銃剣突撃を敢行する戦法が再考案された。少量ならばボルトガンの破損程度で済むということで導入。
ヨモはその部下から丸ごと爆弾を奪って、己に向けられた剣先に刺した。
「うっそやん! アホアホアホ!」
張り手1発、その部下は昏倒。
「しまった」
2度目のしまったが出た。偽ユウコの部屋の前に部下が重点的に配置されていて、今はうずくまっているだけでただ目印になっている。しかも重機関銃でヨモを狙うと射線上にその部下達が入り、構わず撃てば皆殺しになる。
逸身大尉は雷剣を持って、切っ先に少量のC4爆弾を付けた。斥力場はそれ同士で相殺する。刺して起爆すれば勝ちの目は十分あった。義手であるから砕けても大して痛くない。
白兵戦を挑んで、義顎が弾き千切れて壁にぶつかる。張り手1発で動けなくなった。気絶はしないが首が捻挫か脱臼で異常を告げ、目だけで状況を追うのが精一杯。
ヨモは施錠された頑丈な隔離用の扉を難無く素手で引き千切って開けた。
「くまー、ユウコちゃんヨモだよ、べあー」
その怪力の前では拘束具を破壊するなど容易。
「私、蛹なんです」
膝を抱えて丸くなり、惨めな自分を演出する偽ユウコ。
「そうなの?」
「羽化するまで何もできません。見守っていてください。13年くらい」
「セミみたいだね。ちょうちょじゃダメ?」
「死にたい」
「死んじゃだめ。ほら、帰ったらおそば茹でてあげるから」
羽化、跳ね起きた。
「たべうー!」
ヨモの腕にすがりつき、エスコートされるように偽ユウコは上機嫌。”糞女死ね”と壊れた口から声も無く吐き出す。
「あ、そうだ」
お情けのように奇跡の血が1滴、偽ユウコが噛んだ指先から逸身大尉の口に落ちた。身体の異常が治まり始めるのが分かる。かつて命を救った感覚が蘇る。
頸椎、脊椎を動かす恐怖が去った頃。
「きゅっきゅ救助要請しますから!」
正気を取り戻した義仲曹長がやってきて、顎の無い逸身大尉に代わって無線、電話で報告を上げた。
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