05:作戦準備
ヨモは朝食の呼び掛けに屋上へ上がる。昨晩は雨風が強く、汚染大気が流れたので空が青くて日差しが強い。日光浴は火傷の危険性から推奨されない。
高原方面から来る人が見えた。目が合う距離ではないがこの基地の服ではないと色で分かる。
まずは鍋を叩き鳴らして「ごはんですよー!」と号令。初めの頃は”ごはん”が通じ辛かった。
「おーい!」
手を振れば振り返される。
屋上の警備も気付いて「正体不明1名接近!」と伝声管に声掛け。予備待機部屋から装備取り上げガチャつく音が鳴る。
厨房への扉を開け「トコちゃん誰か来た! 外人ぽい!」と告げれば「あんだって!?」と答えた。ヨモは梯子を降りて長靴脱いで外履きを履く。
「見てくるー!」
「わがったじゃ! すぐ戻れよ!」
「はーい!」
朝食に集まる姉妹達を掻き分ける。
「飯食う時間に来んじゃねぇよ!」
と予備待機組も武装して表に出る。屋上警備が「10時の方がーく!」と腕を振って指し示すが彼女達には分かり辛かった。
「10時ってなーにー!?」
「お茶碗持つほー!」
「こっち!?」
「それ箸!?」
「あんたぎっちょ!」
「こっちこっち!」
第一発見者のヨモが先導して走る。山に磯も駆けた脚は早い。
目が合い、相手の気が緩む顔が見えて転ぶ? 獣の姿、回転、血が散って外人が回って草むらに消える。
たてがみの、巨大な4足獣は咥えた片脚を噛み潰すことなく吐き、ヨモへ突進。大口、犬歯、顔を掴んで受け止めねじ伏せる。親指を目に入れて潰し、頭骨を握り込む。獣は地面を4つ足で引っ掻き逃げようと穿り返す。
「むん!」
ヨモは唸って頭骨の縫合を外して脳みそを揉み潰す。止まった。
負傷した外人に駆け寄る。軍服姿の少女兵、汚れと体臭からかなり長距離を走り、靴底は擦り減って穴が開く。言葉は不明で聞き取れない。
「えーと?」
あからさまに分からないとヨモは顔に出す。外人は痛み以上に表情を歪ませ、もげた脚から血を流しながら汗染みた手帳にアルファベット、簡体字で何か書いて伝えようとする。
「えーと……」
ヨモはその手帳に”私〈偽〉中国語小理介”と書き返した。トウコの実家にはパソコンがあって、そこでそういうものを見たことがあるのだ。
尚〈〉中の字は正確に書けていない。
「쪽발이……」
と恨みがましく言い残して失神。
「あ止血!」
服を脱いでもげた脚を縛り、ヨモは外人を抱き上げて基地へ走る。
「ほらいっちにいっちに」
到着した予備待機組が獣の死を銃剣で確認。他にいないか警戒を開始。
「糞ワンコは群れで動くぞ、探せ!」
「いっちにいっちに」
ヨモは外人に励ましの声を掛けながら基地に走って戻る。
「ユウコちゃん、怪我!」
食事中の隊員が多数の食堂へ急遽搬送。
「おら開けろ!」
食事プレートが一斉に引き上げられたテーブルに外人を乗せ「ごちそうさまでした」と言ったばかりのユウコが駆けつけてその負傷者の首に手を当てる。当然体温は残っていた。
「どう?」
ユウコが己の指先を齧って血を出し、もげた脚の断面に塗る。
「お湯持ってきてあげて」
「大丈夫?」
「綺麗にしてあげようね」
■■■
厨房係は皆の食後に食べる。余り物は間食にするか、次の食事に流用するか、食べてしまう。
仕事の終わった厨房ではトウコだけが食事をしながらビールを飲んでる。家族からの贈り物は、補給物資輸送計画に支障がなければ許されている。
「おめも飲むが? 皆さ配るだけねぇがら独占だで」
「悪いんだ」
「わだっけいいんだじゃ」
年長組が食堂の広いテーブルを使って手帳をバラして解読中。北京語が半分、韓国語か朝鮮語がもう半分、それぞれに部分的に英語で注釈が入るといった内容。
ユウコの部屋に置いてある外国語辞書は英韓中露。そして「英検準2級もってます!」という基地内ではインテリに分類される隊員が加わる。ユウコもハリカも外の少女隊との交流で話し言葉の外国語をある程度理解しているが、書き言葉となると辞書必携。
トウコは黒ラベル片手に「わがるわげねっべや! わだらもう二か国語喋ってらで」という調子。
タマと心得ある隊員達が、解体した獣の肉を運んで来たのでヨモが「はいどうも」と受領。食える。
「お前素手であのワンコロ殺したのかよ!」
「うん」
「あれトウテツって軍用犬だぜ、野良もいるけどな!」
「チワワみたいなのが?」
「チワワってなりかよ」
「デビルチワワ」
「デビルチワワ!?」
肉は切って鍋に入れ低温で煮る。昼食はトウテツ汁で決定。牛豚鶏のように美味くはないが、殺した敵を食うというのが面白い。
「朝鮮にな、チョンリマって馬の伝説あんだよ。一日に千里走るって、まあ名馬とかのたとえだな、だったかな? おめがその、あのチョンリマちゃんのな、命は救えねがってけどよ、使命は継いだんだ。おめ、わ達にとっちゃそれが大事だことだで」
「酒飲んで説教してんじゃねぇよ酔っ払い!」
「うっせタマこらパンツ履けじゃウンコのカス落づる!」
「うっせえババアバーカ! バーカ! バーカ!」
「あー今日ケーキ出すがど思ったけどどうしよっかなぁ!?」
「やー!? わー! あー! ずるい! ずるい! ずーるーいー!」
「年寄りはずるいんだでぇ、すらねがったのがぁ?」
「静かにしなさい」
ハリカが注意。タマは黙り、トウコは「へいへい」と悪びれず。
トウテツ汁の味噌塩梅を決めてからトウコは昼前寝。ヨモは水汲みと樽洗い、現地人から食器洗い用の海砂利を受領。
タマが「手伝ってやろうか!」と言ったので「仕事増えるから」と断る。トウコからこう言えと言われている。すると不貞腐れて去ってしまう。
手帳の解析が昼食前に終わる。重要な箇所を一つだけ抜き出すなら、星玲紅という壊滅した瀋陽軍の少女将官が白山基地近郊の戦場で生存しており、黒い”賢者”に保護されているということ。
遥々白山基地から単独で駆けてきたということは救出を願っていることと推測された。星玲紅少将はほぼ世界で唯一異界での核兵器使用権限が与えられていることで有名。精々一兵卒扱いの少女兵ごときにそのような大それた兵器を使わせることは通常無く、どれほど要人であるかが分かる。
日本の軍広報では瀋陽軍壊滅や白山こと長白/白頭山大ゲート奪還作戦については触れているが詳細は不明。ましてやこのような大物の安否情報も無い。
ここまで長距離を単独で駆けて来た勇敢な伝令の名前は不明。血液型だけが刻印されたブリキ片の認識票もどきは身分証明証の役割を果たさない。これは瀋陽軍のような軍閥は激戦の最中で国際的に孤立して行き現地人と融和し、混乱の最中で自然発生したケースが多いため管理外の民兵比率が高かった。
本日の昼食は。大麦入り飯、トウテツ汁、白菜と昆布と唐辛子の漬物。
食事時に人が集まったのを利用してハリカが隊員に声を掛けた。渡島大島基地の方針を決めるのはハリカ”将軍”であり、ユウコ”聖下”は象徴に留まる。
「白山基地にて異常事態が発生しています。大人達の情報では大したものが得られず、地続きの当基地の存続にも関わります。あちらに情報提供を呼びかけ、応答を待っていては手遅れになる可能性があります。そこで、白山基地偵察作戦を計画しています。温存しておいた自動車を使い、渡白街道を行きます。具体的な指示は追って出します。以上」
食事プレートを下げる時にハリカがいう。
「ヨモ、後で私の部屋まで来てください」
「おらいのヨモ子さ何させる気だばこの」
ハリカ将軍に真っ向から辛口を利けるのはトウコぐらいになっている。
「ご飯が作れる力持ちが欲しいのです」
「はっ、この」
■■■
ハリカの部屋は他隊員と違って1人部屋、ユウコのような隊長格と扱いは同等。資料、書類、本に事務机と文房具など管理職らしい物が揃っており、異界の甲冑と短槍に地球製軍刀、飾り棚には頭蓋骨と場違いなハイヒールがある。見比べても部屋主の足に嵌らない細さであった。
呼ばれたのはタマとヨモである。
「偵察作戦にはあなた方2人を連れて行こうと思います。地球上の渡島大島小ゲートと白山大ゲートの直線距離は1000km弱。実測データはありませんがそれよりは異界上の距離は短いと考えられています。それでも長距離悪路、野生動物や異界人との衝突が想定される過酷な道のりとなっています。行きは未使用の自動車を使います。これが使えなければ中止を検討します。質問は?」
ヨモは、何を質問していいか分かりません、という質問しか出せそうにない。
タマはヨモを指差し「こいつやれんのか?」と言う。
「表に出ましょうか」
3人は外に出る。トウコが屋上から見ている。
「単純な話、タマはヨモが敵と戦えるのかと疑問に思っています。今日はトウテツを素手で殺したということでその辺りは不足無いと思いますが、人に対して暴力を振るえるのかという点が疑問になりますね。だから2人で決闘して頂きましょう」
「あの、はい」
「どうぞ」
「乱暴しちゃいけないって」
「そう。あなた、今まで力を出すな、物を壊すな、人を壊すなって言われてきましたね。トウコの親戚ということは下の従弟妹がいますね。あの子達を怪我させないよう、殺さないようにそっとゆっくり動いてきましたね。事件になったら大変、学校の友達に手を出すなんてとんでもない。社会的抹殺が待っていました」
ハリカがヨモの肩に手を乗せる。
「身体が大きいから」
頬を撫でる。
「”少女”だから」
手を握る。
「”化物”だから、ね? こっちでは……」
耳に「そんな地球のやり方を忘れてもいいんですよ」と囁く。
ヨモはうつむく。ハリカはトウコへ指だけ交互に前後させて振る。返事は痰吐き。
「はい見合って……」
ハリカが手を叩いて合図する、その直前にタマは前転跳ね起き蹴り、ヨモの顎が外れ舌半分噛み切れる。お返しの張り手、獣の爪先が顔の皮を剥いでぶら下げ吹っ飛ばす。
タマは立ち上がろうとし、足腰が震えて立たず、崩れた。爆弾でも崩れなかった魔力持ちが殴打1発。
眉間に皺寄せるヨモは自分で顎を嵌めて仁王立ち。
「はいそこまで! お母さん、娘さんを下さる!?」
「好きにせじゃ!」
■■■
「なんだこれ? コロッケじゃねぇな!」
脳震盪と首の捻挫程度で安静にしないタマの、剥がれた面の皮はユウコの血の治療で治癒済み。
「メンチカツだよ!」
ヨモも切れた舌がくっつき、食事も会話も支障無し。
「なんだそれ?」
「だいたい、ハンバーグをコロッケにしたやつだよ!」
「最強じゃねぇか! 俺は最強が好きなんだよ!」
相互理解は済んだ。
夕食は大麦入り飯、メンチカツ4つ、千切り茹でキャベツ、トマト丸ごと1個。
後に1食分余計に食事プレートに盛り、外人合同墓地にお供えして火葬した伝令に向けた。身元不明の瀋陽軍兵士など日本政府は歓迎しないだろう。迎えて鎮魂の祈りを捧げるところが引き受ける。
■■■
本日は行事が重なった。
週1回の風呂の日。燃料は貴重で毎日入ることは出来ない。ある国の基地は温泉の近くにあるとか、有害物質まみれでサウナや床暖房にも利用出来ないとか。
薪で焚いたドラム缶風呂が並ぶ。一番風呂はもちろんユウコである。
「良いお湯でしたー」
この残り湯は浅い傷が治るので、本日の業務で切り傷、擦り傷、虫刺されなどがあった者が入る。
「おケツのデッカいヨモちゃんはー」
「メンチカツが美味しくてー」
「やっぱりおケツがデカいのよー」
順番待ちの最中に尻を触られるヨモは「おケツ!」とケツ当たりで同期達を吹っ飛ばす。泥付きは入浴厳禁、風呂係が「てめぇらこっちこいや!」と転んだ者達に冷水を浴びせる。
ヨモはトウコと一緒に風呂へ入った。見下ろす見上げるが昔は逆だった。
「うぇやー、ビール飲みてぇじゃ」
「もう飲んだでしょ」
「あん、いいんだじゃ。ビールは生き物だからな、直ぐ飲まねば味落づんだよ」
「トコちゃん、皆って毛剃ってる?」
「生えねぇ奴生えねんだ。見せる男わらしもいねんだからいいじゃ。あ、お嬢だら剃ってたな。おしゃれだからなぁ」
骨、筋、血管、関節のメリハリが段違いの4本腕も入浴。少年みたいな少女ばかりの中、明らかに大人。
「お嬢、おめぇケツ毛生えでんだ!?」
「剃っています」
返事は澄まし顔。
■■■
濡れた髪、臭くない空気、いつもより基地内は血色が良い笑顔が多い。
「おらおめぇだぢ”ケーキ”配っから皆がら呼んでこいじゃ!」
トウコが廊下で怒鳴れば奇声で返事、足音が殺到。
お風呂の日はアイスクリームの日である。氷室で、市販品をボウルへ取り出して冷蔵してある。
「並べ並べ」
小鉢すり切りにバニラ味。電気冷蔵ではないので溶けるのは早くて柔らかい。
「アイス!」
タマの順番となり「これもあげる。友情のにゃんぱっち!」と、ヨモはピンクの猫の手肉球の刺繍入り手作り眼帯も渡した。統制経済が依然として強い地球では穴の開いた服にパッチや刺繍を当てて使い回すのが常識になっている。今では男女必修。
タマは叫んで走り去った。
アイスクリームの配布再開。
叫んで戻って来て厨房の入り口に来る。アイスクリームは食べ終わり、眼帯をつけて隻眼を覆っている。
「良いこと思いついた、結婚してやるよ!」
口笛、奇声、爆笑。
「えっ、でも男の子じゃないよね」
「心は男だぜ」
「ちんちん無いよね」
「ちんちんいるのか!?」
驚愕の事実という顔。
「ちんちんあるもん!」
「え?」
「あるったらある!」
「男の子じゃないと無いんだよ」
「知ってるもん! 今から谷いって取って来るぞ!」
「えぇー?」
ヨモは小走りで寄ってタマの視線に合わせてしゃがみ、背中を撫でる。
「ごめんね、私が悪かったからね。許して、お願い、ね?」
「ちんちんあるぅ!」
「ぶぇひゃひゃひゃ!」
「トコちゃん笑ってないで助けてって! うーんと」
ヨモは小鉢のアイスを一つ取って来る。
「ほら、私の半分こしよ。それで今度あったら行こうね、だから一緒に食べよ、ね?」
「いいの!?」
「いいよ」
「食べる!」
ほぼ例外に漏れず母は無く、父は不在気味の従弟妹達の母代わりをトウコに継いでしてきたので対応は慣れていた。
地球の思い出。ちんちんは銭湯、家の風呂、親戚の家の風呂、保健体育の授業で見知っている。カンジくんが小さい時に風呂場でおしっこして、このいたずらちんちん! とデコピンしたこともあった。あれはまだ覚醒前。
■■■
夜。ヨモはトイレから戻る途中でユウコの部屋前で座り込む同期を見つける。
「どうしたの?」
「ユウコちゃんと一緒に寝たいの」
部屋の扉越しに読経が聞こえる。隊長は神棚と仏壇の担当でもある。
「一緒にお願いしよっか」
「でも」
ヨモの経験では、読経中にお邪魔してもそこまでお邪魔ではない。祖母がそうだったから。
「大丈夫だよ。せーの」
声を合わせて『こんこん!』と言いながら扉を叩く。
「はーい、どうぞ」
扉を開けば仏前にて座布団に正座、お経を持っているユウコ。
部屋の本棚には簿記、看護師、表計算ソフトの試験集のような専門家というより学生が読む本が並んでいる。人体解剖図もある。
「ほら」
「うんとね、一緒に寝ていい?」
ユウコは微笑みながら「いいよ」と言って、手招きしながら小さい声で「こっちおいで」と誘う。首を傾げて、ヨモも? と問われたら首を振って否定。
「ヨモちゃんありがとね」
ユウコは礼を言って、両手を顔の前まで上げ、声に出さず”くまー”とやる。ヨモも”べあー”と返す。
人助けも済んで気分良し。厨房隣の寝室に戻ると扉を閉める前にタマが入り込んできた。裸である。
「ちんちん生やすから見てろよ!」
「やいや、静かにせじゃ」
トウコは舌打ち。
「服着ないで寝ると”もの”出来てかゆくなっちゃうよ」
「不死英雄ってのが昔凄かったんだってよ! 爆弾でっけぇの担いでな、どーんって特攻よ! 俺はいつでも何発でも突っ込めるように裸なんだよ!」
「うるせじゃこの! パンツ履いで寝れ!」
「はーい」
ヨモはタマを担ぎ上げて布団の中へ一緒に入る。
「おっぱいぶよぶよ」
布団の中でもタマは落ち着かず「あっつぅ」と出て、布団の上、ヨモの腹の上をもぞもぞ動いて、股の間で落ち着いた。
■■■
普段は基地から離れた車両倉庫に、潤滑油も差さず燃料タンクも空の状態で放置された秘蔵の軽装甲機動車。車体の一部が折りたためて、車内から給油出来る特注品。石油化学製品等を排除した作りになっており、内装に木が使われるなど軍用らしからぬ高級感が少しある。小ゲートには本来そのまま入れることは出来ないが、1度部品ごとに解体して再度組み立てたもの。
地球での戦いの爪痕は産業の大後退をもたらしていた。机上ではもっと良い車両が存在した。時は未来に進んでも技術がそうとは限らない。
運転手と整備責任者はタマ、今日はちゃんと作業服を着ている。ヨモは整備の様子を横で見て、時々人間ジャッキとなって車体を傾け持ち上げる。
「俺、国際免許持ってんぜ!」
「こくさいめんきょ?」
「昔親父とかっぱらいやっててよ! 大陸の連中に車密輸してたんだよ。捕まるまで儲かって儲かって! 奴等今でも馬引いてるから中古で新車の国内価格の3倍よ。こいつも軍からかっぱらって売ったことあるぜ」
「うーん? へー」
「それで施設に移ってからも車分かるって整備勉強してよ、大体分かるぜ」
「すごい!」
「すげぇだろ! あ、親父は絞首刑だったな。大人って首吊んの好きだよなぁ。俺が生まれる前にお袋も首吊ったってよ。ヨモは!?」
「うーんと、伯父さんから聞いてないから」
「便所に落ちてなくて良かったな! ゴミ箱より死んじまう」
潤滑油には植物性のものを使い、稼働部に差す。酸化し辛い機械油は油蟲が寄って来るので厳禁。
燃料は軽油、ガソリン程ではないが油蟲は狂乱する。バイオ燃料はある程度使えるが異界特有の劣化をしてしまい燃焼効率も整備性も悪くて適さず。
軽油の回収は特命班が決死で行った。車両倉庫よりまた更に離れた燃料保管庫へ向かい、松明や干し草にボロ布を集めて焼き討ちの用意をして訪れ、油漏れで油蟲が集っていないか慎重に確認。乾燥土詰めのドラム缶の中から燃料缶を掘り出し、傷や漏れが無いか確認して一度野外に放置して遠巻きに待機。しばらくしても油蟲が寄って来る様子が無ければ良しとする。
「これ動くの?」
「わっかんねぇ! エンジンの点火方式がよ、磁石でも電池でもなくてクランク回して油吹かしたところに直接火点けろってなってんだよ。こんなん地球で見たことねぇ、どうなっか知らねぇ! ボンって吹っ飛んだりしてな!」
ゲートを潜る際に磁石は磁力を失い、電池は無力化する。天然磁石は異界で需要が無いらしく、地球人が行動する範囲では出回っていない。
■■■
車両の準備ともう1つの準備があった。それは停戦交渉。
ハリカは完全武装で旗棹に日章旗を担いで谷を降りる。ヨモはその供として追従。
国旗掲揚と小数で向かうのは異界における使者の証である。トウテツに跨る敵騎兵の警備班が3騎、2人を認めて異界語を発してハリカも異界語にて答えてから進む。警備班も追従し始める。
「何て言ったの?」
「堤防卿に用向き、です」
「堤防卿?」
「デスマスクのことですね。この谷の小国群の代表で、大名みたいなものでしょうか」
谷の底、川の水を堰き止める堤防と城と城下町が見えてくる。あれが敵の本拠地。
騎兵1騎が異界語を発して駆け出して本拠に向かう。ハリカが足を止める。
「お弁当にしましょう」
「うん」
2人でおにぎりを食べてしばらく待つ。
トウテツという犬か獅子かという外見の獣をヨモは見る。素手で殺した個体より小さい。騎兵が何か言って、地球では余り見ない手の仕草を見せる。あっち行け、というような意志は伝わった。
「猟犬と馬の間みたいな生き物ですから近寄らないように」
「あ、うん」
待つことしばらく、デスマスクと地球であだ名された堤防卿も国旗を担いで4つ脚で駆けて現れる。あの長剣2本を携えた甲冑姿。その供に弓矢を持つ異界兵もいる。
ハリカと堤防卿が声を張り、やや劇芝居掛かりに会話を始め、何度か言い合った後に旗棹同士を交差して当てる。そして同時に背を向けて立ち去る。
「停戦、なりました」
「いいんだ。代わりに何かするの?」
「私が領主になるか共同経営するというのが代償です。嫁入りという概念が一番近いかもしれません」
「うっそ! あれ? いいの?」
「私も彼もこのままでいいとは思っておりません。あちらは大人が、こちらも補充が減っています。大人に決められたレールの外へ進むことを考えなければいけません。望まれるまま相討つまで殺し合えば破滅。軌道修正の時機でしょう」
「うーん、わかんない」
「私がいます」
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