第15話 ラブandハート(ケイフウ視点)

 これは、ある日の、とある場所でのケイフウの話……。



***



「ねえ、カナデ。やっぱり、何て言うか、ちょっと派手じゃない?」


 花柄とハートマークがちりばめられたキュートなピンク色の財布を目の前にして、なるべくソフトな抗議をする。


「ケイは私からのプレゼントに、けちをつけるの?」


「いやいやいや! そういうわけじゃないんだけど……」


 カナデの視線が怖すぎる。


 しかし、俺はやんわりと抗議を続ける。


「いやぁ~、これどうなの? 俺、27歳だよ? もうすぐ三十路だよ?」


「いや、関係なくない?」


 圧が強すぎる。


「昨日、この財布をもらった時は、喜んでいたじゃない。あれは嘘だったの?」


「いやいやいや! 嘘じゃない! 嘘じゃないけど、1日たってみるとちょっと冷静になったというか……」


「ほら、やっぱり! 喜んでないじゃない! 私のことセンスの悪い女だと思ってるんでしょ!」


「いや、そうじゃなくて!」


「もう良いわ! しばらく入ってこないで!」


 カナデはそう言いながら寝室に向かい、『バタンッ!』と勢い良くドアを閉めて、とじこもってしまった。


 喧嘩である。


 そして、こういうときに俺が取る行動は決まっている……。




 俺は逃げるように家を出た。



 春分の日は越えたが、依然として寒さは衰えをみせず、「ふぅ」と吐いた溜息は白かった。


「1時間……いや、1時間半は離れよう」


 上着のポケットに手を突っ込みながら、とぼとぼと歩きだした。



 こういう時は、お互いに離れるのが一番だ。


 カナデと付き合いはじめて4年。その4年の経験から学んだことだ。


 お互いの気持ちが落ち着いてから、また話し合えば良い。


 

 ぐぅきゅるるる。


 腹の虫も鳴いていることだし、どこかで飯でも食べよう。お腹が膨れればこちらの心も落ち着いてくるだろう。


「よし、あそこだな」


 俺は目についた牛丼屋に入った。


「いらっしゃいませー」


 ほんのりと暖房が効いていて体が暖まる。


「温玉牛丼並、つゆだくで」


「かしこまりましたー、温玉並つゆだく一丁~」


 俺は牛丼を頼むとき、毎回、つゆだくにしている。


 牛丼におけるつゆの量に関しては、人それぞれにポリシーがあるだろう。そして、それぞれのポリシーは尊重されるべきだとは思う。


 しかし!


『つゆだくこそ牛丼の本来あるべき姿である!』と、俺は声を大にして言いたい。そもそも牛丼というものは具と米の比率が――。


 プルル~。

 

 携帯の着信音が鳴る。


「おっと――はい、もしもし」


 牛丼について熱く考えていたため、着信画面を確認することなく、勢いで電話に出てしまった。


「ちょっと! 話はまだ終わってないんだけど!」


 電話の相手は、鬼……いや、カナデからの電話だった。


「ごめんごめん、いや、でもちょっと時間を置いた方が良いかと思って」


「なにも言わずに出てくなんて卑怯じゃない! 今どこ!?」


 この状態でここにカナデが来たら、まずい。


 牛丼屋で痴話喧嘩、ということになりかねない!


「いやいや、ちょっと出てるだけだから、すぐ戻るよ」


「何で場所言わないのよ!?」


「ちょっと、ごはん食べて戻るから。じゃあ、切るよ?」


「待ちなさい! どこにいるかを――」

 

 俺は一方的に通話を切った。


 彼女は今、冷静じゃない。



「お待たせしましたー。温玉牛丼並つゆだくですー」


「ありがとうございます」


 よっしゃあ! 来た来た!


 夢中で牛丼にかぶりつく。


 ああ、旨い! これはすぐに食べ終わってしまいそうだ!


 幸せに満たされていたところ、ふと、あることに気づく。

 

 


 そういえば、俺、財布持ってるよな……?

 

 緊張が走る。


 いくら急いでいたからって忘れるわけが……。

 

 

 ズボンの右ポケットをまさぐる。ない!

 ズボンの左ポケットをまさぐる。ない!!

 上着のポケットをまさぐる。あった!!!


 財布は上着の内ポケットにしまってあった。


 緊張から解放され、安心感がもたらされる。

 

 ちなみに、いくら入っているだろう?

 

 革製の茶色い財布を開き、中身を確認する。


 あれぇぇぇぇええええ!? お札も小銭もカードも一切ない!? 何これ!? ドッキリ!?


 ……あっ! そうだ! 財布の中身は、カナデからもらった新しい財布に入れ換えちゃった!

 

 俺のバカ!!


「ヤバい」


 ヤバい。まじでヤバい。ヤバいという言葉しか思い付かない。


 こういうときはどうすれば良い!?


 土下座? いや土下座してもお金はどうにもならない。最悪、警察を呼ばれる。


 皿洗い? いやいや、現実で見たことない。というか、本当にそんなことできるの?


 食い逃げ? いやいやいや、犯罪! ダメだって犯罪は! ああっ! 頭がおかしくなってきた!


 プルル~。


 携帯の着信が鳴る。


 画面を確認すると、着信はカナデからだった。

 

 今はそれどころじゃ――いや待てよ? 普通にカナデにお金を持ってきてもらえば良くない?


 なんだ。簡単なことじゃん。焦って損した。


 通話ボタンを押す。


「はい、もしもし」


「さっきは冷静じゃなかった。ごめんね。今はちょっと落ち着いたから」


「ああ、それは良かったよ。それでなんだけど、カナデ、お金持ってきてくれない?」


「えっ?」


「頼むからお金持ってきてよ。財布の中身が空っぽなんだ」


 周りのお客さんの迷惑にならないように、なるべく小さい声でこそこそと話す。


「……もしかして! あんた、ギャンブルやってるでしょ! そうじゃなきゃ、財布の中身が空っぽなんてあり得ないもん!」


「いやいや! 違うんだよ! 待って! 聞いて!」


「聞かない! ギャンブル大嫌いだもん! サイテー!」


 プツンと通話が切れる。


「マジかよ……」

 

 なんだよ! 全然落ち着いてないじゃん! 情緒不安定過ぎるだろ!

 

「ああ……どうしよう」


 牛丼を前に頭を抱えていると、近くの席に座っていたおじさんが席をたち、会計に向かった。


「ごちそうさま、会計お願いします」


「はい、承知しました~」


「ピピピペイでお願いします」


「かしこまりました」


 おじさんはスマホを取り出し何やら操作をした後、店員にスマホの画面を見せた。


 店員はスマホの画面にバーコードリーダーにかざした。


 ――ピピピ。


「……はい、完了しました。またおこしくださいませ~」


 そうか! この手があったか!


 グッジョブ! おじさん! いや神様と呼びたいくらいだ!

 

 ピピピペイのアプリをダウンロードして入金したはいいものの、まるで使わずそのままにしてあったはずだ!


「頼む……頼む……!」


 ピピピペイのアプリを開いて残高を確認する。



 ……5000円!



 余裕だ! 牛丼10杯はいける!


「ビビらせやがって……」


 お金があるということが分かり、ひと安心だ。


 これで心置きなく食べられる。


 ガツガツと食べて、お茶を飲む。ああ、幸せ。


 プルルー。


 おっと、またもやカナデからだ。果たして落ち着いたのだろうか?


 まぁ先程はこちらも焦っていたのが悪かった。急にお金が欲しいと言われたら驚いてしまうのも無理はない。


 今の俺は落ち着いている。


 きっと紳士的な対応が出来るだろう。



「もしもし、どうしたんだい? マイ・レディー?」


「何よ、その気持ち悪い話し方」


「いやー、心に余裕ができると、人は紳士になるのサ」


「多分だけど、ちょっとずれてるわよ。あんたの紳士像」


「ずれてません。そんなことよりどうしたんだい? マイ・レディー?」


「やめなさいよ、その話し方! ……まぁ、なんというかさっきは普通じゃなかったというか……今は落ち着いたから帰っておいでよ」


「わかったよ。こっちこそ、ごめんね。カナデを置いて、勝手に出て行っちゃって。1人で寂しくなっちゃったんでしょ?」


「そんなことな……くはないけど、とにかく、早く帰ってきなよ」


「うんうん。でも、もうちょっとだけ電話でお話しようよー」


 ブーッブーッ。


 突然スマホが振動した。


 バイブレーション通知だ。

 

 くそっ! 今せっかくイチャイチャしてるのに……。


 

 通知の内容を確認するため、画面を見ると、そこにはこんなことが書かれていた。



『バッテリー残量低下により、省電力モードに切り替わります。残量2%』 



 なんだ、そんなことか。確かに充電し忘れてたけど、どうせこのあと帰るから大丈夫!

 

 まったく、こんなことで俺とカナデの時間を邪魔するな!





 ……いや待てよ。

 

 何かを見落としているような……。


「もしもし、もしも~し。急に黙ってどうしたの?」


「カナデ。あのさ。ピピピペイってスマホの電源が切れてても使える?」


「はぁ? 使えるわけないでしょ。バカじゃ――」


 ブーーーーッ。


 スマホの電源が切れた。








 ……終わった。何もかも。



 現金払いもスマホ払いもできない。スマホで助けを呼ぶこともできない。


 できることといえば、牛丼を食べることくらい。


 もぐもぐ。


 もぐもぐ。


 もぐもぐ。

 

 俺は、半ば放心状態で食べ続けた。


 もぐもぐ。


 もぐもぐ。


 もぐもぐ。

 

「ふう」


 ついに、食べ終わってしまった。


 さて、どうしようか……。


 あー、なんか、もう、吹っ切れた。

 

 こうなったら、逆にもっと食べてやろう。

 

 よし!!!


「すみません、牛丼キングサイズで」


 コップを握って、ぐっと、お茶を飲み干す!


「……ふぅー、よし!」


 覚悟は決まった!


「やってやる!」


「なに格好つけてんの、牛丼屋で」


「いや、今集中してるから…って、カナデ! 何でここに!」


「財布忘れて牛丼屋に入ったバカのせいよ」


「いや、そうじゃなくて! 何で場所が分かったの!? それに、俺が財布を忘れてピンチだったことも!」


 カナデは笑った。


「ケイのことなんて全部お見通しよ。喧嘩すると落ち着くまで待ってくれることも。そそっかしいことも。牛丼大好きなことも。なんだかんだ言って、私から貰ったものを大切にしてくれることも」


 カナデの手にはピンク色の財布が握られていた。


「中身入れ換えたんでしょ? 忘れちゃダメじゃん」


 彼女の笑顔が眩しい。


「ありがとう、カナデ! このお礼は必ずするから!」


「うん! 楽しみにしてるね!」


 なんて幸せなんだろう。こんなに優しい彼女がいるなんて。


 帰ろう、部屋に。2人で暮らす幸せな部屋に!


「よし、じゃあ帰――」


「お待たせしました! 牛丼キングサイズです!」


「あっ……忘れてた」


「えっ……」


 彼女が信じられないものを見たというような目で、こちらを見ている!


 何かを言わないと……


「ええと、この牛丼がお礼ということで……プレゼント・フォーユー?」


「バカじゃないの?」 




おしまい

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