第9話 火炎直球

 その日、シエラは任務が休みで、秘密基地で自由な時間を過ごしていた。



「なあ、シエラ。ちょっと修行に付き合ってくれないか?」


 と声をかけてきたのはエイダンだ。


 エイダンもその日は任務が休みだった。


「いいですよ。それで、どんな修行をするんですか?」


「野球だ!」


「……野球ですか? まあ、いいですけど、それって修行なんですか?」


 エイダンは、シエラの問いかけが聞こえていないかのように


「ルールは簡単。オレが投手で、シエラが打者。シエラはオレの投げた球を打ち返す。そして、打球がオレより後ろに飛んだらシエラの勝ちだ」


 とルールの説明を始めた。


「なるほど……それで、これは何の修行なんですかね?」


「ちなみに、チャンスは10球だ。10球のうち1球でもオレより後ろに飛ばせばオッケーだ」


「あの、だからこれは……いや、やっぱ、もういいです。早速、修行というか野球をしましょう」


「ああ! 修行の開始だ!」



 シエラとエイダンはバットやグラブを持って、秘密基地の近くにあるひらけた場所に向かって歩き出した。



「エイダンさんは、野球がお好きなんですか?」


「ああ。なんかこう、血が騒ぎだすというか、なんと言うか、すごく気分が上がるんだ。時間があるときは、1人で投球練習をすることも多い」


「そうですか。以前、エイダンさんは戦いの中で刀を投げましたが、コントロールが良かったのは、そのためですね」


「かもな。ちなみに、シエラは野球は好きか?」


「うーん。正直に言うと、好きとか嫌いとか以前に、野球はあまり馴染みがないんです」


「そうか。何か他のスポーツで好きなものはあるのか?」


「スポーツですか……。うーん、スポーツとは言えないですが、森の中を散策したり、走り回ったりするが好きですね」


「なるほど。それも面白そうだな。――そんなこんなで、目的地に到着だ。早速位置についてくれ」


「わかりました」


 お互い位置につくと、エイダンがシエラに向かって指をクイクイッと動かし、何やら合図を出した。


「エイダンさん、なんですか?」


「えっと、今からストレートを投げるぞ、という合図だ」


「ああ、そうでしたか」


「この際だから、最初に明言しておくよ。これから全球、ストレートを投げるから」


「わかりました」


「じゃあ、いくぞ!」


「はい!」



 エイダンは大きく振りかぶって投げた!


「火炎直球!」


 バッ!


 バシューン!


 エイダンの手から放たれた球は、シエラの元をあっという間に通り過ぎた。


「なっ!?」


「速すぎて手も足も出ないようだな。まあ、足は出さないだろうけど」


 エイダンの言葉通り、シエラは全く反応することができなかった。


「じゃあ、次いくぞ」


「よし、こい!」


 2球目

 バッ!

 ブン!

 スカ!


 1球目は驚いて何もできなかったシエラだったが、2球目は反応することができた。


 だが、反応できただけだ。


「タイミングが合ってないようだな」


「まだまだ、これからです」


 3球目

 バッ!

 ブン!

 スカ!


 4球目

 バッ!

 ブン!

 スカ!


 

「ふむ。段々と火炎直球の速さに慣れてきたみたいだな。タイミングは悪くない。……ただ、ボールとバットの位置が合ってない。ボールはもっと上を通過しているぞ」


「くっ!」


 どうやらシエラが目で見て感じるボールの位置と、実際のそれとでは、ズレがあるようだ。



 位置が合っていないのなら、修正すればいい。


 自分が思う位置より上にバットを振ればいい。


 シエラは自分にそう言い聞かせた


「さあ、こい!」


「よし、いくぞ! 火炎直球!」


 5球目

 バッ!

 ブン!

 スカ!


 目で見て感じた位置より上にバットを振ったんですが、当たりませんでした。もう少し上のようですね。


 シエラはそう考えながら、次の投球を待つ。


「いくぞ!」


 6球目

 バッ!

 ブン!

 カッ!


「当たった!」


 ボールの下側にわずかにバットが当たり、ボールはシエラの後ろへと飛んでいく。


「ファウルか」


「でも、当たりました」


 もう少し上の方で振るようにすれば、しっかり当たるはずだ、とシエラは感覚を修正していく。


「さあ、次!」


「よし!」


 エイダンが振りかぶる。


 シエラのバットを握る手に力が入る。


 7球目

 バッ!

 ブン!

 カーン!



 ボールは高く打ち上がった。


 しばらくボールはふらふらと揺れながら空を飛び、そして、落ちた。



 落ちた場所は……エイダンの手前!



「残念。飛距離が足りなかったな」


「でも、ちゃんと前に飛びました。残り3球。希望はあります。エイダンさんの後ろまで打球を飛ばしてみせます!」


 8球目

 バッ!

 ブン!

 カーン!



 ボールは高く打ちあがり、そして、またしてもエイダンの手前に落ちた。



「ふう。あと2球」


 エイダンは額に流れる汗を袖で拭い、深呼吸を繰り返し息を落ち着かせた。


「まずい……」


「そろそろ後がないな。シエラ」


 追い詰められてきたシエラの頬に、汗が流れる。


「このままでは……」


 ささやかな風が吹き、汗でぬれたシエラの頬を冷やす。


「さあ、シエラ。次だ!」


 9球目

 バッ!

 ブン!

 カーン!


 ボールは高く打ちあがり、そして落ちた。

 


 パシッ!


 エイダンは落ちてきた球をグローブでキャッチした。

 

 ボールはエイダンの手前ではなく、真上に落ちたのだ。



「少し飛距離が伸びたみたいだな。火炎直球の威力に慣れてきたのか?」


「どうなんでしょう?」

 シエラの言葉に嘘はなかった。


 シエラ自身、不思議に思っていたのだ。


 打った感覚はこれまでと変わりがない気がしたのに、しかし確かに飛距離は少しだけ伸びていていたからだ。


「どうしてだろう……なんでだろう……」


 シエラはぶつぶつと呟きながら、考え事を始めた。


「ふう。あと1球」


 再び、深呼吸を繰り返し、息を落ち着かせるエイダン。


「はぁー、ふぅー……よし! このまま押し切る! さあ、シエ――」


「そうか!」とシエラは突然、大きな声に出した。


「うわ! どうした、急に?」


「やはり、スポーツは気持ちが大事なんですよ。そう思いませんか?」


「えっ、ああ、まあ、そうだな」


「エイダンさんに勝つためには、気持ちを盛り上げる必要があります。――そこでお願いなのですが、応援団を加えてもいいですか?」


「応援団? 秘密基地から誰か呼んでくるのか?」


「いいえ。そうではありません」


「なら、どうするんだ?」


「こうするんです!」


 と答えた後、シエラはこう唱えた。



「生まれろ! 霊樹植栽 ―ツバキー」



 霊樹植栽は樹木を生み出す魔法だ。


 そして、生み出すことのできる樹木は何種類かある。


 シエラは今回、ツバキを選択した。



 シエラは、バッターボックスの両サイドに、帯状に広がるように背の高い立派なツバキを何本も生み出した。


「ほう。これらが応援団ということか?」


「その通りです。樹木とは、私の気持ちを高めてくれる、素敵な応援団なのです!」


「ふむ、よくわからないが……とにかく、続きを始めてもいいか?」


「はい。――次で最後です。気合を入れていきますよ!」


「ああ! これで終わりだ! ――火炎直球!」


 大きく振りかぶったエイダンから放たれる、10球目の剛速球。


 シエラはツバキの存在を感じながら、バットを力強く振る。


 カーン。



 ボールは打ち上がった。



「この軌道なら、ボールはオレの手前に落ちるだろう。残念ながら、応援団は意味がなかったみたいだな」


 ボールはふらふらと揺れながら、落下を始めようとしている。


「まだです! まだボールは空に居ます! そして――彼らが味方してくれるはずです!」


「彼ら?」


「お願い。来て……」


 


 シエラの願いに答えるように、彼らはやって来た。


 

 彼らはシエラの髪を揺らした。



 そう。彼らは――風。



 空を漂うボールは風に乗った!



「何ッ!?」


 ボールはふらふらと風に揺られながら飛距離を伸ばす。


「まずい!」


「いけ―!」


 


 ボトッ。


 ボールは――エイダンの後ろに落ちた。


「くっ!」




「……9球目。あの時、風が吹いていたのです」


 9球目のボールはエイダンの手前でなく、真上に落ちた。

 

 あの時、風が吹いていたため、その風の力で飛距離が伸びていたのだった。

 

「なるほどな。今回は9球目の時よりも強い風が吹いたから、さらに飛距離が伸びて、ボールはオレの後ろに落ちた、ということか」


「はい」


「しかし、運がいいな。偶然にも、強い風が吹いてくれるなんて」


「たしかにタイミングよく風が吹いたこと自体は運がよかったです。ですが、風が強かったことは偶然ではありません」


「なに?」


「10球目はツバキたちの力がありました」


「どういうことだ? さっぱり意味が分からない」


「これは、森林の機能とでも言いましょうか……エイダンさんは『防風林』をご存じですか?」


「防風林? 聞いたことないな」


「簡単に言えば、風を弱くする効果のある林のことです。そして、私が生み出したこのツバキたちも、まさに、防風林として機能しています」


「なるほど……うん? おかしいぞ、シエラ。風が弱くなるなら、ボールの飛距離は伸びないだろ? 防風林は逆効果じゃないのか?」


「はい。一般的には防風林は風を弱めますので、エイダンさんの言う通り逆効果です。ですが、ある条件では風が強まることがあるのです。今回はそれを活用しました」


「そうだったのか。いやはや、シエラは物知りだな。完敗だよ」


「火炎直球もさすがの威力でしたよ。打ち上げるので、精一杯でした」


「まあ、なにはともあれ、今回はシエラの勝ちだ。……というわけで、今日の修行はここまで。付き合ってくれてありがとな」


「いえ。楽しかったです。また、遊びましょう!」


「いやいや、だから修行だって! 遊んでたわけじゃないって」


「あはは、そうですか。まあ、そういうことにしておきましょう」


「ははは。まったく。――さて、帰ろうか!」


「はい!」




*補足


「一般的には防風林は風を弱めますので、エイダンさんの言う通り逆効果です。ですが、ある条件では風が強まることがあるのです」


というシエラの発言の、『ある条件』というのは以下の情報を参考にしています。


“――――――――――――――――――――


林帯の切れ目では,風が集まって風速がかえって大きくなり(図-3)


樫山徳治 (1967) 内陸防風林 林業技術309 23-26


――――――――――――――――――――”

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