第4話 大学一年 秋

4 秋

 学祭が近付き、そわそわとした空気が流れる。初めての学祭に、柄にもなく浮かれている。サークルの先輩の話を聞くと、簡単な屋台を出すらしい。一年生はビラ配りと、友人を呼ぶことが仕事とのことだ。彼も呼べるかもしれない。後生大事にとってきた彼への思いは、まだ胸にくすぶっている。名前も分からない爆弾のようなこれは、そろそろどうにかしないといけないのかもしれない。それでも、彼に会えるかもしれないと思うと、心臓が跳ねる。

「高橋は誰か呼ぶ?」

「高校の友達呼ぼうかな。あっちの学祭は来月らしいし」

「割引チケットもらい行くか」

「そうだね。佐伯は?」

「俺も高校のやつ。何人来れるかな」

「多めにもらっておけば?」

「そうするかー」

 佐伯と連れ立って歩きながら、彼にメッセージを送る。「学祭の割引チケットもらえるんだけど、来ない?」「誰か連れてきてくれたらその人の分も割引券とっておくよ」ぴこん、という音を聞く。返事を見るのが怖くて、すぐにしまった。しばらくくだらない話をしながら、サークル棟へ入る。誰かいるだろうか。

「せんぱーい、学祭の割引チケットお願いしたいんすけど」

 隣の佐伯が、大きい声で先輩を呼ぶ。私も頼まなくては。振動に気づき、スマホを取り出す。「いいの?ありがと」「じゃあ二人でいくよ」

「先輩、俺も二人分おねがいします!」

「え、高橋君ちょう元気じゃん」

「あ、すいません」

「いいよいいよー。はい、じゃあこれね」

「ありがとうございます」

 受け取ったチケットは、学生の手作りらしいちゃちなものだ。けれど、それが私にはどんなプレミアチケットよりも貴重なものに思えた。


 むかえた学祭当日、私は着ぐるみパジャマに身を包んでいた。一年生のビラ配りは、仮装がドレスコードらしい。男子限定のメイド服は何とか佐伯に押し付けることができた。やる気があるのかないのかよくわからない手書きの看板を手に、構内を歩き回る。たまに他の出店で買い物をしつつ、一般客らしき人へビラを渡していく。

 もうそろそろ、彼は着くだろうか。昼前には着くといっていたから、入口の近くに行っていよう。チケットを渡して、少しでも一緒に回れたら嬉しい。はしゃぐなんて私らしくもない。だから、罰が当たったのかもしれない。

「晶!」

 少し離れたところから声を掛けられる。彼の声だ。

「陸、久しぶり」

「久しぶり。似合ってるじゃん」

「褒められてるのかな……。とにかく、来てくれてありがとう」

 久しぶりに見る彼は、あまり変わっていないようだった。少し残念に思いながらも、安心した。彼は、まだ私の知る彼のままでいてくれた。ポケットから財布を取り出して、チケットを出す。

「はい、割引チケット。ちょっと奥のほうのブースだけど、案内する?」

「どうしよっかな」

 よければ一緒に回らない?そう誘うはずだった言葉は、出すことなく胃に消えていった。

「陸くん、置いてかないでよ」

「楓」

 彼の名を呼んだのは、私の知らない女の子だった。ゆるく巻いた髪と、柔らかそうな色合いの服。つややかな唇。どうしようもなく、女の子だった。

「ええと、彼女は?」

「あーっと、俺の彼女」

「初めまして、楓っていいます」

「どうも。陸と同じ高校だった、高橋晶です」

「今日は誘ってくれてありがとう!ここの学祭、面白いって聞いてたんだ」

「俺も初めてだからわからないけれど、楽しんでって」

 それじゃあ。そういって離れるまで、私は普段通りにふるまえていた。それがなんだか悲しかった。

 ああ、やっぱり。私じゃ駄目だったんだ。私は彼の好意の対象にはなれないんだ。それが突き付けられた。悲しいとも思えず、ただただ納得した。

「寒いなあ」

 ぽそり、言葉が零れ落ちる。寒い。内臓がすっかり消えてしまったみたいに空虚で、冷たくはないけれど、寒い。悲しくはない。楽しくもない。目元に手を当てる。泣くこともできない。

 彼はこの学祭を楽しんでくれるだろうか。彼女と一緒に。大切な人と二人で。私ではない人と一緒に。彼が楽しんでくれるのであれば、それはきっと、嬉しいのだろう。だから、それだけで、もう十分だ。切り替えるように表情を取り繕って、集客に勤しんだ。


 始まらなかったこの思いは、どうやって終わらせればいいのだろう。いつか、彼の人生最良の日に一世一代のスピーチができるように、そしてその後に一人で泣けるように、どうかこの思いの名前を教えてください。

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坂道を転がる 村部 @murabe

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