第7話 聖女じゃなくてスポーツトレーナーです
背中に寒気を感じると同時に、俺はムッとする。
「ナディルが優勝できたのは、あいつの努力の
「もちろんそうだ。努力もなしに祝福を享受することはできないからな。……そして、君がナディルを導いた」
「俺がやったのはスポーツトレーナーなら誰でもできる指導です。魔法なんてものじゃない。俺たちの努力をおかしな聖女の祝福なんかと一緒にしないでください!」
俺の剣幕に、騎士団長は驚いたようだった。やがて、またクツクツと笑い出す。
「君は、本当にナディルを好きなんだな」
当たり前だ。スポーツトレーナーが、担当する選手を好きになれなくて、どうして信頼関係を結べるだろう。
他人がどうかは知らないが、少なくとも俺は、誰かのトレーナーになるのなら、その選手の一番のファンになると決めている。
逆に言うなら、好きになれる見こみのない奴のトレーナーは絶対にできないってことだ。
ナディルのトレーナーをやっている時点で、俺がナディルを気に入っているのは言うまでもないことだった。
決まり切ったことを確認するなという意思を込めて見返してやれば、なぜか騎士団長の目にトロリとした熱が灯る。
「ああ、羨ましいな。……俺も悠也の指導を受けたい」
「へ? 俺の?」
この騎士団長が?
それとも騎士団のトレーナーにしてくれるってことか?
……ひょっとしてこれは、待ちに待っていた就職のチャンスではないのだろうか?
騎士団長はなんだか気にくわないが、騎士団全体のスポーツトレーナーということであれば、団そのものを俺好みのチームに育てればいいってこと。
――――それに、ここまでの話の流れを読むに、どうやら俺には聖女疑惑がかかっているらしかった。
今の聖女が「ハズレ」であれば、どこかに「アタリ」がいるのではないかと思うのは自然なことで、まずいことに俺は聖女と一緒に召喚された異世界人だ。
しかも、俺がスポーツトレーナーになったナディルは、予想外の成長を見せトーナメントで優勝してしまった。
あの祝福のお呪いが、誤解に拍車をかけているのは間違いない。
まったく迷惑至極な話だ。
俺がやっているのは、回復や祝福の魔法じゃなくて、ただのテーピングとお呪いなのに。
……だいたい、男の俺はお喚びじゃないんじゃなかったのか?
それでも、このままではよくないってことは、容易に予測がついた。
下手すりゃ、捕まって聖女に祭り上げられて、生涯監禁コースだ。衣食住は保証されるのかもしれないが、自由な行動は制限される。
なによりそんなことになったのなら、ナディルのスポーツトレーナーを続けられなくなるじゃないか!
ナディルはまだ十七歳。ここまで育てたあいつが、これからさらにどんな成長を見せてくれるのか、俺は楽しみでしかたないのに。
そして、俺こそがナディルの成長を支えるスポーツトレーナーでありたかった!
「……俺が騎士団のスポーツトレーナーになったら、騎士団は俺を守ってくれますか?」
召喚された聖女は、神殿預かりになるのだという。世話係に王子がついたり、騎士団から護衛が派遣されたりするが、正式な所属は神殿だ。
だとすれば、俺を捕まえようと手を伸ばしてくるのは神殿のはずで、俺にはその手を撥ね除けてくれる権力者の庇護がいる。
目の前の騎士団長はいかにも曲者だが、それゆえに頼りになりそうだった。
騎士団長は満足そうに笑う。
「やっぱり悠也は頭もいいな。……ますます私好みだ。――――もちろん君が騎士団を指導してくれるのなら、我々は全力で君を守ろう。……騎士団ではなく私専属でもかまわないぞ? 私もこう見えて、神殿のクソ爺どもを黙らせるくらいの権力はあるからな」
そいつはノーサンキューだ!
ぜひ騎士団の方でお願いしたい。
俺がそう言おうと思ったときだった。
騎士団長室のドアが、バン! と無遠慮に開けられた。
「ユーヤ! 無事か?」
旋風のごとく飛び込んできたのは、ナディルだ。騎士団長の前に座っていた俺を立ち上がらせると、ギュウギュウに抱き締めてくる。
こんな時だが、すっぽり彼の腕に収まってしまうくらいの体格差がついたことが、面白くなかった。ちょっと成長させすぎてしまったか。
そのままの体勢で、ナディルは騎士団長を睨みつけた。
仮にも上司だろうに、その態度はいかがなものか?
「ずいぶん乱暴だな。ナディル・スメグ・ザメディガ」
騎士団長は、フルネームでナディルの名前を呼ぶ。
「私に何の話もなく、ユーヤを呼び出したと聞きました。彼は私の専属スポーツトレーナーです。お話なら私を通してください」
対するナディルは、堂々と騎士団長にもの申している。いつもの彼とは思えないほど立派な姿だ。
背だけぐんぐん伸びてもまだまだ子どもだと思っていたのに……男子三日会わざれば刮目して見よとはこのことか?
いや、ナディルとは三十分も離れていなかったんだがな。
「私は、悠也に話があったのだ」
「っ! だから、ユーヤは俺の――――」
怒鳴り出しそうなナディルの頬を、俺はペチペチと叩いた。
「おいおい、落ち着けよ。相手に煽られて感情的になったらダメだと教えてあるだろう」
ピタリと動きを止めたナディルが俺を見下ろしてくる。
それにちょっとムッとしながらアメジストの目をしっかり見上げた。
俺に諫められたナディルは、たちまちへにょんと眉を下げる。
「……だって、起きたらユーヤがいなくって」
「昨日は祝勝会で寝るのが遅かったからな。今日くらいゆっくり寝かせてやろうと思って黙って出てきたんだよ。ちゃんと置き手紙をしておいただろう」
「団長に呼び出されたって書いてあった。団長のところに行くって……それで、俺、焦って駆けつけてきたんだ」
なんで焦る必要があったんだ?
でも、いつものナディルに戻ってきた。
「心配してくれてありがとうな。でも大丈夫だ。……それより朗報があるぞ! 俺、スポーツトレーナーとして騎士団で雇ってもらえることになったんだ!」
きっとナディルも大喜びしてくれるだろう。そう思って俺は報告した。
しかし、目の前の美青年はこの世の終わりかというような顔をする。
「……騎士団で」
「おう。嬉しくないのかよ? これで生活は安泰だし、騎士団でも指導をしてやることができるんだぞ」
今までも騎士団の訓練は時々見に行っていたんだが、あくまで俺の身分は見学者。訓練内容に疑問は覚えても意見することはできなかった。
それが今度はスタッフとして関わることができるようになるのだ。これが嬉しくないはずがない!
しかし、それでもナディルの表情は晴れなかった。
「そんな。ユーヤは俺の専属なのに……他の奴らにも指導するようになるだなんて」
どうやらナディルは、俺が他の騎士たちの面倒を見るようになるのが嫌らしい。
これは、あれか?
お兄ちゃんが上の学校に行くことを嫌がる弟のようなものか?
うんうん。そういう心理もわからないではないぞ。こういう時は、あれだな。ともかく安心させてやればいいんだよな。
「大丈夫だ、ナディル。俺が騎士団に雇われてもお前のスポーツトレーナーなのは変わらないからな。だいたい俺たちは一緒に暮らしているんだ。これからは仕事中も一緒で、一日中ずっと傍にいられるんだぞ」
「……ずっと、一日中一緒に」
俺の言葉を聞いたナディルは、表情を緩ませた。なんとなく恍惚としているようにすら見えるのだが、大丈夫だろうか?
ちょっと心配になるが、ともかくこれで騎士団への就職には反対しなくなるはずだ。
やれやれ一安心――――と思ったのに、ここまで黙って見ていた騎士団長が余計なことを言い出した。
「そのことだが、安全面を考えると悠也は騎士団の敷地内に引っ越してきた方がよくはないか? もちろん最高の住宅環境を整えることを約束するぞ。……なんなら、私の邸でもいい。全力で君を守ろう」
それは、ある意味ありがたい申し出ではあるが、言い出すタイミングとかあるだろう?
せっかくナディルが落ち着いたのに、火に油を注いでどうするんだ!
「なっ! 引っ越しなんてするものか!」
「もちろんお前は引っ越さなくていい。私が守りたいのは悠也だけだからな」
「……また、気軽にユーヤを呼び捨てにして! ……ユーヤ、やっぱり俺は騎士団への就職は反対だ! 今まで通り二人でやっていこう! ユーヤは俺が養うよ」
「引っこんでいろ。ガキが」
「なんだと!」
――――そら見ろ。とんでもない修羅場になったじゃないか。
どうするんだよ、これ?
俺は、天を仰いだ。
◇
……その後、なんとか二人を落ち着かせ、ナディルに俺の聖女疑惑の話をして、渋々とではあるが騎士団への就職を納得させた。
住居は折衷案で騎士団のすぐ近くに引っ越すことに。もちろんナディルと二人暮らしだ。
まあ、ちょくちょく騎士団の誰かや、あるいは騎士団長が直々に訪ねてくるから、以前より賑やかにはなっているが。
「……やっぱり我慢できない! ユーヤ、待っていて。俺がすぐに強くなって、騎士団長に成り代わるから! そうしたら俺たちの家には全員立ち入り禁止にする!」
「ハン、百年早い!」
「百年? 百日の間違いだろう?」
バチバチと睨み合うナディルと騎士団長。
ライバルが身近にいるのは、まあいいことだよな。
彼らの争っている理由が騎士団長の座ではなく、俺の傍にいることみたいなのは、ちょっと……だいぶ問題だとは思うが。
いつの間にか二人は、訓練場に飛び出し模造剣で打ち合いをはじめた。
どちらも真剣で、戦う姿は美しい。
俺は、ハムとチーズをたっぷり挟んだサンドイッチとフルーツヨーグルトを準備した。試合後すぐにタンパク質と糖質の補給をしないと、筋肉が減ったり修復ができなかったりするからな。もちろんミネラルとビタミンの摂取も忘れない。
ナディルと騎士団長に食事を運びながら俺は空を振り仰ぐ。
底抜けに透き通る綺麗な青空だ。
神殿の中なんかでは決して見えない空だろう。
俺の異世界スポーツトレーナー生活は、まだまだここから続いていくのだった。
なりたてスポーツトレーナーですが、見習い騎士を育てます 九重 @935
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