第5話 回復魔法……じゃないから!

 とはいえ、さすがに決勝戦はそうそう簡単には勝てなかった。

 相手は、実戦経験もある三十代前半の騎士。剣技の冴えと体力はナディルが上だが、技巧と粘り強さ、そして狡賢さは向こうが上だ。真っ向勝負を挑むナディルの剣を、のらりくらりと躱して焦りを引き出そうとしてくる。

 まあ、そんな心理戦に、俺の育てたナディルが負けるわけがないんだがな。

 こちとら、伊達にメンタルトレーニングを積んでいない。

 ジリジリとした試合運びにも表情ひとつ乱すことなく、前半戦を戦い抜いたナディルは、五分間のインターバルで俺の元にやってきた。

 俺は、ナディルを椅子に座らせると手早く鎧を外し、肩を露出させる。先ほど強かに打ち据えられていた箇所にテーピングを施した。

 試合中に俺が控えているのは、サッカー会場のテクニカルエリアみたいな場所で、観客からよく見える。

 肩だけとはいえナディルの鍛えられた肉体を見たご令嬢たちから黄色い悲鳴が上がった。

「きゃあ! なんて引き締まった美しいお体なのかしら」

「あんなにお優しそうなお顔なのに、あれほど鍛えておられるなんて」

「あの三角筋の素晴らしさをご覧になって! きっと棘上筋きょくじょうきんから棘下筋きょっかきん小円筋しょうえんきん肩甲けんこう下筋も完璧に鍛えていらっしゃるのでしょうね!」

 一部、筋肉フェチではないかと思われる発言も漏れ聞こえたが……いや、気にすまい。

「見ろよ! あれが魔法のテーピングだ」

「どんな痛みもたちどころに消失させる回復魔法なんだろう?」

「それどころか、怪我まで防いでくれるらしいぞ」

「ああ。俺も一度でいいからテーピングされてみたい!」

 ……なんだかテーピングについて、おかしな噂が流れているようだ。

 気にはなるのだが、今はナディルの方が優先だ。

「他に痛むところはないか? 動きを見ている限りは大丈夫そうだったが」

 持参したスポーツドリンクを渡し、顔を覗きこんで確認すれば、アメジストの瞳に俺が映った。

「大丈夫だよ。……でも、できればのお呪いがほしいな」

 祝福のお呪いとは、スポーツ選手がよく行うルーティンのことだ。有名なのは、某ラグビー選手のキック前のポーズだろう。メンタルトレーニングとしてナディルに勧めたら、俺からのお呪いを強請られた。

 本当は自発的に行うことの方がいいのだろうが、家族や友人と会話することをルーティンにしているスポーツ選手もいるし、本人がそれで自分の思考と行動をコントロールできるのならば、効果はあるのだろう。

 もちろんこの試合前にもやってあるのだが、後半戦の開始前にもしてほしいらしかった。

 ちょっと小っ恥ずかしいので、衆人環視の中ではやりにくいのだが。

「ダメかな?」

 ナディルは不安そうに首を傾げた。

 ああ、もう! トレーナーの俺が選手を不安にさせてどうする!

 覚悟を決めた俺は、ナディルの顔を両手で挟んだ。そのまま自分の顔を近づけて、ぶちゅっとデコチューをお見舞いする。額へのキスは『祝福』なんだと聞いたことがあった。

「きゃあ!」

「ステキ!」

 周囲から黄色い歓声が上がる。

 ……ステキってなんだ?

 ひょっとして、この世界にも腐女子っているのか?

「祝福の魔法だ!」

「あれが噂の」

「この目で実際に見られるなんて!」

 魔法じゃなくてお呪いだ!

 ……ていうか、噂になっているのか?

 気になる噂が増えてしまったが、ナディルが嬉しそうだから、まあいいか。

「行ってくる。……必ず勝つからな」

「おう。お前ならできる」

 椅子から立ち上がったナディルの顔を、俺は下から見上げた。

 本当にでかくなったな。

 心身ともに成長したナディルを、俺は笑って送り出す。


 ――――そして、ナディルは見事に優勝した。

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