第4話 一過性の代役
その後、俺は頑張った。
テーピングや筋肉、体幹トレーニングに加え、ナディルの毎日の食事の献立も考える。
「一日三食は基本だぞ。瞬発力をつけるには筋肉をふやさないといけないからな。タンパク質とビタミンと糖質も一緒に取れるメニューを作った。あと、試合開始の四時間前には食事を終わらせろ。胃に食べ物が残っていると血流が胃に集中するからな」
もちろんメンタルトレーニングも同時開始だ。
「――――ナディル、お前に好きな人はいるか?」
俺が聞けば、ナディルは顔を真っ赤にして狼狽えた。
「へっ? な、なんだよ急に!?」
……これは、確実にいるな。
「いるならいい。好都合だ。その好きな相手は、お前ががんばって騎士団のトップに立てば喜んでくれる人か?」
「も、もちろんだろう! 今だって、俺が強くなるためにいろいろ考えて応援してくれているんだから……」
赤い顔のまま、ナディルはボソボソと呟く。チラチラと俺を見るのだが、悪いが俺は、お前のそんな個人的情報まで知らないからな。
「その人が喜べば、お前も嬉しいよな?」
「当たり前だ!」
元気よく即答されて、俺は、うんうんと頷いた。
「よかったな。お前はますます強くなれるぞ」
俺が断言すれば、ナディルは不思議そうな顔をした。
わからないのなら、説明してやるだけだ。
「いいか。――――お前がその人のためにがんばれば、その人が喜ぶからお前は嬉しい。嬉しいからお前はもっとがんばるし、そうするとその人はもっと嬉しい。これが無限に続けば、どうなると思う?」
誰かのためにがんばるというモチベーションは、順調に結果が出ているときにはいいことなのだが、一歩躓くと責任逃れの言い訳や逃げ道になってしまう。それを防ぐために必要なのが、誰かのためのがんばりが自分のためのがんばりにもなっているという思考の転換だ。自分が幸せになれば、自分を好きな相手も幸せになれると思えれば、人は高いモチベーションを保ち続けることができる。
「俺ががんばれば、本当にその人は嬉しいかな?」
そんなもの本人に聞かなければわかるはずがない。
しかし俺は、大きく頷いた。
「ああ、間違いなく嬉しいはずだ。俺だったら嬉しいからな」
「本当か!?」
何故かナディルは身を乗出してきた。
もちろん俺は自信満々に肯定する。
「本当さ。その人が嬉しければお前も嬉しいだろう?」
紫の瞳が喜びに輝いた。
「もちろん! 嬉しいに決まっている! ……そっか、俺のがんばりは、俺たちふたりの嬉しいになるんだな! なあ、そうだろう、ユーヤ?」
ナディルは満面の笑顔で聞いてきた。
正直こちらも本人以外にはわかるはずもないことだが、俺は大きく頷いて見せる。
無責任だと言うことなかれ。これはメンタルトレーニング。ナディルのやる気を出して、本番でも高く保ち続けることができるようにするためなのだ。
ナディルの好きな誰かが、どんなつもりでいるかはわからないが――――いや、これだけ素直な美少年に好かれて、嫌だと思うような人間がいるはずはない!
この時、俺は無責任にそう断じた。
◇
それから一年。
「ナディル、食事ができたぞ」
「――――うん。今行く」
俺のかけ声を聞いたナディルが、汗を拭きながらキッチンに入ってくる。毎朝のルーティンであるストレッチが終わったのだろう。頬は赤いが表情はスッキリとしている。
いつも通りの様子に、ホッとした。
「うわっ! 今日はポテトパスタだ。おにぎりにフルーツポンチまであるじゃないか!」
テーブルの上を見たナディルは、声を弾ませる。腕を振るった甲斐があるというものだ。
「ああ。今日はいよいよ決勝戦だからな。朝は糖質とビタミン中心のメニューにした。あと、試合開始二時間前に食べるカステラと直前の栄養補給用のジュースやスポーツドリンクも準備したぞ」
「やった!」と、ナディルは拳を握る。
一ヶ月前からはじまった国王主催の騎士団トーナメント戦。
その決勝戦に、今日ナディルは出場するのだ。
騎士団長をはじめとした過去のこの大会の優勝者は出場しないとはいえ、大多数の騎士の頂点に王手をかける位置まで、俺たちは登ってきた。
張り切って食事の準備をするのも当然だろう。
試合当日の食事は、消化時間を考慮して食べるタイミングを計画しなければならない。その調整もスポーツトレーナーである俺の仕事だった。
アメジストの眼を輝かせてテーブルについたナディルは、一口食べるなり「うまい!」と叫ぶ。
「ユーヤの料理は最高だ。やっぱり邸を出てよかったな」
口をもぐもぐさせて話すのは行儀が悪いのだが、言っている内容は俺への賞賛だから目を瞑ろう。
――――俺とナディルが魔法長官の邸を出て二人暮らしをはじめたのは、半年ほど前のことだった。
表向きは俺がナディルの指導に専念し計画的に行うためとなっているが、実態は違う。成長期で急速に身長が伸びた上に、俺の適切な栄養指導とトレーニングのおかげでバランスよく筋肉がついて大人びたナディルに、魔法長官の長男の妻が色目を使いはじめたのだ。
長男は、典型的な文官体型で父親そっくりの陰気顔。対してナディルは美少年から美青年に進化を遂げた細マッチョだ。どっちが女性に人気があるかなんて比べるまでもないことで、長男の妻の気持ちはわからないでもないのだが……いや、しかし人妻なのだから自重してほしかった。
長男の妻は、それとなく誘惑してもナディルが反応しなかったため、実力行使に出た。なんと、ナディルの私室に夜這いをかけたのだ。
運良く第三者が居合わせたため未遂となって、ナディルの無罪も証明されたのだが、それでも長男は、ナディルが自分の妻を誘惑したと思いたかったようだ。
「お前のその容姿のせいだ。家を出て行け!」
そんな無茶苦茶を言い出したから、渡りに船とばかりに独立した。
事を公にしたくなかった魔法長官から、たんまり金をふんだくって、その後は悠々自適の二人暮らし。トレーニング三昧させてもらっている。
ただ、問題はこの件が原因でナディルが極度の女嫌いになってしまったこと。
「恋人なんていらない! 俺にはユーヤがいれば、それでいいんだ」
そういうお年頃なのかもしれないが、引く手数多にモテているのに、もったいないことこの上ない。
まあ、これだけの美形なら、将来その気になったときも女に不自由することなんてないだろうから、好きにすればいいか。
……え? 俺?
俺はいいんだよ。昔っからモテたことなんてなかったからな。放っといてくれ。
目下のところ俺たちの一番の関心事が、恋愛ではなくナディルの騎士としての成長にあるのは言うまでもない。
「食べ終わったら腹ごなしも兼ねて決勝戦の会場の下見に行こう。屋外だから天候で地面のコンディションも変わっているだろうし、決勝戦独特の物の配置もあるかもしれないからな」
「うん。……ユーヤ、いつもありがとう。俺がんばって優勝するよ」
「おう、がんばれ。お前が優勝すれば、俺も嬉しい」
「ユーヤが嬉しければ、俺も嬉しいよ」
長男の嫁のせいなのか、ナディルの好きな相手は誰ともわからぬ女性ではなく、身近な俺になっていた。
まあ、一過性の代役だろうから甘んじて相手をする。
いつもの会話を交わして、俺とナディルは笑い合った。
勝つと言いながら、彼の表情には気負いもストレスも感じられない。
きっとこいつは優勝できると、俺は確信した。
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