第3話 未来展望

 そんな経緯でナディルにテーピングをしてやるようになった俺だが、いい加減堪忍袋の緒が切れかかっている。

 いつまで経っても、ミイラ男の包帯の量が減らないからだ。

「どんな訓練をすれば、これだけ体が痛めつけられるんだ! もういい! 俺は明日お前の訓練を見に行くぞ!」

「えぇっ! ユーヤが騎士団にくるの?」

 怒鳴りつければ、ナディルは目に見えて狼狽えた。

「なんだ? 俺が騎士団に行っては都合が悪いことがあるのか?」

 ジロッと睨めば視線を逸らす。

「い、いや、そんなことはないけれど……なんていうか、恥ずかしいみたいな?」

「何を恥ずかしがっている! お前は、父兄参観に親が来るのを嫌がるお子さまか?」

 十六歳なら、間違いなく思春期のお子さまだろうけど。

「父兄参観? それが何かはわからないけど……でも、騎士団なんかにきたって面白いことは何もないよ!」

「いいから行く! これは決定事項だからな!」

 俺は、高らかに宣言した。


   ◇


 そして、その翌日。

 渋るナディルに無理やり案内させて訪れた騎士団で、俺はどうして彼がこんなに自分の訓練を見られることを嫌がっていたか知ることになる。

「そらそら、早く立てよ」

「お偉い魔法長官のお坊ちゃまは、地面に這いつくばるのがよほどお好きと見える」

「そりゃそうだ。俺たち平民上がりの騎士とは違って、お坊ちゃんは邸に帰ればふかふかの絨毯にしか寝転がれないんだからな。今のうちに地面と仲良くなりたいんだろうよ」

「最近、動きがちっとはまともになったと思ったけど……まだまだだな」

 ゲラゲラと笑うがたいの大きな騎士たちに、ナディルは入れ替わり立ち替わり打ち据えられていたのだ。

 ――――訓練なんかじゃない。誰が見ても一目瞭然のいじめだ。

 しかも、周囲はそれを黙って見ているだけ。

 それでもまだマシなのは、騎士たちがひとりひとり順番にナディルと立ち合っていることだった。大勢に囲まれて殴る蹴るの暴行を受けているのではないことだけが、救いと言えば言えるだろう。

 もっとも、だからこそいじめる側の行為は咎められずにいるのだと思われた。

 一対一の訓練ならば、文句をつけるのは難しい。……ナディルは一切交替なしで、彼より体格のいい男たちが代わる代わる相手をすることを一対一と言えるのならば、という条件はつくが。

 ――――まったく、けったくそ悪い。

 なぜなら、彼らがナディルをいたぶる理由がナディル自身にあるとは思えないからだ。

 自分たちを平民上がりと称する彼らは、胸に燻る貴族への不平不満を、ナディルを打ち据えることで晴らしているのだ。

 さらに奴らのたちが悪いのは、高位貴族の子どもの中でも親が無関心なナディルを狙っていることだった。どんなにナディルを痛めつけても報復がないだろうことを、彼らはわかっている。


 俺の胸の中に、沸々と熱い何かが生まれた。

 ――――もっとも、今の俺には打つ手がない。平和な日本から召喚された一般人の俺に、異世界の騎士に立ち向かえる技術も気概もありはしない。

 だから俺は、ジッとその光景を見ていた。

 ナディルの一挙手一投足。彼らの一挙手一投足を、何ひとつ見逃すことのないように、目を皿のようにして見ていたのだった。


   ◇


 その夜から俺は、テーピングをした後でナディルに筋肉と体幹のトレーニングを指導するようになった。

「お前のその体格であいつらとまともに当たっても、負けるのが当然だ。だったら鍛えるべきは速筋で、瞬発力を鍛えるしかない。とりあえずはスクワット三十回。インターバルを挟んで繰り返していくぞ」

 俺の言葉にナディルは、目を丸くする。

「え? ……あの、えっと……ユーヤは、昼間の俺の訓練を見て幻滅したんじゃないの?」

「あの程度で幻滅するほど、お前に期待していない」

「えぇぇ~! ……何それ?」

 不満げにナディルは呟く。

 しかしその顔は、徐々に嬉しそうに緩んでいった。

「ユーヤが俺を鍛えてくれるの?」

「おう。できる限りのサポートをしてやる。それでお前が強くなれば俺のおかげだし、相変わらず弱いままなら、お前の努力が足りないせいだ」

「……何それ」

 わけがわからないと、ナディルは唇を尖らせる。

「筋トレだけじゃないぞ。栄養指導もしてやるしメンタルトレーニングもおまけにつけてやる」

 体を作るために食事が大事なのは、言うまでもないことだ。またメンタルトレーニングができているかいないかは、本番で実力を発揮できるかできないかの大きな違いを生む。

 ――――たとえば、自分より二割増しで強い相手がいたとして、その相手が本番では八十パーセントくらいの実力しか出せない奴ならば、自分が本番で百パーセントの力を出せば勝てる計算になる。そいつが百パーセントの実力を発揮できるのならば、こっちは百二十パーセントの力を発揮できるようになればいいだけだ。

 メンタルトレーニングができているかどうかは、勝敗を左右することなのだ。

「俺はスポーツトレーナーだ。さすがに剣術のサポートはしたことがないが……剣術だって体を動かすことに違いはない。――――俺が、お前を誰にも負けないトップアスリートにしてやる!」

「……ユーヤ」

 俺の言葉に、ナディルはアメジストの瞳を潤ませた。深く感動しているだろうことは、見ればすぐにわかる。

 俺は、心の中でヨシヨシと頷いた。

 トレーナーを信じさせるのも、メンタルトレーニングの第一歩だ。


 ――――そして、ナディルには悪いが、この時の俺は、心の中で私利私欲に塗れた計算もしていた。

 それは、俺が将来この世界で独り立ちするための手段について。

 もしも俺がナディルをトップアスリートならぬトップ騎士に育て上げられたなら、それを自分の仕事にすることができるのではないだろうか?

 騎士団のトレーナーとして雇ってもらえるかもしれないし、我が子を立派な騎士にしたい高位貴族の子どもの家庭教師ならぬ家庭トレーナーになれるかもしれない。

 そうすれば、俺の将来は安泰だ。俺に欠片も関心がない魔法長官が、ふと俺の存在を思い出して捨てようと思ったとしても、余裕で生きていける手段を手に入れられる。

「やるぞ、ナディル! お前は騎士団の星になる男だ!」

「ユーヤ!」


 この日から俺のナディル育成計画――――別名、俺の将来安泰計画がはじまった。

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