第2話 もう一人の「いらないもの」
俺が魔法長官の邸に案内されたのは、翌々日のことだった。
さすが国王の従弟と言う以外の感想が出てこない立派な邸宅で、でっかい客室を与えられる。
魔法長官の家族は、妻が三人、子どもが五人。長男夫婦は一緒に暮らしているが次男は独立、娘二人は嫁いだそうだ。
いずれも才能豊かな魔法使い揃いの中で、唯一魔法の才能を持たなかった末っ子の三男が、俺の相談役としてあてがわれた。
「年も近そうだし、仲よくなれるだろう」
末っ子は、十六歳。俺は二十二歳だ。
年齢を告げたら、ものすごく驚かれてしまった。日本人は若く見えるあるあるは、異世界でも通用するらしい。
魔法長官の三男は、美少女みたいな美少年だった。アメジストに負けない輝きを持つ紫色の目を、こぼれ落ちそうに見開いて頭を下げる。
「すまない! てっきり年下だとばかり――――あ、いや悪い。俺はナディル。ナディル・スメグ・ザメディガ。騎士見習いをやっている」
肩で切り揃えた銀髪が、サラリと揺れた。
この天使と俺が、どうしてタメに見えたんだ?
「……騎士見習い?」
俺は、つい聞き返した。
魔法長官の息子が騎士、しかも見習いだとは思わなかったからだ。
ちなみにこの世界では、騎士と魔法使いは別々の所属で、あまり仲がよくないと聞いている。
ナディルは、恥ずかしそうに笑った。
「ああ。俺は魔法が使えないからな。騎士になるしかなかったんだ」
あっけらかんと笑う顔は明るいが、アメジストが暗く陰っている。
俺は、こっそり視線を魔法長官に向けた。
草臥れた四十路の男は無表情。
俺は、ああと思った。
このおっさんは、異世界から誤って召喚し、世話を押しつけられた俺に、魔法に秀でた一族の中で唯一魔法が使えない子どもをあてがったのか。
本当にくそったれな父親だ。
――――まあ、いい。衣食住さえ面倒見てもらえるのなら文句はないさ。
「俺は、森 悠也だ。こっちの世界風に言うのならユーヤ・モリかな」
年下の少年に敬語を使うつもりはない。ナディルだってため口なんだから、俺もため口でかまわないだろう。
案の定、魔法長官は何も言わなかった。
「ユーヤ、ユーヤだな。よし覚えた! これからよろしく!」
屈託なく笑うナディルに嘘は見えない。このオヤジの子にしては、ずいぶん真っ直ぐに育ったものだ。
「よろしく」
そんなつもりは少しもないけれど、俺はそう言った。
◇
そう。俺は「よろしく」なんてするつもりは、本気でなかったんだ。
なのに、何故こんなことになっているのだろう。
「イタタタタ。痛いよユーヤ」
「ちっとは我慢しろ! まったく、あれほどムリはするなと言ったのに」
俺の目の前には、下履き以外着ていない、ほぼ半裸のナディルがいる。
顔は美少女だったのに脱いだら意外に筋肉質だったこいつを椅子に座らせて、俺はテーピングをしてやっていた。
テーピングというのは、スポーツ選手が関節や筋肉などに、負傷や悪化を防ぐ目的でテープを巻いて固定することだ。スポーツトレーナーだった俺は、正しいテーピングの知識を持っている。
「だって、ユーヤにテーピングしてもらうと、嘘みたいに自由に動けるようになるんだもん! 疲れにくいし、動かす度に痛かった肩や足首も平気になった。魔法みたいだよ!」
「魔法じゃなくテーピングだ。あと患部は治ったわけじゃなく、痛みが出ないように固定しているだけだからな。これ以上ムリするようなら、まったく動けなくなるようにガチガチに固めるぞ」
「うわっ! それだけは止めてくれ! 今度からきちんと気をつけるから!」
ナディルは、両手を合わせて俺を拝んでくる。
俺は、深いため息をついた。
――――こんなことになったそもそものきっかけは、ナディルと会った翌日の夕飯時。
食堂に案内してくれた彼の歩き方に、俺が違和感を持ったからだ。
別にナディルの歩みが遅かったわけでもないし、足を引きずっていたわけでもない。ただなんとなくバランスが悪く見えて、足を気にしながら歩いているなと思った。
そして、俺はそういう歩き方をする奴を結構たくさん見てきていたのだ。
「ナディル。風呂から上がったら俺の部屋にこい」
「え? ……えぇぇっ!」
俺がそう言ったとたん、ナディルは真っ赤になった。
「お、俺、ちょっとそういう接待は、したことがなくって――――」
もじもじしながら逃げようとする。
「……接待?」
何を言っているのかと思ったが、周囲の使用人たちが、一様に眉をひそめるのを見て……ハッ! とした。
ナディルは、一見美少女みたいな美少年だ。そんな彼を風呂上がりに呼びつけた俺のセリフは、どこのエロオヤジかと思われるもの。
「ばっ! そんな意味じゃない!」
「そ、そっか。そうだよな。……う、うん。いくよ。俺もまだまだユーヤと話し足りないから」
俺は話し足りないわけじゃない! でも、そう言ったらまたあらぬ誤解を生みそうだ。
仕方ないから頷いた。
ナディルは嬉しそうに笑って離れていく。
――――そして俺はその夜、部屋にきたナディルを裸にヒン剥いた。
「なっ! こんな意味じゃないって言ったじゃないか!」
ナディルは涙目で抗議する。
「うるさい! 黙ってそこに座って足を開け。あと上半身も隠すなよ」
エロオヤジセリフ爆裂だ。……いや、決して楽しんでいるわけじゃないぞ。
「えぇぇっ!」
狼狽えるナディルを無理やり座らせた。
見習いとはいえ騎士のナディルだ。本気で逆らわれたら敵わなかったのかもしれないが、俺という客人に対する遠慮があったのだろう、彼は真っ赤になりながらも言うことを聞く。
「ひゃっ!」
「……やっぱり」
足を取って触って見ると、足首が腫れていた。内反ねんざをしているのは間違いない。
「どんな風に痛い?」
「へ?」
「足首だ。踏み込むと痛いとか、伸ばすと痛いとか、急に止まると痛いとか、何かあるだろう?」
真っ赤になって震えていたナディルは、ポカンとなって紫の目を見開いた。
「ど、どうしてわかるんだ? ……あ、その、踏み込むと痛い」
ねんざを繰り返して足首がゆるくなっているのだろう。くるぶしと踵骨がぶつかって痛むのだ。
「足首を九十度に曲げてそのままでいろ」
俺は、ナディルの足をスツールの上に乗せた。立ち上がって異世界召喚されたときに持っていたトレーナーバッグを取り出す。――――トレーナーバッグとは、テーピングに必要な器具を収納するバッグのことだ。
なんでそんなものを持ち歩いていたのかと思われるかもしれないが、あの時の俺は就職後はじめて出勤する途中だった。職場に何を持っていけばいいのかわからずに、いろいろ考えたあげく、バッグごと持ってきてしまったのだ。
落ち着いて考えれば、バッグの中身はスポーツジムに備え付けてあるだろうものばかり。バカだったなぁと思うけど、それだけ緊張していたのだ。
まあ、それが今役立ちそうなのだから、世の中何が幸いするかわからない。
俺はテーピングテープの中から、一般的な非伸縮テープを選んだ。
その後、ナディルの足のくるぶしに添ってサポートするようにテープを貼っていく。
「他は? 痛いところとその症状を全部言え」
どうせついでだ。俺は、ナディルに聞き取りをしながらテーピングを施していく。
「すねの内側が痛い」
「太ももの裏側がつるみたいで」
「剣を振ると肘がズキンとして」
「首をひねると違和感があるんだ」
よくもまあこんなに症状があるものだ。
終わったときには、ナディルの体はミイラかというくらいテーピングテープで覆われていた。
「まったく、なんでこんなに全身負傷しているんだよ。この世界には回復魔法がないのか?」
俺がブツブツと呟けば、ナディルはあっけらかんと「あるよ」と言った。
「へ?」
「うおっ! すごい! 痛みがどっかに飛んでいった。体を動かしてもどこにも違和感がないぞ!」
ナディルは大喜びで足踏みしたり腕をグルグル回したりしはじめる。
「こら! いきなり動くな。テーピングは筋肉や関節をサポートしているだけで治しているわけじゃないんだぞ! ……それより、回復魔法があると言ったな?」
俺はナディルを止めながら、先ほどの発言を問い質した。
「ゴメンゴメン。でも、こんなにどこも痛くないことは久しぶりで嬉しいんだよ! ――――あ、回復魔法はあるよ。でも、使える魔法使いが少ない稀少魔法だからな。俺みたいな騎士見習いの怪我になんか使ってもらえないのさ」
一切の不平不満もなく、当たり前のこととしてナディルはそう言った。
地球で言うところの貧乏人は医者にかかれないっていうのと同じことか?
ナディルは腐っても魔法長官の息子のはずだが……いや、魔法の素養のない息子では庶民と同じ扱いなのかもしれない。
飛び跳ねたくてウズウズとしているナディルに、俺はパンツを差し出した。とりあえずブラブラさせるのは、止めておけ。
「ありがとう。ユーヤ」
「礼なら、このテープと同じもので返してくれ」
俺は鞄からテーピングテープを取り出した。この世界にテーピングテープはなさそうだが、服や布製品の品質は悪くない。見本があれば作れるはずだ。
「ん。……でも不思議だよなぁ。こんな細い紐を巻き付けるだけで俺の痛みを消せるだなんて。やっぱり魔法みたいだよ」
「違う」
俺はきっぱり否定した。
ナディルの紫の目に浮かんだ憧憬みたいな輝きは見て見ないふりをする。
「……ありがとう。ユーヤ」
「そう思うんなら、もっと自分の体を大事にしろ」
俺の言葉に、ナディルはとても綺麗な笑みを返した。
まあ、体がミイラでは、その美しさは半減してしまったが。
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