ぬいぐるみのサンタ

環月紅人

本編(9998文字)

 ――唐突だが、私はこの時期が嫌いである。

 それは恋人が居ないからだとか、リア充爆ぜろ的な、一種の楽しみ方をしたいわけでもない。

 純粋に、十二月の二十四日が、嫌いである。


 ★ / ☆


「はぁ……」

 うずうずした様子の後輩を見るのが嫌で自ら引き受けたけれど、あの後輩に優しくするのは二度と止めようかと思う。勤務時間を如何に過ごせばあんなに仕事を残せるんだか。会社が悪いのか要領が悪いのか。どっちもだと思った。

 気付けばあっという間に二十二時。夜中のオフィス、私の席の真上の電灯だけが煌々と照っているが、見渡せば周囲全てが暗闇になっていた。まるで、舞台のスポットライト演出みたいに。

 孤独や、悲劇や、そう言った主人公の心情を表すのに用いられる場面だ。

「……疲れたなぁ」

 誰にも拾われない呟きは、紙くずで溢れ返ったゴミ箱の底に吸い込まれていく。所詮感情はそんなもの。会社員に求められるものじゃ、ないし。

 ずぅ~っと椅子に座ってて、ずぅ~っと猫背で、ずぅ~っと眼を凝らしてパソコン画面を眺めていたせいで、身体中がミシミシと泣く。

 二十代中頃としては残念なくらいに凝り固まった肉体と言えるだろうか。

「ふぁくさまでしたー」

 性格が悪いといってくれて構わない。誰もいないオフィスに対して中指立てながらそう言い残し、ようやっと会社を後にした。

 ――そうだ、今日は、二十四日だった。

 いや、後輩がうずうずしていたのはそれでだし、覚えてはいたけれど。

 鮮やかな色に染められた商店街を遠くから眺めて、愕然と、まるで銃口を突き付けられたような感覚にその事実を認めざるを得ない。

 そのことに少し立ち止まってしまい、マフラーをつまみ上げて鼻まで覆う。睨む目付きで腹を括ると、私はまた歩き始める。鼻に触れた指が冷たすぎて、まるで死人なんじゃないかと思う。

 多分私の顔には隠しきれないくらい目の下の隈が酷いだろう。この時期はどうしても厚化粧になってしまって、私がクリスマスに浮かれていると勘違いした上司の「素材のままが君はイイよお」なんてセクハラを受けてしまうくらいには、多分みんなに勘違いされている。

 違う。そんなんじゃない。私の化粧は、誰にも気遣われたくないからだ。

 その勘違いもイラつくけれど。

「上司の頭はバーコードでも誰も買わないのでした、まる」

 独り言ちて、笑えなかった。

 隈の原因だとか、私のクリスマス嫌いとか、語る気は、ない。わざわざ改めてまで意識したい感情では断じてないし。


 商店街を突き進む。

 営業サンタには眼もくれず。Windows98ぐらいの読み込みの速度で二人寄り添って前を歩くカップルには、声には出さないがガルルルと威嚇をして、退かせて。

 通りの木にくくりつけられたイルミネーションを視界に入れるのが嫌で、首を縮めてマフラーに沈み込むも、嘲り笑うような明滅は意識から離れてくれやしない。

 駅前広場の中心に設置されたクリスマスツリー。とても大きなそれは、不覚にも見上げてしまったけれど、高みから見下ろす星には嫌気が差してくるようだ。

 数瞬でも立ち止まってしまった自分を恥じる。

 違う。こんな日があるから。違う違う違う。


 少し遠くの方から、ジングルベルを歌う集団の声が耳に届く。一人一人を殴ってやりたいくらい陽気なハミングが腹立たしい。

 ――いつから、こうなってしまったのだろうか。

 小学生の、低学年までは、純粋に楽しいイベントだったのに。大好きなクマのぬいぐるみを、サンタさんに着せ替えて……。

 あの日もそうだった。無くしてしまったあの子はどこに行ったのだろう? せめてもの私の情として、大人になった今でもあの子の事はちょっと心配していたりする。

 ……いつの間にか、まなじりには仄かに暖かい水滴が浮かんでいて、商店街からはもう随分離れていて。

 人の往来も減る住宅街まで、たどり着いたようだった。


 一軒家の庭はさすがに手が込んでいるし、仄かに漂う良い匂いだったり、賑やかな音は、少し羨ましく感じるものがある。くそ、私弱ってるな。

 最近は我慢できるようになってたのに、珍しく長続きした残業の所為だろうか。歳では、ないはず。

 ……二十六って打たれ弱くなる?

 吐いた息が白くて、暗闇に残ったその膨らみがどこか好きで、遊んでしまう。なるほど、私は成長していないようだ。

 だから私はまだ若いです。

 家に着いた。アパートの一室だけど。

 カン、カンと踏み締めると音を立てる凍えた鉄製の階段を使って、二階へ。コートから両手を出して、悴んだソレを両手で揉み合って何とかほぐす。

 鍵が冷たい。でも指先も凍えてしまっているもんだから、不思議とそれは気にならない。が、思った通りの最善を尽くさない指が、ドアノブに鍵を挿そうとすれば失敗するし、鍵を取り零すしで舌打ちが漏れる。

 上手く、行かない! イライラムカムカとしていると身体もどこか暖まってきたけど、心が釈然としなかった。

 ひと悶着あったまま鍵をようやく挿し、回して、ガチャン。扉を引く。

 真っ暗な部屋が私を出迎える。いつものことだけど、この時期は強く意識せざるを得ない。私は天涯孤独なんだなと。


「ただいま」      「おかえり」

 ―――――ん?


 間髪いれずに誰かの声がして、玄関で靴を脱ぐのに四苦八苦して俯いていた頭をハッとして持ち上げる。……暗くて見えないけど、もしかして、……誰か、いる?

 サァーっと血の気が引いていく。鼓動が慌ただしくなってきて、色々考えちゃったせいか、毛穴が開いてマフラーがチクチクと肌に障る。

 震える声音で、深淵へと投げ掛けた。

「だれですか……?」

「マイヌェームゥイーズゥウ……」

 ウザったらしくそこで止める声。とりあえず反応はする。……泥棒だとしても、なんかおかしい。

 靴を脱ぐのを止めて、奥の部屋を見据えて、悴んだ片手を壁に這わせて感覚だけでスイッチを探して――覚悟を決めて、カチリ。ワンテンポ遅れて玄関と廊下が明るくなる。

 そして。

「アーィアームゥン……スワァアンタァアアア!」

 奥の部屋からわざわざ廊下に躍り出て、狭い室内で長身痩躯の男性?が両手をバッと広げる。お生憎、廊下は狭いもので、広げた手をガツンと壁に打ち付けると宣言後蹲って悶える不審者を、白けた眼で見守ってやることしかできない。

 マイネームイズからのアイアムは全くの無意味でしょ。よっぽど自分の名前を強調したいのがヒシヒシと伝わって、ウザったいことこの上なかった。

「で、誰なのよ」

「オゥ! ボクが名乗ったと言うのに聞いていなかったのだねミーィ! ぬぁらゔぁ、ならばぬぁらゔぁ……マイヌェームゥイー」

「ウザ」

「オゥ! ゴッドはイッツァデェェゥスッ!」

 こいつの微妙な英語喋りが果てしないほど癪に触る。無駄に引き伸ばしてて、馬鹿みたい。私だって、別に英語詳しい訳じゃないけどさ? このレベルはさすがにそう思うでしょ。おかしいって。あと「ぬぁらゔぁ」ってねっとりしてキモい。

 挙動が大仰で大道芸人のようなソイツを、改めて見る。もうなんか、一周回って冷静になってた。

 身長は……いくつだろう。私は身長がそこそこ大きい方だと思っているけれど、彼は更に大きく、外人さんみたいな背丈だ(英語は可笑しいが)。このアパートは狭いから大仰な手振りがしづらくて窮屈そうである。

 ひょろっこい肉付きで……え、返り血? 色あせた茶色柄のコートに、斑に付着する鮮やかな赤が目立つ。どこか猟奇的で、室内を確認するべきだけど生憎私は一人暮らしなのでそこに関して焦りはしない。殺人鬼がここに逃げ込んだ、ってのも、まったく笑えない話だけど。

「しくしく、しくしく」

「……クリスマスイブに、人の家で何やってんの? あんた」

 果てには踞って廊下の隅に、『の』の字を書きながらわざとらしく泣く変人を憐れんで、そう言った。

 すると、その顔がこちらを向く。

 ……ずっと触れていないけれど、触れないようにしていたんだけど、こいつ、どこで売っていたのか、ゆるキャラじみたクマの被り物を頭に被っているんだよな。着ぐるみのマスクとも言えるけど、胴体が何もコーティングしていない普通の人のまんまだからアホくさい。

 ディフォルメされた顔つきで大きい眼の焦点はずれていて、口は大きく開いていて、その顔は確かに笑顔なんだけど、角度次第で影が入ると途端に不気味に見えてくるのが怖い。服装と相まって、さながらクリスマスの猟奇的殺人者をイメージする。

 面白いのが、警戒するべきだろうに警戒させる気にしてくれないこいつの態度だろうか。こっちがアホらしくなるようだった。

 徐に立ち上がって、こちらを向き直る変人――もといクマが、ヤレヤレとした動きであろうことか私に一番言っちゃいけない事を言う。

「むぅーしろぉ? クリスマスイブにつまんない顔してるきぃーミィはぁ……」

「っ」

 ――いつの間にか、距離を詰められて彼のその手が私の顎を掬い、上を向かせる。クマの首もと、暗闇に隠れた首の造形。近距離で、その喉仏が動くのが見える。

「何やってんの?」

 ―――。

 そうだ。ハッとした。

 こんな馬鹿(クマだけど)に付き合ってやっている暇はない。懐からスマホを取り出して、とっとと通報して、この変態にはお帰り願おう。

 そのままはちみつでも食べようとして蜂に刺されて死ねばいい。もう知らない。興味ない。人の触れちゃいけない所を不用意につついた罰だ。しね。

 声のトーンを落としたクマがとても怖く感じられた。

 まるで、私の心のうちを見透かすようで、嫌いに思った。

「ボクはサンタ。君の願いを叶えにきたんだ」


 ★ / ☆


「ウィーウィッシュァアンッ! メルルルルルルクルスルマスルルル!」

「ルが多い。というかルないでしょ」

 あと妙に色っぽくァアン!っていうな。このクマ本当に気持ち悪いんだけど。

 結局、居座られている。クマには何となく見せたくなくて、仏壇に飾られる写真を伏せておいた。

 いつものこの時期なら、写真を眺めつつ、ビールを一缶だけ開けるんだけど、本当に邪魔だなぁこのクマは……。

「ん~ぅ~♪ ご馳走はノットですか! ノットですか! アイアムハングリィイイイ!」

「うるさい。誰か来たら、あんたが謝ってよ?」

 ちびちびと、写真じゃなくてクマを眺めて喉に流すビールはクソほど苦い。飲めたもんじゃないや。……いやまあ、毎年味は変わってないし飲み慣れてないからまずいのは変わらないんだけど、このうるさいクマは肴にもならなかった。

「そんなことよりティキンだよ! オゥ! チーィキンがにゃぁいとぉ! キュリッシュマスゥウンは始まらナイッ!」

「こいつ殴ろうかな」

 まだ少量だけれど、酔ってきてるせいかどこか暴力的になってる。……元からか。どちらにせよ、このクマに慈悲はいらない。

「て言うかさ、どうやって私の家に入れたの?」

「気になる? 気になる? 気になっちゃう? それはきっとコ☆イ☆ゴ☆コ☆ロ!――まさかの腹パン!?」

 ドム、という感触のあと『く』の字に折れ曲がって呻くクマが、壁にぶつかってずるずると腰を下ろした。うるさいな、隣人が来たらどうする。

 マスクをつけているくせに、まるで吐血した風にかぶりものの口許を拭って「へへ……俺もこれまで、か……」なんてふざける余裕を見せるので、元から目付きが悪いこの眼を更に細めてキツく睨んだ。

 ピシッと態度を改めやがった。

「そう、それは、MAGIC☆」

「あ?」

「ちょまとちょまと。あのね聞いて、うん。だからそんなイラつかないで。とりあえずね、うんその手下ろして。クマそういうの怖いから。怯えちゃうから。うん」

 威嚇してみれば、イヤイヤと両手を押し出してあまりにも嫌がられたので下がる。というか、私はそんなに怖くないはずだ。

 意外と傷付いてしまった自分がいて恥ずかしい。

「昔の君はそんなじゃなかったのに……いや、昔からヤムチャだよね失敬ヤァーンチャだよねホント」

「ヤムチャに成り下がった覚えはないんだけど」

 ムッとしてそう返すと、クマのくせに嘆息を残す。ヤムチャと私が同じだなんて、何より私に失礼じゃない?

 んん。ダメだ、酔ってきてる。つぶれちゃう前に、問い質して追い返さないと。クマのせいで気持ち悪い。

 なので、文脈を捨て置いて結論を急ぐ。

「じゃあさ、なんで来たの?」

「ぅ~ふぅん。さっきも言ったよボク。聞いてなかった?」

「ん?」

「今日は、何日?」

「しーらないっ」

「kawaii!!」

「しね」

「まーぁたくもぅ! 恥ずかしがり屋さんなんだから」

「うるせえ」

 話が全然進まない。

 ……ああ、思い出した。このクマの顔、私が昔持ってたぬいぐるみと同じだ。あの愛くるしいのが好きだったから、それの被り物が売ってるなら欲し……じゃなくて、それを被ってるこの男がどこか侮辱しているようで嫌なんだ。あのぬいぐるみはこんなこと言わないもん。

「あんたって、大っ嫌い。この時期も、浮かれた人達も、全部全部同列で大っ嫌い」

「ヤァーンチャな頃はそれはもう可愛い子だったのにどぅーんしてこうなっちゃんだろねぇえ? ボクぁすごい残念です!」

「しね」

「ァウツゥッ⁉︎」

 空になった缶ビールを投げつける。クリーンヒットすると、うめき声と同時にクマの頭が高速でスクリューした。前を向いた胴体に後ろを向いた顔がなんとも不気味なんだけど、クマの顔が見えなくなっただけ、心に平和が訪れていた。

「ほんと、大っ嫌い」

 ああ、理由尋ねる前に……こんな得体の知れない男の前で意識が落ちる。身持ちは硬くしてきたけれど、それもここまでだろうか。こんな変なクマに抱かれるのは溜まったもんじゃない。

 グルンと回りきった被り物を外したクマが、こっちに気づいて立ち上がり駆け寄ってくる。そのマスクの下を見たいところだったけれど、残念。突っ伏した頭は持ち上がらず背丈の大きなクマの頭部はちょうど視界から外れた。

「くそ……」

 隣に来たクマの香りが、懐かしくて涙が出る。

 そうして私は、意識を完全に落とした。この時期は嫌でも眺む、その、例の悪夢へと。


 ☆ / ★


 例年通りのクリスマス。凍えないように厚着して、徒歩で公園、駅、ショッピングモールを両親と手を繋ぎながら歩く。車は渋滞するからと使わず、ショッピングモールのファミレスでちょっと豪勢な外食をして、遊びまわり、予約していたケーキを持ち帰って、帰宅をする。その日一日はしゃいで歩いて、夜更けにはうつらうつらとしてイチゴのショートケーキを食べて、甘い気持ちいっぱいですぐに泥のように眠ってしまって。

 目覚めると枕元には、ラッピングの施されたプレゼント箱があって、およそ女の子とは思えない乱雑な破き方で中身を取り出して、喜んで、父さんに抱きついて、頬のジャリジャリが嫌で逃げて、今度は母さんに抱き着いて。

 とても楽しい日だ。


 それが呆気なくも崩れ去り、風に流されて行ったのはいつだろう? あの時期のことは正直思い出せない。鍵でも掛けられてるのか知らないけど、幼少期の記憶は儚げで、小学校低学年の頃は物心ついてないんじゃないかと錯覚してしまうくらいに。

 それくらい、空白だったりする。


 その日もいつものように、腹ごなしがてらの散歩でお月様の下を歩いていた。

 並び立つ街灯と、その狭間に浮かぶ電飾の施された並木。道路には案の定渋滞しているようで赤い光を灯したズラリと一列の車があって、夜になっても明るいし賑やか。

 クルクルと円を描くように、二人の周りを私は踊る。楽しげに並ぶ三つの影はたわいもない会話をして、寒空で心を暖め合う。母さんの手にあるケーキの箱が、帰宅後のイベントを確かに感じさせてくれて、家が近づけば近づくほどテンションはうなぎ登り。子供の頃の私は寒さなんて知らなかったんだと、今になれば痛感する。

 男女の塊が多くなってくると、その頃の私は両親の手を繋いでいないとひどく不安になっていたけど、それも幸せだったと感じられる。

「ロズウェルだな」って父さんが言って、私の腕を持ち上げる。片側だけ上がったそれは少し痛いけれど、すぐに母さんも手を持ち上げてバランスを保ってくれて、私は宙ぶらりんではしゃぐ。そうすると決まって父は、ケラケラと笑う私を肩車してくれたんだ。目線が高い世界に映る、キラキラとしたイルミネーションは最高だった。

 人が多い場所で両手を繋いでいるときは、いつも抱えるクマのぬいぐるみを母さんが預かってくれていたんだけど、肩車してくれてる時は手元に戻って来てくれた。父さんの頭の上が、クマの定位置だった。


 懐かしい記憶。何故忘れてしまっていたんだろう。……いや、どうせこれも夢の間のひと時。目覚めたときが、私は全てを忘れて自分を守る。無意識がそうしてくれる。

 それが少し寂しいときもあれば、私は後の人生を平穏に生きるには必要だったことだと思うし、嫌でもこの時期はその記憶もどこか身近にいてくれるんだから、いいんじゃないだろうか。

 こうやって言い聞かせるのも、飽きた。

 大きなクリスマスツリーの聳える駅広場を眺めて、ちょっと賑やかな通りを抜けると住宅街に入る。車はなくなり、道は狭くなり、夜の色が帰ってくる。

 けれど側にはクマが、両親が居てくれたし、不安じゃない。一軒家のイルミネーションは煌々としているし、発光する雪だるまとか煙突に潜ろうとするサンタさんとかのイルミネーションは、見てて飽きない。心が躍る。

 父さんと母さんは、仲良しで二人が話すときはいつも楽しそうだった。当時の私には知らない単語も多くて、二人だけが楽しそうなのがどこか不満で、たしとクマの手で父さんの頭を打つ。すると優しい父は、毎回頭を撫でて「ああ、ごめんな」と私を主役にした話題にしてくれる。

 愛されているんだと確かめれるこの瞬間が大好きだった。

 ーー父さんの身体がぐわりとたじろぐ。母さんが甲高い悲鳴を上げて、父さんの上の私を掻っ攫うように抱き寄せ、その身で包む。守るように。

「あっ!」手元にクマが無くなったことに気付いたけど、それを訴えるにはこの場の空気はどこかピリついていて口をつぐむ。


 暗闇に溶け込む男の手元に鈍く光を反射する物。ケーキの箱は落下で潰れ、母さんのバックは引ったくられたようだけど私を身を呈して守ってくれる。隙間から見えた世界で、鈍色だったそれは父さんの胴体に収まると、赤色を引き連れて姿を表す。

 それでも父は、漢だった。殴るように振りかぶって男を脅し、私を抱える母の手を引っ張ってその場から逃げる。その顔が、温厚な父とは思えない怒り顔で。

 結論から言えばーーここまでは大丈夫だった。致命傷は免れ、腹部の刺し傷は赤色を滲ませるが厚着だったこともあり、手でぎゅぅと抑えていたこともあり。すぐに病院に行ければ一命は取り留めれる。

 けれど最善を尽くそうとしても、空回りはしてしまうものだ。

 救急車は呼ぶ暇がないと助手席に父を乗せ、運転には決して慣れていない母は気を動転したまま舵をとる。後部座席に一人座らされた私には二人のその悲痛を噛み締めた表情は知れず、側に相棒はいない。心細くて仕方がないが、何か言える暇もなく。

 事の重大性を理解できないのは幼さゆえだと思うけれど、あの頃の私が憎くて仕方ない。何もできないまま、惨状を目の当たりにしたあの頃の私を慰めたくて仕方がない。


 二〇〇一年十二月二十五日〇時七分。病院へ向かう途中、眼も眩ますような光に誘われて交通事故が起きた。


 ☆ / ★


 頭部の裂傷。事故が起きた際、その余りの反動に運転席に額をぶつけ残った傷。親戚たちは「女の子なのに顔に傷なんて可哀想ね」なんて言ってくれるけれど、憐れむならもっと他にあるんじゃなかろうか。

「……やめて」

 わざわざそれを隠すような前髪をゴツゴツとした男性の手で掻き上げて無言に眺めるクマ(変態)を睨む。

「大変だったね」

「うるさい」

 このクマに憐れられるのは勘弁。ーー案の定、浅い眠りでも見るものは見るようで、目を絞ると涙の粒が浮かんで目元は赤く腫れてるんだろうな、と思う。いつもそうだったから。

 それをクマに見られるのが嫌で、両手で顔を隠したら余計泣いてるように見えてしまいそうでそれも釈然としない。だからそのまま睨むしかない。

「ボクはサンタ。君の願いを叶えにきた」

 少し前も、言われた気がする。

「何をしてほしい? ボクに言ってくれ」

「……なんで?」

「んーにぃ?」

「なんで私にさ、聞くの? 答えられるわけないじゃん。願いなんて。そんなのもう子供の頃から止まってる!」

「じゃあそれを言って」

「叶うわけないじゃん! 大人になった今でもできない事だよ! 誰もできない事だよ! ねぇクマ。あなた私のクマでしょう? あの頃どこかに行ってしまった。ううん、私が無くしてしまった」

 この手は、父さんのものだ。この懐かしい匂いは、母さんの香水だ。この顔は、私のクマの顔だ。ぜんぶぜんぶ、私の思い出から出来ているんでしょう?

「あなたには何も出来ない! なんで今更現れたのかも解らないしっ、あなたは私が作ったもの! 私に出来ないことは何も出来ないよ!」

「ノンノンノン、マイヌェームゥイーズゥシャンタァアア!」

「それだって! 私が小学校で教わった初歩的な英語の塊だよ!」

「ノン! ボクはサンタ。この服が証明だよ」

「違う! 違う違う、それだって私が子供の頃あなたに着せたサンタ服だよ! 色褪せてるけど、デザインで思い出した! その血みたいな不気味な赤は、ペンキでも被ったんでしょう!」

「劣化が証明だよ」

「私のイマジネーションはすごいね! 数年を経年劣化で表してるんだから!」

「なんでそんなに信じてくれないんだよ!」


 ―――――。


「逆、ギレ……? 今逆ギレした……!?」

「んぐっ……ボォクは! ボクはずっと! 君を探して来たんだよ! ボクを置いてった君を、ずっと追って来た!」

「っ」

「ボクはずっと、パパが襲われたあれから何があったのか、知らなかった! 置いてけぼりにされて、悲しくて、でも一人じゃ動けなくて、その時――シショーと出会って、その力で君の家を目指したさ。でも弱いボクは到着までに数日が掛かっていて、たどり着いた頃には君は誰かに引き取られていなかったし、ボクに探す術はなかった。でも、いつか君と再会した時のために、シショーのもとで『クリスマスの力』をクマは手に入れた! ぜんぶっ、ぜんぶ君のためだっ」

「……知らない。知らないよそんなの! だいいち、ただのぬいぐるみのくせに!」

「ボクはサンタ! 良い子の願いを叶える力を持った精霊! ボクは君の、良い子であり続けた君の力になりたくて! 今度は捨てられたくなくてさぁ!」

「………!」

 捨てたくて捨てたわけじゃ、ない。私だってあれから悲しかったんだよ? クマ。隣にいてくれた親友がいなくて、寄り添いあいたいその時に居なかったんだから。

「ボクはサンタ。とある一人の少女がために、ここまで来たんだ」

 意味が解らない。何が起きてるのかも。不思議で溢れて、理解できないし、私のクマはこんなじゃ、ない、よ……。

「教えてほしい。ボクの愛した一人の少女の、願いを」

 手を差し伸ばされる。父さんの手によく似ていて、ずるい。またその手で、こんな歳になっちゃったけど持ち上げてほしいし、肩車してほしいし、頭を撫でてほしい。

 あの頃みたいに。

「そして、信じてほしい。君を愛し続けたクマの力を」

 繋いだ手を引き寄せられて、密接に近づくと、優しい香りが鼻腔を擽る。大好きなこの香りに、抱っこしてほしいし、髪を編んだり、こんな歳だけど可愛らしく着飾ってほしい。

 あの頃みたいに。

「これからは、ボクがずっと一緒にいるよ、安心して」

 大好きなこの人に、抱きすくめられて、涙が溢れる。

 大好きだった。ぜんぶ。何もかも。パパが大好きだ。ママが大好きだ。クマが大好きだ。クリスマスも大好きだ。嫌いなものなんて一つもない。擦れたのはぜんぶ、あの出来事のせい。

 あの頃に戻りたいと思う。


 クマの胸元を優しく押し返すと、ハグが解かれて、ふらふらと仏壇に近づいて。

 伏せたソレを起き上がらせる。

「ふ……」

 サムズアップを向けるニカッと元気な父。幼少期の私を抱っこして笑顔を咲かせる母。私と手を繋いで、ぶら下がっているクマ。

 数十年、この写真を眺めて思った気持ちを、帳消しすることも出来ない。

 笑みが溢れてしまうと、背後で覗き込むクマが反射して写真立てに映り込む。

「懐かしいね」

 この懐かしめる心は、忘れたくないとも思う。

 だからって、強欲にはなれないし。

 とっくの昔に受け入れたこと。だったら――。

「クマ」

 今ここにいてくれるコイツを、受け入れよう。そして、一緒に語ろうよ。思い出そう? あの頃をさ。あの頃を生きた、私とクマにしか出来ない二人だけの思い出を。

「私の願いは、家族を取り戻すこと。クマ、もう見捨てないからね」

 クマ、あなたと再び会えて、嬉しいよ。

 これは、シショーの……きっと本物のサンタさんの、おかげだと思っていいのかな?


「メリークリスマス、クマ」


「メリークリスマス、ボクの愛しき人」


(終)

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ぬいぐるみのサンタ 環月紅人 @SoLuna0617

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