002 一冊だけだから
…――貴方は、子供の頃に読んだ絵本の記憶って在りますか?
うむっ。
私には在る。絵本の記憶が。
それも強烈にも残っている。
そこに描かれた一枚の楽しげなイラストが。
それは奇跡と呼べる出会い。
たった一冊しかなかった出会いだからこそ奇跡と言えるのだ。
いや、むしろ一冊しか出会いがなかったから、なのだろうか。
兎に角、
それこそが、スイカゲレンデでアリさんが喜ぶの巻なわけだ。
これは、
名古屋での保育園時代の記憶として残るものの、もう一つなわけなのだが、保育園は関係ない。むしろ、病院だ。私は、なんらかの病気を患い、いや、ともすれば怪我だったのかもしれないが、ともかく病院に連れて行かれた所から、お話は始まる。
具合を悪くしてしまって、病院の待合室で、うなだれていた。
苦しく呻いていた記憶がある。加えて、ヒマであったから、ぐずっていたわけだ。
そこに、
「読むよ」
と、母親が、おもむろに一冊のある本を取り出したのである。
待合室で、うるさくしていた私を鎮める為の苦肉の策であったのだろう、と思う。
これは失念してしまい、とても口惜しいのだが、かの絵本の題名は忘れてしまっている。どんなストーリーだったのかも忘却の彼方という始末。それでも、その絵本の一シーン、つまり、一枚のイラストが強烈に焼き付けられている。頭の中に。
それが、
スイカゲレンデでアリさんが喜んでいるイラストなのである。
空は緑色に塗られ、白い雲が浮かんでいた。
そこに、
……食べた後に残ってしまったスイカの皮。
それは斜めになっており、まるでスキーのゲレンデ。そこに現れたアリが、薄く残った赤い食べられる部分でスキーを始める。そういった絵が描かれていた。心は一瞬で鷲掴みにされ、調子が悪かったにも関わらず、絵に魅入ってしまい時を忘れた。
もちろん病院での待ち時間も気にする事もなくなり、静かに黙った私を見て……、
母親としては、してやったりだっただろう。
兎に角。
私は、自分も、こんな楽しげなものを表現したいとそう決心した事を覚えている。
ただし、
その頃の私の中には自分の世界を表現する手段として絵という選択肢はなかった。
ゆえに楽しげな世界を表現する為にギャグらしきものを連発し始めたという、ある意味で本末転倒とも言える結果に落ち着いたわけなのだが。うむっ。絵に目覚めたのは、もう少しばかり後で、すわ小学生時代のあの事件まで待たねばならぬのだが。
兎に角。
そこの頃より、楽しげなものを創るのだという気持ちは芽生えていたように思う。
そういった意味で、あのスイカゲレンデでアリさんが喜ぶの巻は、私の中で、とても大きな事件であったとは言える。しかしながら、その一冊以外、絵本というものを見た事がない。無論、その待合室で見た絵本も病院の所有物だったように思う。
もちろん、家には一冊とて絵本はなかった。
それほど絵本というものに対して価値を見いだしていなかったのだろう。両親は。
しかも、
絵本が、
これほどまでに私の人生に大きな影響を及ぼしたとすら分かってないのだろう。
まあ、小学一年生のクリスマスプレゼントとして動物図鑑を送ってきたからな。しかも、その一回以外、クリスマスプレゼントをもらった覚えはない。クリスマスは苦しみます、と、のたまい、子供を苦しませる天才的な阿呆どもであったがゆえ。
ただ、いい親だとは思うが。
少々、話が逸れた。戻そう。
兎に角、
そのスイカゲレンデでアリさんが喜ぶイラストは今でも私の心の中心に刻み込まれている。それは燦然と輝き、私が描く絵にも大きな影響を及ぼしている。無論、絵本的な絵は描けないが、それでも私が描くイラストの根幹を支えるものはそれだ。
うむっ。
今にして思うが、両親が絵本に価値を見いださず、たった一冊しか絵本を目にした事がなかったからこそ良かったのかもしれない。ゆえに印象づけられ、その一冊が、あのイラストが描かれていた絵本であったから……、今の私が在るのだと。
そう思えるのだ。心底から。
ただし、
繰り返しになってしまうが、
絵を本格的に描きたいと思わされたのは、また別の衝撃的な事件なのではあるが。
それは、また別の話である。
では、最後に、このお話を信じるか、信じないかは貴方次第なのである。と……。
チャオ。
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