本編 #3

「そんなっ、ことは……」

 先生からの正直な吐露に、それは当然であるはずなのに、何故かショックを受けている自分がいた。

 尻窄みに消えていく、厚かましいような私の言葉を、私は更に嫌いに思い、自分の立場を見つめ直す。

 先生はきっと私からの気遣いを求めることはなく、私が気遣いとして発しようとした今の言葉は、自分が如何に愚かしいかを思わせてくる「考えなし」の言葉だったのだと。


 先生は目を合わせてくれない。私はそれに救われてもいたが、同時に心身を押し潰してくる、罪悪感なのだと知っている。

 ぴたりと会話は静止した。ウォールクロックの秒針が私の鼓動のリズムを乗っ取り、呼吸を規則正しいものへとするが、今の私にはそれさえ急かされているように感じるほどの静けさだった。


 私はこの状況になっている原因が私であることを理解しており、打破するためにも私が動かなければいけないことを理解している。

 去ることも出来る。そもそもそうであれば、まず会いにくるなという話だろうが、やってしまったものは仕方ないと割り切る選択肢。先生にとっては災難だろうが、これ以上不快にさせないことを私は誓って、守るのだ。

 そこで持ち帰る罪悪感は決して清算してはいけない。だが、糧にして成長するのがコミュニケーションというものであり、それはいつか私の人生の一つとなって風化するかもしれないが。

 だけど私は、私の吐いた言葉の重みをどんな人間よりも知っている。その鋭利な尖りがどれほどであるか知っている。誰よりも痛感しているはずなのに、それを吐いてしまったこと。先生の言う目的に、消えにくい傷を与えたことを、私はどうにかしないといけないのだ。

 じゃなきゃわざわざここまで来ない。来れない。謝ろうともしない。

 それは私の覚悟でもあったのだろう。

「先生」

 先生は私を赦してくれるだろうか。先生は私を信頼してくれるだろうか。先生は私にチャンスを与えてくれるだろうか。

 私に修復させてもらえるだろうか。

「……内容を、ちゃんと見ていなかったので」

 馬鹿な話だと自分でも思う。もし相手が私なら赦さない。信頼しない。チャンスなどは与えない。それは先生に甘えてるという事実以外の何物でもないし、生徒という立場を利用している卑しさでもあるし、先生はスクールカウンセラーなんでしょ。だから意図を理解して。というような、自分の言葉足らずや正直になれない所を読み取る相手方の責任にしようとしている。

 私はいま、私の行為全てが間違っていることを理解して行動に移している。

「もう一度、読ませてもらえませんか」

 必死に考えて、この程度の言葉しか思いつけない己の矮小さを嘆きながらも、これだけが最適解だと信じて馬鹿になり切っている。そして同時に、今こうして自分を俯瞰視してしまうから、私はプライドが高いのだろう。

 本当に救いようのない生き物だ。


 だけれど打算はいくつかあった。

 求められてはいなくとも、少なくとも、きっと、この態度を先生に見せること。

 そこに意味があるんじゃないかと私は信じてしまっていたのだ。

「お願いします」

 先生からの反応はない。と思ってしまっていたのだが、いつの間にか俯いていた私のせいで、先生のことを正確に見れていなかったようだった。

 面を上げる。先生は、丸メガネ越しに私を見ていた。

 信じられないものでも見るかのような目だ。

 私は思わず言動を思い返し、冷静に振り返ればそんな顔をされるのは確かであろうが、ひょっとして何か伝え損ねた意図でもあっただろうかと、軽いパニックになって取り繕う。

 慌てるような身振り手振りを交えて。

「そ、その、私が間違っていたんです。簡単に否定して、先生がどれほどの思いでその夢に向き合ってるかを考えないで、簡単に、否定して……」

 そうして焦り出してから、やっと私は、私自身を包み込んでいたメッキの鎧が融解していくことに気付いた。

 同時に情けないくらい、涙が溢れ出しそうになり、私はいくつものタスクを強いられる。

 泣きたくない。謝罪したい。浅ましく思われたくはない。許されたい。素直になりたい。嫌われたくない。その循環だ。

 心がミンチ肉にされている。


 そんななかで、はたと思い至ったのは、先生は私を知らないんじゃないかという当然の事実だった。

「……私も昔、創作活動してたんです。中学の時に」

 だから私は、拙い言葉で一方的に、自分の話を始めた。

 これは正解か間違いなのかも自分では判断出来ていなかった。

「でも、仲の良かった子とは喧嘩して、親からはそれを否定されて、目的を失って、それからずっとこんな根暗女になっちゃって……」

 思うままにつらつらと述べて、このままではまずいと思った。

 感情のちらばった方向性が、今急速に妬みの方へと向き揃ったのだ。

「だから先生が……」

 先生が。

 なんと言いたかったのだろう。

 羨ましいとは素直に言えない。妬ましいとも打ち明けられない。眩しかったと敬えない。

 言語化するのは難しかったが、それがなんであるのかは、明白であるようにも思えた。

「………」

 落ち込むように口を閉じた。これ以上自分を見つめられるほど私は強くなかったらしい。

 そうして訪れる沈黙に、やはり先程打破しようと思い込んだ時よりも、余計重苦しい空気を招いてしまったと自覚する。

 先生のため息が聞こえた。

「それで満足するんだったら」

 顔をあげる。先生が差し出してくれる、A4原稿用紙の十数枚ほどの紙束を、私は救いのように嬉しがって受け取った。


 目元を拭う。滲んでいては読むものも読めない。呼吸を整えて姿勢を正す。私は真摯に向き合いたい。

 私はもう一度、この物語に触れる。

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