本編 #2
「バカみたいです、先生」
口を衝いて出た悪辣に、私は慌てて息を吸い込む。
吐いた言葉は戻ってこない。
「あっ……」
俯く私に先生の顔は伺えないが、ただただ一言寂しそうに、彼は「そうか」と言葉にする。
私は震えた声音で取り繕う。
「雨、止んだので。私、もう、帰ります」
これは、何故だ。何故こうなった。
私は逃げるようにそそくさと動く。先生は止めてくれるわけもなく、私は途端に幼稚となる。
これは大人の姿じゃない。
私の憧れる大人らしさじゃない。
けれど皮肉にも夕立は、大人しくなって形を潜めた。
大嫌いだ、と八つ当たりする。
「気をつけて帰るんだよ」
先生は優しく言葉を掛けてくれた。
でも何故だろうか、先ほどまでの、柔和な様子を感じないのは。
何故じゃないだろう、私が悪い。
先生は怒ってしまったのかも知れないし、私が今まで通りに受け止められなくなっただけかも知れないが、私はこの感覚をよく知っている。
これは溝、と言うやつだ。
私の考えなしがいつも引き起こす、親友がいない原因だ。
だから私は私が嫌いだ。
生徒相談室を飛び出す。廊下は誰もいないから、心は解放感を得るが、胸は縛り付けられている。
その日を最後に。
私は先生に会わなくなった。
◆
会いたいとは、思っているのだ。
一日、二日と経っていく。
私のなかにも反省はある。あの日は眠りに就けなかった。
だけどそれを知って欲しいわけでもないし、だから許してと言えるようなほど私は私に甘くもない。
気まずいけれど、謝りたいと思った。
三日、四日が過ぎてきて、はたと気づいたことがある。
どうやら避けられているらしい。
話しかけようとはしてみるものの、いつも生徒から人気者の先生は二人きりになる機会もないし、意図的に私の前から姿を消しているように思う。
これが避けられている以外のなんと呼ぶのか。
そろそろ一学期が終わる。
私の学校にも夏休みが来る。
夕立は続く。
私は傘を持ち歩いている。
だからこのままでは、自分を偽るための口実がないのだと思い至り、私はついに腹を括る。
嫌だなぁ……。
踵を返した。謝らなければいけない事がある。訂正しなければ前に進めない事がある。
私はそれを知っている。
生徒相談室の扉を叩いた。ガラリと勢いよく開ける。
唐突な来訪者に、身構えたようなポーズを取る先生の姿があった。
「……失礼します」
私は構わずにソファへと向かい、ストンと強引にも座る。
「……どうぞ」
遅れて先生は促してくれた。すでに着席していた私は、会釈をしてやり取りを消化する。
先生はデスクの物越しに隠れてチラチラと私の様子を伺っていた。そんなつもりはないのだが、睨んでいたように見えたのか、私が目を合わせるとさっと隠れる。
それがとても居心地悪い。
私はそのまま謝罪する。
震えた声だ。情けない声だ。意気地がなくて、私は私に嫌悪する。みっともない姿だと、私は私を非難する。
頭を下げた。反応はない。私という人間は愚かしいほどに謝り慣れておらず、慣れるというのもおかしな話ではあるが、今こうして真摯に、誠実に向き合えていない己の性格を酷く恥じた。
静寂が、一秒一秒をおよそ一分に思わせるほど私を包み込んでくる。
目を閉じる。深呼吸すると、ため息に聴こえてしまったような気がして、それが余計に不安に思い、私は息すら止めてしまう。
幸いにも先生は、一拍だけの沈黙で反応を返してくれた。
「……すごいな」
思わず顔をあげる。呟くようなその言葉に、自分でも何を期待したのか分からないが、様子を見てしまう。
先生は後頭部を掻きながら、少し気難しそうにしながら答えてくれた。
「うん……生徒の謝罪は、素直に受け止めようと思う。僕は君がどういった思いでまたもう一度ここに来てくれたのかも理解できるし、もちろん納得しているし、すごいことだと尊敬する。なかなかできない行動だから」
「……ありがとう、ございます」
ただ、と先生は小さく付け足した。目を逸らし、顔を背けて、呟くように吐き捨てる。
「だから余計に、いま複雑な気持ちでいるのが申し訳なくて、やるせなく思う」
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