恋せよ乙女、フラれたって前向ける乙女!

環月紅人

本編(2077文字)



 私の彼はとても優しい。

 私を泣かせたことがない。


 だから今日、別れ話を切り出された時も、努めて私を泣かさないよう、とても気遣ってくれながら、だけれど「じゃあね」と連絡先を消しあった。


 彼の優しさがじわじわと染みる。


「はぁーあ……」


 バタン。帰宅して、部屋の明かりをつける。靴下を半分だけずらして脱ぎ、整えた髪をわしゃわしゃと揉みくちゃにして、膨れっ面をした私は、ぼふんとベッドに沈み込んだ。

 軽快な音が一つ、ラインの内容は上司からの連絡。


 私は静かに電源を落とす。


「もおおおお……!」


 だんだん怒りが湧いてきた。

 なんなんだ、もうなんなのだ!

 彼の優しさが、彼の笑顔が、彼との日々がずっと頭の中で楽しそうに踊ってて、だけれど私はこんなにも死にかけで!


 憎めるくらいの別れ話だったらまだ許せただろう。

 でも、でも、あの男は! あの男は!

 もう!


「ふぁああああん……!」


 バシバシバシバシうつ伏せになっては両足をバタつかせてベッドに当たる。

 枕を抱え、顔を埋れさせ、ご近所迷惑にはならない叫びを上げた。


 大好きだった。今でも好きだ。最後まで良い男だった。

 たぶん私が悪かった。だって彼はずっと完璧。きっと彼の優しさに、私がいつかあぐらを掻いて、愛想をつかされてしまったんだろう。


 くそう。くそうくそうくそう。

 バカだ、私は大バカ者だ。

 もっと早く、もっとちゃんと生きていればよかった。


「うぅううううううう」


 さっきからずっとまともな言語を発していないのは理解してる。

 ぐっちゃな思考が呻き声にしかならないんだ。


 ああ、もう、ほんと、時間を戻したい。

 叶わないのはわかってる。でも三時間前、いや一日前、一週間前、もっとずっと前の、彼と馴れ初め合う最初から。

 彼に二度と嫌われないように、彼に二度と振られないために、彼に釣り合うような完璧な女になりたいと、どうしたって願ってしまう。


 あるいは全てを破壊したい。破滅願望ってやつだ。

 馴れ初めあったその日から、三時間前の別れ話。粘ることもできなくて、ちゃんと話すこともできなくて、ショックで何も理解できないまま、ついに彼が目の前から消えた、あの瞬間の私から。

 破壊して破壊して破壊しまくって終わらせたい。


 彼に泣きつけない私がいた。きっと無理だって理解してたんだろう。

 でもやればよかった、そうすれば後悔はせずに済んだのだから。


 涙が出てきた。


 きっと親友は、次の恋を探せばいいよって簡単に言ってくれるだろう。

 そうだ、きっとその通りで、私もいつかは次へと前を向くんだろうが、ダメだ。ダメだ。無理なのだ。

 きっとしばらくは彼を引きずる。


 恋人が無理なら友人で。友人さえも無理なら、連絡先だけ知ってるような遠い距離の知り合いで。それさえ無理なら、知り合わず。友人ともならず。恋人になんてなることなかった、ただの赤の他人として、戻れていればよかったね。


 私たちはきっともう交わらない。どっちかがどっちかの事を覚えている限り、どっかですれ違ったとしても、きっと顔は合わせない。むしろ遠ざかってくばかり。

 だから0に、なれたなら。

 なんて。


「なんで、だよ……ぉ」


 週一のデートは一生こない。彼の家に行くこともない。毎日のように共通のゲームで遊ぶことも、深夜にずっと通話しちゃうようなことも、ラインでのやりとりだってもう二度と行われないし。

 彼の誕生日はもうすぐだった。祝うことはできないだろう。スマホのアルバムを見れば今までの日々を見返せる。でもしばらくは見たら泣いちゃいそうだ。


 ほんと。憎いくらいに、何も残らないくらいに、簡単に切り捨ててくれたなら。

 なんて、思ったって叶わない。私は彼の、それをしない優しさに惚れてキスをしたのだ。


 遊びなわけない。真剣だった。

 真剣だったからこそ、続けられなかった。


 次の恋は、もう無理だ。しばらくしたらあっけらかんと、こんなことなんて忘れて前も向けるだろうが、今に限っては考えられない。

 このまま落ちるとこまで落ちて寝る。


 枕が気づけば湿ってる。

 彼は私を泣かせたことはない。だからきっとこれも、彼に泣かされているのではなく、私が勝手に泣いているだけ。

 本当に、私が弱いだけの話。


 ただ、もしかしたら、だなんて。

 こっそりとラインをもう一度開いた。

 彼の名前は、やっぱりない。

 そんな奇跡は、さすがになくて。


「くっそぉ……!」


 覚えていろよ、元彼よ。

 私とオマエはもう二度と関わることなんてないだろうが!

 過去はなかったことにはさせないからな!


 私はオマエとの日々を次の彼氏へのハードルにして、さらに幸せになってやる!

 だからオマエも、私じゃない女と幸せになればいいさ!

 ふんだ!


「ばーかばーか……!」


 吹っ切れるわけなんてないけれど。

 優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。振り払うようにぶうたれた。


 久々に泣いた。さすがは元彼、いい男だ。

 私の力不足だったのは間違いないから、もっと成長して、私もいい女になってやる。

 振ったことをいつかどこか、遠くの世界で、羨んでくれれば本望だ。


 恋せよ乙女、それが人生の糧となる!

 だから貴方との日々は、今日の涙で蓋をして、心の奥底にしまい込む。


「ばーか……」

 明日散髪、行ってきます。

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