第12話 今から一緒にこれから一緒に
翌朝、葉月とは最低限の会話しかできなかった。
「……いってきます」
「いってらっしゃい。……今日は、早く帰ってくる?」
「そのつもり」
「そっか。じゃあ気をつけてね」
僕はドアを開けて、氷点下二桁の屋外へ出た。
いつもならノリノリで葉月がスキンシップをしてくるけれども。昨日の今日ではそんな気分にもなれないみたいだった。
それもこれも全部僕があんなタイミングでパニックになってしまったから。葉月の気を悪くしてしまったので、何かお詫びにできることはないかと僕はずっと考えていた。
「おはよう。……どうしたの? めちゃくちゃ難しい顔してるよ?」
会社に着くと、珍しく釘崎が既に仕事を始めていた。
「そんなに難しい顔してる?」
「うん。大学2年のときの留年がかかったときの統計学のテストくらい」
「……比喩が独特なんだよな」
僕は自席に腰掛ける。すると、釘崎はマグカップに入ったコーヒーを差し出してきた。
「ほら、とりあえずこれ飲みなよ。ブラックで良かったでしょ?」
「ああ、うん。ありがとう。寒かったから助かるよ」
渡されたコーヒーを人すすりして、僕は大きめのため息をつく。
「どうしたの? 彼女と喧嘩した?」
「……まあ、そんな感じ」
「えっ、高橋彼女いたんだ。マジかぁ」
「今更……?」
釘崎としてはカマをかけて言ったつもりなのだろうが、まさかそれが本当だと思っておらず、僕の想定以上に彼女は驚いていた。
「全然そういう感じ出してなかったもん。私も衰えたなあ」
「衰えるも何も、釘崎は別に他人の色恋沙汰について無関心だったじゃないか」
「まあね。でもそれにしたって意外だよ。お相手はどんな人?」
「……こういう人」
僕はスマホを開いて電源スイッチを一度押す。画面にはフェリーに乗ったときに葉月と撮ったツーショット写真が映し出された。
「おおー、めっちゃ美人じゃん。どこで捕まえたの?」
「訳あって実家暮らししていたときにね。中学の同級生なんだ」
「へえー、さすが秋田美人。まだJKの制服着てもいけるんじゃない?」
実は既に一回着ているんだよねとは言えず、僕は苦笑する。似合わない似合わないと葉月は言っていたが、何か本物のJKからは絶対に得られない栄養素がそこにはあったと思う。
「んで? どんな喧嘩したわけ?」
「えっ……、どんなって……」
「大体喧嘩するパターンなんて決まってるじゃん。帰りが遅いとか、家事しないとか、金遣いが荒いとか」
「い、いや…、そういう感じじゃなくて……」
僕は回答に窮してしまう。
ちょっとデリケート過ぎる話題なので、元カノとはいえ赤の他人である釘崎に話していいのかどうか迷ってしまった。
「そーやって高橋は昔から一人で溜め込むから。溜め込んで溜め込んで最後に爆発とか、絶対に駄目だと思うよ?」
「そ、それもそうか……。まあ、こんなことを話せるのも、釘崎くらいかもだし」
「うんうん。ちょうど今日は羽山もいないし、私に話してみなよ」
僕は、昨日の出来事を赤裸々に釘崎へ話す。もちろん、その原因となった昔の話もついでに。
「うわー、高橋って相当女運ないよね。今の彼女さんいなかったら、女性経験って私と元奥さんだけでしょ? エグい」
「それ、釘崎が言うんだ……」
「まあでも、元奥さんの方は私なんて比じゃないくらいヤバいと思うけどね。離婚して正解」
釘崎は自分のマグカップに入っているコーヒーをすする。
砂糖は入れないくせに、クリームだけはたっぷり入れる独特な飲み方をする。
「でも高橋にそんな過去があるのわかってるくせに、どうして今の彼女さんはゴムいらないなんて言ったんだろうね」
「それは……、確かにどうしてだろ……」
「怪しくない? 急に子どもが欲しくなったりしたのかな? 籍もいれてないのに」
僕は釘崎の推理を聞いて、何も言い返せなくなってしまっていた。
確かにそうだ。葉月は急に避妊をしなくてもいいと僕に言ってきた。それはもしかしたら婚期を逃さまいと焦って、子どもが出来てしまったという事実を作ろうとしている可能性がある。
しかしそれ以上に葉月には、今避妊せずにセックスしなければならない理由があった可能性も否定できない。
それはつまり、誰かと過ちをおかしてしまったということ。
その事実をカモフラージュするために、僕に避妊をしないよう迫った。僕が元妻にやられた方法と、ほぼ同じ手口。
葉月に限ってそんなことはない。そう言い切りたいのだけれども、その可能性を否定するための明確な証拠がなかった。
「……まさか、葉月に限ってそんなことは」
「そのまさかで一度裏切られているんでしょ? あり得ないことじゃないって」
「いや……でも……」
葉月は献身的になって僕の女性恐怖症を治すために力を尽くしてくれた。だから彼女が裏切ったなんてことは絶対に考えたくない。
しかし、どこまでも現実主義な釘崎は、冷静にこう告げる。
「じゃあ、これから確かめに行ってみる?」
その釘崎の表情に、僕は吸い込まれてしまいそうになっていた。
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