第9話 人の金で食う寿司で絶頂できる
僕と羽山は一言も交わさないまま、札幌駅の地下街にある寿司屋にたどり着いた。
ランチメニューが充実していることで評判が高い店で、既に何人か並んでいる。
このまま羽山と二人で無言のまま並ぶのかと憂鬱な気持ちになってしまっていたが、客の回転が早いのか、割とすぐに店内に入ることができた。
席につくなり、彼はメニューをとって自分の食べたいものを選び始める。もちろん、僕にメニューを見せようなんて心遣いはない。完全に一人で来ているときと同じだ。
「あの……、メニュー見せてもらえないかな」
そう言うと、羽山は嫌そうに僕へメニューの冊子を渡す。僕はそれを読みながらランチタイムのセットメニューに目星をつけると、あろうことか既に羽山は店員さんを呼ぶボタンを押してしまっていたのだった。
「ご注文をお伺いいたします」
「ランチセットの松コースで」
店員さんの問いに対して間髪入れずに羽山は答えた。奇しくも同じものを頼もうとしていたので、僕は咄嗟に付け加える。
「そ、それを二つでお願いします」
「かしこまりました。ランチセットの松コースがお二つですね。少々お待ちください」
店員さんが店の奥に下がっていくと、僕は羽山をキッと睨みつける。しかし彼は、スマホをいじって興味なさそうな雰囲気だ。
「あのさあ、僕のことが気に入らないのはいいんだけど、その態度は無いんじゃない?」
「……」
羽山は完全に僕のことを無視する体勢に入っていた。
これは何を言っても駄目かもしれない。
すると突然、僕のスマホに着信が入る。電話をかけてきたのは葉月だ。
こんな昼間にどうしたのだろうと、僕はその場で電話に出た。
「もしもし葉月? どうしたの?」
「ごめん、今朝私ファンヒーター消すの忘れちゃったかもと思って」
「大丈夫だよ、ちゃんと僕が消しておいたから」
「よかったー……。仕事中に思い出してずっとソワソワしてたんだよね」
なんの事はない、ファンヒーターの電源を消し忘れたかもしれないという電話だった。葉月はしっかりしているけれども、たまにこういう抜けがある。そういうミスは僕がカバーすればいいだけのこと。
「そういえばなんだか一太郎、ザワザワした場所にいない?」
「ああうん、ちょっと外で昼メシをね」
「ふーん、何食べてるの?」
「寿司。もちろん社長のお金で。あっ、でも社長はいないけど」
嘘をつく理由がないので正直に答える。僕みたいな人間が変に取り繕ったところで良いことは全くない。
「えー、いいなー。私も食べたいんだけど」
「それはまた別の機会に……」
「おっ、言ったなー? じゃあ一太郎のおごりね。言質とったからね?」
「うっ……。お、お金が入ったらね……」
電話越しに葉月はやったーと喜びの声をあげる。せめて店の外に出てから電話に出ればよかったと思ったのは内緒だ。
スマホをしまって食事を再開すると、なぜか対面に座っている羽山がじっとこちらを見ている。
まるで僕の行動に驚いているかのような表情だったので、思わず声をかけてしまった。
「……どうしたの?」
「彼女……、いるんすか?」
「ああ、うん。いるよ。一緒に住んでる」
「そ、そうなんすね……」
その動揺しながら答える羽山の姿に、逆に僕のほうが驚いてしまった。
散々無視してきていたのに、ここにきて羽山の方からコミュニケーションを取り始めたのだ。無理もない。
「あっ……、もしかして30歳にもなって彼女がいない寂しい奴だと思ってた?」
「ち、違うっす。ただ、ちょっとなんつーか、安心したというか……」
「安心?」
「千夏さんのこと、狙ってるわけじゃないんだなって……」
僕から目をそらし、恥ずかしそうな顔をして羽山はそうつぶやく。
僕はその彼の挙動で大体のことを理解した。
羽山は、釘崎のことが好きというわけだ。
彼が僕に対して冷徹な態度を取るのは、ちょっとした敵対心みたいなものだろう。
「狙ってない狙ってない。釘崎は大学の同期だよ。この会社に僕が来たのも、たまたま需要と供給が一致しただけ」
「……それならそうと早く言ってほしかったっすよ」
「言うにも何も、羽山は僕の話聞いてくれないじゃないか」
確かになと羽山は一人で納得していた。
本当は「釘崎は元カノである」という事実もあるのだけれども、葉月のとき同様、ここは言わないでおくことにしよう。
「はあー、無駄に警戒して損したっすよ。本気で高橋さんが千夏さんのこと狙いに来たかと思って毎日眠れんかったんすわ」
「そりゃあご愁傷さまです。というか、羽山は釘崎のこと好きなんだね」
「そりゃもうベタ惚れっす。千夏さんのためなら命かけてもいいくらい」
彼は得意げに色々語り始める。
冷戦状態だった僕と羽山の関係は、いつの間にか壁が崩れて普通にコミュニケーションが取れるようになっていた。
でもどうしてだろう。僕がこの会社に来るまで釘崎と羽山の二人きりだったくせに、彼らの間柄はあくまで社長と部下。何も進展がないのだ。
男女二人ひとつ屋根の下、少なくとも羽山は釘崎に好意を持っているのに、何も起こらないということはあり得るのだろうか。
そう思いながら、白身の地魚が握られた寿司を僕は口に運んだ。
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