閑話 木枯らし、セーラー服、二律背反

 ◇葉月


 高橋一太郎を動物に例えるならば、私は迷わずゴールデンレトリバーと答える。


 大柄で、賢くて、それでいて穏やかな性格。従順そうなところとか、ご褒美を前にすると欲しがりなところとか、本当にそっくりだ。


 願わくば一太郎とは大型犬とじゃれ合うかのようにスキンシップを取りたい。でも、まだちょっとそれは叶いそうもない。

 その代わりと言ったら彼に怒られてしまいそうだけど、大型犬と触れ合える施設を見つけたので早速明日デートがてら行ってみることにした。



 そこでひとつ悩み事が発生。


 明日は随分と冷え込むらしい。それはつまり、ここ最近着ていた服よりももう少し暖かいものをチョイスしなければならないと言うことになる。


 服はそれなりに持っているので、着ていく服が無いわけではない。むしろ悩みはその逆。

 何を着ていったらいいのかわからなくなってしまった。


「……もうわからん、適当でいいかなあ」


 実家の2階にある自室で服という服をたくさん広げながら、私はボソッと独り言を漏らす。


 オシャレをしようとするとどうしても寒くなる。かといって暖かさ重視にすれば自分の望んだ格好ではなくなってしまう。

 あまり勉強は得意ではないけれど、こういうのを『二律背反』というのは何故か私は知っている。


「思い切って一太郎に何を着てほしいか訊いてみちゃう?」


 そうは言ってみたものの、質問に対して答えてくれる人はいない。当たり前のように、私は自分自身で答えを返す。


「……さすがにそれはやめとこ。ここでネタバレしちゃったら、明日一太郎のリアクションが楽しめなくなるもんね」


 一太郎の反応はとても面白い。

 いつも私の想定した以上に驚いたり恥ずかしがったりする。

 普段はのほほんとしているけど、案外表情豊かなのがとても可愛い。


 そんな彼のリアクションにどっぷりハマってしまった私なので、ここで明日の服装をネタバレするわけにはいかない。ぎりぎりまで頑張ってコーディネートを考えよう。


 一太郎の好みを推察するに、あまり派手なものは好まなそう。少なくとも彼は、自分の彼女を所有物アクセサリーのように扱うような男性ではないのは間違いない。

 こんな私でも大事にしてくれる、優しさの塊みたいな人だ。


 そう考えると、主張の強い柄ものとか無駄に明るい色とかそういうのは避けたほうがいい。

 なんなら年齢不相応な生脚も出さないほうがいいかもしれない。暖かさの確保も考えて、タイツを履くのが無難かなと思う。


 私は再びクローゼットを漁って服を探す。

 すると、クリーニング済みのビニール袋に包まれたとある服が目に入った。


「……これは、高校のときの制服?」


 そこにあったのは、濃紺色がベースのセーラー服。上下揃った冬物だった。

 高校時代に着用していたそれは、卒業から10年以上経ってもクローゼットに仕舞われたまま。


「うわー、私こんなの着てたんだー。懐かしーな」


 手に取るだけで思い出される青春の日々。

 やんちゃなことばかりやっていたなと、過去を懐かしむ。

 今では母校は統廃合されてしまって、もうこの制服を着用する学校はない。ある意味レア物なセーラー服だ。


 魔が差した。


 明日の服を探していたはずなのだけれども、ついつい私はセーラー服を包んでいたビニール袋を破いてしまった。今でもまだこの制服が着られるのか、ちょっと試してみたくなったのだ。


「おっ、全然今でも着られるじゃん。さすが私、体型維持に躍起になってた甲斐があるよ」


 部屋の姿見を見ると、濃紺のセーラー服に包まれた私が写っている。

 体型こそほぼ変化していないが、青春の日々を過ごしていた当時の私はそこにはいない。


 どうみても鏡に写っているのは、30歳を迎えた桜庭葉月だ。


「ちょっとこれはキツいかなー……。どう頑張ってもコスプレにしか見えないや、ハハハ」


 独り言をつぶやいて自嘲する。

 でもせっかく着たので、写真ぐらいは撮っておこうか。


 姿見に写る自分をスマホで撮影すると、またまた私は悪いことを思いつく。


「そうだ、この写真で驚かしてやろーっと」


 LINEのアプリを立ち上げて一太郎とのチャットページを開くと、私はセーラー服姿の写真を彼に送りつけた。

 写真のあとにこう一言添える。


『明日、これ着ていこーかなー』


 完全なおふざけ。もちろん本当に着ていく気はさらさら無い。一太郎がテンパる様子を観察して楽しもうという、それだけのことだ。


 返事はすぐに来た。


『うわー懐かしい! 葉月の高校の制服だ! 統廃合しちゃたからもうないんだよねーこの制服』


 思っていたリアクションと違っていて、肩透かしに合った気分だ。

 もっと驚いてくれてもいいのにと、私は口を尖らせる。


『今でもちゃんと着られるように体型維持してるのすごいし、かなり似合ってるね。さすが葉月だよ』


 追加で送られてきたその一言に私はなんだかむず痒い気持ちになる。


 似合っている? いや、そんなことないでしょ。私もう30歳だよ? こんなのどう見たってコスプレでしょ。


 そんな動揺を彼に悟られたくなかったので、思わず私はこう返す。


『でしょー? 一太郎、こういうの好きかなーって』


『うん、好き。葉月と同じ高校に通えてたら良かったなってちょっと後悔してる』


 あまりにも彼らしからぬ反応にびっくりしてしまった。もしかして一太郎は、お喋りでやり取りをするときとチャットでやり取りをするときで性格が変わるのかもしれない。


 私のからかいに対して動揺を見せない彼というのは、それはそれでドキドキする。全てを受け入れてくれそうな彼の優しさは、存外心地よいものだから。


『でも本当にそれを着ていくの?』


『着ていくって言ったらどうする?』


 冗談のつもりだけど、本当に彼ならば信じ込みそうなので、私はもう一度からかってみることにした。


 少し間を置いて、一太郎から一言だけ返事が来る。


『ちょっとそれは嫌』


『なんで?』


『他の人には見せたくないから』


 その瞬間、私は自分が赤面していることに気がついた。

 一太郎がそんな独占欲みたいなものを向けてくるなんて思いもしなかったから。


 じわじわと感じる、『好かれている』という実感。こんなの凄く久しぶりだ。そこまで言われると思っていなかったので、だんだんこのコスプレにしか見えない制服姿の写真が恥ずかしくなってきた。


 どうしよう、明日どんな服を着て、どんな顔して一太郎に会えばいいのか、余計にわからなくなってしまった。

 でも、同時に彼に早く会いたいなという気持ちも湧いてくる。これも『二律背反』というやつかな。

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