第16話 ○んこ

「ねえ、一太郎って犬好き?」


 そう葉月に言われたのがちょうど昨日のこと。

 仕事を終えて帰宅したところに、葉月から電話がかかってきたのだ。


「犬かあ……、特に好きでも嫌いでもって感じかなあ。うちはお袋が生き物を飼うのは絶対ダメって言ってたけど、僕自身にあまり動物の好き嫌いはないよ」


「ほほーん、じゃあわんこを愛でに行くことぐらいは問題ないってことね」


「まあ、そういうことだね。……いきなりどうしたの?」


「そのまんまだよ、週末にわんこをモフりに行こうと思って」


 要するに週末のデートコースの相談というわけだ。

 しかし葉月のその一言を聞いて、僕にはとある疑問が湧いてくる。


「あれ? でも葉月の家って犬を飼ってなかったっけ?」


 葉月はたまに自撮り写真を送ってきたりするのだけれども、その写真に可愛らしい小型犬が何頭か写り込んでいることがある。

 確かマルチーズとかポメラニアンという犬種だった気が。


 家に可愛い犬をたちがいるのであれば、わざわざ他所に犬を愛でに行く必要もないのでは。と、僕は思った。


「うーん、確かにそうなんだけどさ、あれはお母さんと妹の趣味なんだよねー」


「そうなの? 葉月も随分あの犬たちを可愛がっているように見えるけど?」


「もちろんうちの子たちも可愛いんだよ? でも私が本当に好きなのは、ゴールデンレトリバーとかサモエドみたいなおっきいわんこなんだよね」


 なるほどと僕は相槌を打った。

 葉月のお母さんも妹も犬好きではあるのだけれども、どちらかというと小型犬が好みというわけだ。そうなると葉月が大型犬をモフりに行きたいというのも頷ける。


「大型犬は最っ高なんだよー! もっふもふでおとなしくて賢くて、とっても愛おしいの!」


「そ、そうなんだ。てっきり大型犬ってパワーがあるから気性が荒そうなイメージがあったよ」


「たまにそういう子もいるけどねー。でも、実は気性が荒いのは小型犬のほうなんだよ。チワワとかああ見えて結構暴れん坊なんだから」


 そんなことなど知らなかった僕は、素直に感心して意外だなあと言葉に出した。

 やんちゃで行動力のある葉月と、落ち着いていてもふもふした大型犬、確かにお互いを補完する感じで相性抜群かもしれない。


「中学のときもいたよねー、身長小さいのにめちゃくちゃ刺々しい性格してて突っかかってくるやつ」


「あー、確かにいたなあ。まさに葉月の言う小型犬のイメージにピッタリだね」


「逆に身長の高い人は落ち着いてたよねー。一太郎とかそうじゃん?」


「いや……、僕の場合は背が高くて目立っちゃうからひっそりしてただけだよ」


 ふと中学の頃を思い出す。


 当時の僕は年齢の割に身長が高かったので、何もしなくても目立ってしまう存在だった。

 特に運動神経も良いわけではないので、体育のときは大体同じ身長だった健太とよくコンビを組まされ、とにかく足を引っ張った記憶がある。


 葉月の言う「落ち着いていた」というのは、僕の心に余裕があったというわけではない。どうやったら皆に迷惑をかけずに過ごせるかを四六時中気にしていたのが、たまたま彼女の目にそううつっただけだ。


「そんなことないと思うけどなー。割とみんな一太郎のこと大人だなって感じてたと思うよ? 勉強出来て生徒会とか委員会をこなして、喧嘩っぱやくなくて人当たり良くて」


「そ、それはさすがに盛りすぎだよ」


「いーや、全然盛ってないし。……まあ、無自覚にそういう立ち振る舞いが出来るのが、一太郎の良いところなんだけど」


 不本意ながら褒められてしまい、僕は何て言ったらいいのかわからなくなってしまった。

 ここ何年も褒められることなんてなかったから、余計に気恥ずかしい。


 僕が困惑しているのをチャンスだと思ったのだろうか。葉月はさらに僕を困らせるようなことを言う。


「一太郎ってまるで大型犬だよね。おとなしくて賢くて、もふもふだし」


「そ、そんなに僕毛深くないから!」


「冗談冗談。もふもふじゃないけど、とっても愛らしいじゃん?」


「……葉月、僕のことからかってるでしょ」


 そんなことないよと葉月は即答する。


「愛らしいというか、愛されキャラ? 一太郎のことを嫌いな人ってなかなかいないと思うよ」


「あはは……、そうだといいなあ」


 さすがにこれはお世辞だと僕は気づいたので、電話越しに苦笑いを浮かべる。


 確かに葉月の言うとおり、僕は大多数から嫌われる人間ではないと思う。でも、元妻から人生を半壊させられたぐらいにヘイトを向けられた経験があるので、素直に葉月の褒め言葉には喜べなかった。


 彼女は僕に優しくしてくれるけど、それを100%受け止められない自分に少し嫌気が差す。

 このままの状態が続いたら、さすがの葉月でも愛想を尽かしてしまうのではないかという一抹の不安が消えないのだ。


 その悩みは、時間が解決してくれるだろうか。

 とにかく今は、自分の心の傷をなんとかして元に戻すしかない。


「と、いうわけで、明日はわんこに会いに行くからドライバー頼むね。納車されたばっかりの車、楽しみだなー」


「あ、ああ、それなら任せておいてよ。綺麗にしておく」


「よろしくー。それと、車を扱うにあたってひとつアドバイスね」


「アドバイス?」


 一体何のアドバイスだろう。地元の道路を走る際の注意する点とか、よく白バイが張り込んでいる場所の情報とかだろうか。僕は参考にしなきゃなと思って葉月の声に耳を傾ける。


「コンドームは車の中に入れっ放しにしちゃ駄目だよ? 高温と日光ですぐ劣化しちゃうから」


「入れないよっ!」


 僕は顔を真っ赤にしながらそう葉月にツッコミを入れつつ、なるほどそうだったのかと心の中で合点した。

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