第15話 フラット

 さすがに冗談だよと健太は言うが、目は本気だ。

 これがバリバリの営業魂というやつか。スキを見せたら身分不相応過ぎる高級車をうっかり買わせられてしまいそうだ。


 当面の使用用途は通勤に使ったり、両親を乗せて買い物に出かけたり、葉月と一緒にドライブに行くことがメインになる。

 高い車を買って走り回ったり、パーツをカスタムして楽しむ趣味は残念ながら持っていないので、普通の車でいい。

 小綺麗で使いやすい機能がついていれば全く高級車である必要性はない。


「でも一太郎には結構似合うと思うんだけどなあ。お前みたいな落ち着いたヤツにこそ、こういう高級感のある車が映えるのに」


「そういうのは、もうちょっと出世して偉くなってからでも遅くないよ」


「おっ? と言う事は将来的にはアリってことか? じゃあその時も全力でお手伝いさせてもらうぜ!」


 よっぽど売り込みたいのだろう。健太はグイグイ押してくる。

 けれどもこっちも押されてばかりではいけない。欲しいものを的確に買うことが、結局僕にとっても健太にとっても有益なのだ。


「わ、わかったから、他のカタログを見せてくれよ」


「オーケーオーケー、まあそう焦るな。使いやすさで選ぶんだったら、こういうのはどうだ?」


 健太は手元の書類の束から別のカタログを取り出す。

 先程の王冠セダンとは違い、今度は箱型の広い車のカタログが出てきた。いわゆる、ミニバンというやつ。


「これは……、確かに車内が広いから使い勝手は良さそうだけど……」


「だろ? ハイブリッド車もあるから、そこまで燃費も悪くない」


「でもこういうのって、子どもがいるファミリー向けなんじゃないの? 僕、両親と3人暮らしなんだけど……」


 ミニバンといえば子ども連れ向けのイメージだ。テレビのCMも、わんぱくな小さい子がはしゃいでもへっちゃらだよという感じで売り込んでいる。

 僕のような両親と実家暮らしな男には、こういう車はあまり結びつかない。


「その両親ももう結構な歳だろ? こういう広い車のほうが乗り降りも楽で良いんだぜ?」


「まあ、確かにそうかもなぁ……」


「それに、これから家族が増えることだってあり得るだろ? 慌てて買うより、先に車だけでも用意しておいたほうがいい」


 そう言われて僕はまたコーヒーを吹き出しそうになる。

 家族が増える、それはつまり葉月との間に子どもが出来るということにほかならない。


 さすがにそこまで考えるのは時期尚早かと思う。何度も言うけれど、僕はまだ彼女に近づくことさえままならないのだ。


「それは、ちょっと気が早すぎる気がするよ」


「そうでもないぞ? 案外あっという間に訪れるもんだ。それに、家族が増える前でもこの車は便利だぞ」


 健太は立ち上がって僕をショールームへ連れ出す。

 そこにあったのは、カタログに描かれているものと同じ車。黒いカラーのそれは展示車ということで、ボディがピカピカ輝いている。


「やっぱり実物を見ないとな。中は広々としてるし、自動スライドドアとか、クリアランスソナーとか、便利な機能盛りだくさんだ」


「確かに実物を見ると結構いいかも……。シートとか座り心地良さそうだ」


「それだけじゃないぞ、この車は後部座席がフラットになる」


「フラット?」


 健太は展示車の後部座席を折り畳む。すると、みるみるうちにフラットシートが出来上がるのだ。


 最近は空前のキャンプブームで、テントを立てずに車中泊をするような人も結構多いらしい。そんなときにフラットシートがあれば、足を伸ばして横になれる。

 それ以外にも荷物を積むスペースが増えるし、使い勝手の点でバリエーションが出てくるというわけだ。


「でも僕、キャンプとかそんなにしないよ?」


「フラットシートの用途は車中泊だけじゃない。……ほら、お前も葉月も実家暮らしだろ?」


「う、うん……。それがどうかした?」


「なーんもわかってねーな。つまり、家じゃ2人きりになれないってことじゃんか」


 健太の言いたいことがわかってきた。


 家では2人きりになれない僕と葉月、広い車内、フラットシート。そんなシチュエーションで何も起こらないはずがない。と、彼はそう言いたいわけだ。


 葉月とドライブに出かけて、誰もいない星の綺麗な場所で空を見上げている。なんやかんやいい雰囲気になってきたところでフラットシートに僕ら2人が身を預ける。その後は心ゆくまで楽しむ流れ。

 月明かりと静けさ、半分野外にいるような開放感で、いつもより気持ちがたかぶる。


 思わず妄想してしまった割には、やけにシチュエーションが具体的過ぎて僕は恥ずかしくなってきた。

 そんな顧客カモを、敏腕営業マンの健太は見逃さない。


「あっ、一太郎、今フラットシートでいろいろ致すのを想像したな? やっぱりお前も男ってことだな、安心したぜ」


「なっ、そ、そんなわけ……」


「なーに、いいっていいって、男ってそんなもんだ。……ちなみにこの車はモデル末期だから、しばらくすると新モデルが出てくるぞ。それにはフラットシートはつかない」


 健太は商売上手だ。

 フラットシートの魅力に取り憑かれている僕に、購買欲をそそる追い打ちをしてくる。


 新しいモデルにそれほどこだわりがあるわけではない僕にとって、この車を拒む理由は無くなってきた。外堀を埋めるというのはまさにこのこと。

 金銭的な折り合いがつけば、すぐに成約書類にサインしてしまいそうだ。


「もうひとつオマケなことを言うと、この展示車も一応売り物だ」


「それは……、もしかして?」


「もしかしなくとも、大幅に値引出来るってことだよ。もちろん綺麗に清掃するし、整備もばっちりするから新車同様だぜ? オマケにオマケに納期も早い」


 健太の営業力には恐れいった。完敗だ。僕の需要を完璧に満たしてくる。


 気がつくと僕は書類にサインをしてしまっていた。

 今日この日に車を買うつもりなんてなかったのに、人生とは不思議なものだ。


 ちょうど手続きがすべて終わったころになって、近所のお店でお茶をしていた葉月が戻ってきた。


「やっほー、商談終わった?」


「お、終わったよ。……あれを買っちゃった」


 僕は展示車を指差してそう言う。

 葉月はその先にある車を見て、「おおー、やるじゃん」と感嘆した。うきうきとした顔でその車の中を覗き込むと、そこにはフラットシートがある。彼女は何かを察したらしい。


「フラットシートがある車を買うなんてさすがだね。一太郎のえっち」


「なっ……!」


 ニヤニヤと意地悪そうな顔でそう言う葉月に、僕は全く太刀打ちできなかった。



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