第14話 クラウン
「それで、葉月とはヤったのか?」
まるで健太の持ち味であるのびの良い豪速球みたいな質問がいきなり飛んできた。
そのドがつくほどのストレートっぷりに、僕は思わずすすっていたコーヒーを吹き出しそうになる。
「や、ヤッてないよ……」
嘘をつくことが苦手な僕は、正直に白状する。
ヤッてないどころか手すら繋げていないし、なんなら一定範囲内に近づけたこともない。
ウブな10代の男子じゃあるまいし、ヤッていないほうが不自然に思われそうだなと僕は思っていると、健太は意外な返答をしてくる。
「……そうか! なら安心したぜ!」
「安心した……?」
僕と葉月が付き合っていることぐらいはさすがに健太も察しているはず。それなのにヤッたかどうか訊いておいて、ヤッてないと返事をしたら安心される。
健太は付き合っていることは容認できるのに、性交渉だけは認めないスタイルなのだろうか? 何が目的なのだろう。……まさか葉月を寝取るとかそういう話なのか?
僕は頭の中で思考を繰り広げてますます意味がわからなくなる。
「あっ、いや、別にヤりたきゃヤればいいとは思うんだ。だけどあからさまにヤリ
「ヤリ目って……、そんな器用な真似は僕には無理だよ」
「だよなだよな。一太郎が一太郎でホッとしたよ」
ちょっと失礼な健太の言いっぷりだけど、事実は事実なので仕方がない。
ウブ過ぎるだろと突っ込まれるかもしれないけど、僕は好きな人以外とセックスなんて出来ないタチだ。セフレみたいに身体だけと割り切った関係は、たとえせがまれたとしても拒んでしまうと思う。
「どうしてそんなことを訊くんだよ。……もしかして、健太は葉月のことを?」
「いやいや、そんなわけないだろ。こう見えて俺、小学生の息子がいるし。葉月はただの同級生の女友達」
「じゃあ余計にそんなことを訊く理由がわからないよ。僕がもしヤリ目でも、健太には実害ないじゃないか」
健太は確かにそうだなとつぶやいたあと、こう続ける。
「葉月のやつ、4年ぐらい前にこっちに戻って来たんだけどさ、その時の落ち込みっぷりが凄かったわけよ」
「あの明るい葉月が?」
「そう。詳しくは話してもらえなかったけど、東京でいろいろあって挫折したんだって言ってた」
その話はこの間僕の家でジンギスカンをつまみながら話したことだ。東京で芸能人を目指す生活にケジメをつけて葉月はここに戻ってきたという話。
でも、健太の心配の種はその後のことにあるらしい。
「葉月帰ってきた来たあと、あいつがフリーだと知った古い知り合いたちがワラワラと寄ってきたわけよ」
「もしかしてその知り合いたちっていうのか……」
「そう。ヤリ目の連中ばかりだったってわけ。なまじルックスもプロポーションも良いからな、そんな奴ばっかりたかってくるわけ。それで葉月もうんざりしてしばらく元気が無かったんだわ」
なるほどそういうことかと僕は話の筋を理解する。
「んで、うちの嫁が葉月と仲良いもんだからさ、そういう話を嫌ほど聞いたわけよ。だから葉月に近づくなら、ヤリ目じゃない誠実なやつがいいなと思ったってこと」
「誠実な人、ねえ……」
「その点を鑑みると一太郎は葉月の相手に適任ってことだ。お前ならまだ童貞だって言われても驚かないからな」
久しぶりの再会なのにちょっとそれは失礼じゃないかと一瞬思ったけど、逆に反論するほうが情けない気がして、僕は苦笑いだけ返す。
女性経験というものが泣けるほど少ないので、童貞っぽさは確かにあるかもしれない。でも事実としては童貞ではない。
それどころか過去には妻と血が繋がっていない子どももいたなんて、ちょっとここでは言い出せなかった。
「でも最近なーんか葉月のやつイキイキしてるなと思ってたんだよな。蓋を開けてみたらそういうことかーって思ったぜ」
なるほどなと思っていたが、僕は健太の言葉に少し引っかかった。
最近葉月がイキイキしてきたということを知っている。それはつまり、健太は葉月と頻繁に会っているということ。僕は思わずその言葉の含む意味に固まってしまっていた。
「……健太は、葉月によく会うの?」
「ん? ああ、もちろん仕事でだけどな。あいつの勤めてるタクシー会社に結構出入りするんだわ」
「な、なんだ……、仕事で会うのか」
「当たり前だろ? 嫁も子どももいるんだから、プライベートで堂々と会うなんて出来るかよ。こんな田舎でそんなの見られたら、一瞬で噂が広がっちまう」
田舎の噂の広がる速度は尋常じゃなく速い。
比喩ではなく本当に光の速さで伝わるのだ。悪いことはしないほうがいい。
「最近のあいつ、仕事場でも本当に楽しそうにしてるよ。よっぽど葉月に気に入られてるんだな、一太郎は」
「そ、そうかなあ。なんだかそう言われると照れてくるよ」
「でも葉月の天真爛漫な性格から繰り出される気まぐれに振り回されるのは大変だぞー? さっきもちょろっと言ったけど、覚悟しといたほうがいいぜ」
それはもう体験済みだよと僕はもう1度苦笑いする。
現に今、彼女の気まぐれで僕はここに来ているのだ。これぐらいは諦めて受け入れる覚悟と気の長さなら、僕より優れている人もそうそういない。そんな変な自負だけはある。
「前置きが長くなったけどこれから本題だ。俺が一太郎にピッタリの車を選んでやるよ」
「お、お願いします」
「というわけでこれなんかどうだ?」
いざ商談のスターターピストルが鳴ったかと思うと、健太は手元にある書類の束から、とある車のカタログを取り出した。
そこに描かれていたのは、王冠のエンブレムでお馴染みのセダン車。最近モデルチェンジされて、クラシカルなセダン車のイメージを一新する革新的なデザインになった。
……もちろんお値段も凄い。
僕はまばたきを何回か繰り返したあと、健太を見て口をパクパクしていた。
さすがに不相応だと健太に告げると、彼はそうかそうかと言って、今度は『L』のエンブレムが眩しいもっとお値段の張る高級車のカタログを持ってきた。
健太のやつ、面白がってやがる。
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