第17話 待てどもトラフィックライト

 翌日、僕はついこの間納車されたばかりのミニバンにエンジンをかけた。


 カー用品店などというものは近所に存在しないので、車内はほぼ納車されたままの状態。

 わんこをモフりに行ったあと、ついでにカー用品店に寄って、葉月と一緒に内装やら芳香剤やらを選ぼうかと思う。


 運転席に座ってハンドルを握る。

 秋も深まって来たということで、今朝もかなり冷え込んでいた。放射冷却現象のせいで、晴れる日の朝というのは強烈な寒さがある。


 葉月との待ち合わせはいつもコンビニの駐車場だ。この街に2件しかないコンビニのうち、青い牛乳缶の看板でお馴染みのチェーン。葉月の実家から徒歩圏内だ。


 これだけ寒いと葉月がコンビニへ行くのも、そこで待つのも辛いだろうし、早めに出ることにしよう。


 ちなみにもう一つは、シエラレオネの国旗によく似た看板で家族的な名前のコンビニだ。待ち合わせ場所に行く途中でいつも目の前を通過する。


 そっちのほうはコンビニといいつつ、農協系列のスーパーとくっついていてあまりコンビニっぽくはない。昔はそれなりに売場面積が広い町内随一のスーパーで、よくフードコートで売られているアイスクリームを親に買ってもらった記憶がある。今はもう、面影すらない。


 待ち合わせ場所に到着すると、約束時刻の15分前だというのに葉月がレジ袋を片手に持って寒そうに待っている。

 葉月の装いはこれまた暖かそうな感じで、黒いニットにパープルのショートパンツ、黒いタイツを身に着け、ニーハイブーツを履いていた。


 東京と違って冷え込み方が半端ではない東北の田舎では、うかつに生脚なんて出せない。そんな無理をしているのはおしゃれを覚えたばかりの中高生だ。

 歳を取ると、おしゃれの加減がわかってくるのに加えて、冷えが身体に与えるダメージの大きさに気づくようになる。


 昔は結構派手な印象だった葉月も、さすがに三十路になると落ち着きを覚えたようだ。


 昨日いきなりLINEで高校時代の制服を着た写真が送られてきてからかわれたので、一体どんな服装で来るのかドキドキしていた。

 もちろん制服なんて着てこないことはわかりきっていた。心の中では動揺しつつも、葉月にからかわれてばかりじゃいられないと思って冷静にLINEを返したつもりだ。小さな見栄である。


 あの写真は公式からの供給ということで、僕が責任をもって美味しく頂きました。


 ちなみに僕は、皆がこぞって肌を出す夏場より、いろいろと着込み始めるこの季節が僕はお気に入りだ。

 この上なくタイツが好きということは、僕の口から葉月には絶対言えない。言ったらめちゃくちゃからかわれるに決まってる。



 僕の存在に気がついた葉月は、うっすら笑顔を浮かべてこちらへ近づいてきた。


「おはよー、寒いねぇ今日は」


「おはよう葉月。かなり冷えるね。暖房きいてるから早く乗りなよ」


 葉月は待ってましたという感じで助手席に乗り込む。

 シートベルトまできちんと締めたあと、レジ袋の中から温かい缶コーヒーを取り出して僕に手渡してきた。


「ほい、ブラックでよかったよね?」


「うん、ありがとう。寒い中待たせてごめんね」


「なーに言ってんの。まだ15分前だよ? 一太郎真面目すぎ」


「そういう葉月も集合時刻前に来てるじゃないか」


 葉月はもう一つ自分用に買っていた温かいレモンティーのペットボトルを取り出すと、助手席のドリンクホルダーにそれを収めた。


「それは……、その、あれよ。遅刻したらわんこと触れ合える時間が短くなるから」


 取ってつけたように葉月は言い訳を述べる。


 なぜそんなことがわかるかというと、別に多少遅刻しようがしまいが犬と触れ合える時間は変わらないからだ。

 事前予約制で時間枠が決まっているので、慌てて家を出てくることにあまり意味はない。


 それでも早く出てきたということは、葉月がよっぽど犬に飢えていたということだろう。そのせいか昨日の電話でもちょっと興奮気味だった。


 概要を把握した僕は、うんうんと相槌を打つ。

 すると葉月には、その対応が少し不満だったらしい。


「……そこはツッコミ入れないんだ」


「言うだけ野暮かなと思って」


「ふーん、そういうことするんだ。一太郎の意地悪」


「ええっ、僕は別にそんなつもりじゃ……」


 葉月はレモンティーのペットボトルを開封して一口飲む。

 その後また僕の方を向いて、こう続ける。


わんこに早く会いたいっていうのを口実にしてるの、バレバレみたいで恥ずかしいじゃん」


「えっ……? 口実?」


「……ん?」


 僕と葉月はその言葉にお互い混乱する。


 てっきり僕は大型犬に飢えているのは口実ではなく本当の理由だと思っていたのだ。でも葉月はそうではなく、大型犬に飢えているほうが口実だと言う。


 では一体本当の理由は何なのだろう。


 しばらくの沈黙が2人の間に流れると、僕を見つめる葉月の顔が少し赤らんだ。


「なっ、なんでもない! 今のは忘れて!」


「え、ええっ、なんだよそれ、余計に気になるじゃないか」


「気にならなくていい! ほら、早く出発しないと本当に遅刻するよ!?」


 そう忠告されて、僕は仕方がなくハンドルを握り直し、シフトレバーを『D』のレンジに入れる。

 道路に出て交差点で赤信号に引っかかったところで、僕は葉月から貰った缶コーヒーのプルタブを起こした。


 葉月が早くやってきた本当の理由。

 それが犬ではないとしたらなんだろう。新しい僕の車に乗りたかったとかだろうか。

 いや、車が犬より葉月の関心を引くとは思えない。


 そうなると、目的というのはまさか……?


 答えが導き出され、目が覚めたかのような感覚に襲われた僕は、すぐさま質問を葉月へ投げかける。


「ねえ、もしかして早くやってきた理由って、ぼ――」


「青になったよ。信号」


「えっ? あっ、本当だ……」


 ちょうどその瞬間、タイミング悪く信号が青になってしまった。

 葉月はちょっとバツが悪そうに、助手席側の窓の外を眺めている。


 素直に会いたかったんだよと言い出せない葉月が、なんだかとっても愛おしく見えた。

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