第43話 悲しみは雪のように

「なんだよ……それ。ふざけんなよ……」


 絞り出すようにそんな乱暴な言葉が出た。

 行き場のない気持ちは涙になって溢れ出てくる。


 葉月は僕のためだと言って、どこか遠くの街へ行ってしまった。


 冗談じゃない。僕にとっては葉月がAV女優であったことなど、ほんの些細なことなのだ。

 たとえそれによって周りから苦しめられたとしても、彼女を守り抜く覚悟ぐらいはとうに出来てきた。


 どうせそのうち伝わるだろうと、僕の気持ちを全く言葉に起こさなかった自分に腹が立つ。

 僕が女性恐怖症を克服するにつれ、葉月の様子に少しずつ違和感を覚えていたことにも、気づかないふりをしてしまっていたんだ。


 ふとこの間あけた右耳のピアスホールがうずく。


 同じく葉月の右耳にもピアスホールがあいていて、ペリドットみたいな色をしたピアスをつけているだろう。

 僕は他の誰かの前でそのピアスをつけている彼女を想像して、吐き気がした。


 やっぱり葉月がいなくなるのは嫌だ。


 嫌われて別れるより、好きなまま別れを告げられる方が段違いに辛い。それに、彼女がいなくなった生活を僕はもう想像することが出来なかった。


 じゃあどうする。

 そんなの決まっている。葉月を追いかけるしか僕に選択肢はない。


「……一太郎さん?」


 心配そうな表情で、弥生が僕に声をかける。


「ごめん、ちょっと取り乱した。大丈夫だよ」


「追うんですか? お姉ちゃんを」


「うん。僕にできるのはそれしかない」


 深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 突然の出来事でも、冷静に対処することが解決への一歩だ。


 弥生いわく、葉月は今朝徒歩で家を出た。自家用車は家に置きっぱなしだし、自転車も使用した形跡はない。


 もし遠くへ行くのであれば、移動手段は限られてくる。


 ひとつはタクシーで空港や特急列車の止まる大きな駅へ向かうこと。

 しかしこの線は可能性が低い。この街で葉月がタクシーを使うならば、元職場のタクシー会社を頼らなければならない。

 そうならばタクシー会社のひとは何らかの事情を知っていることになるので、健太から受ける電話の内容はもう少し違うものになっていたはず。


 もうひとつは路線バス。しかしこの線も薄い。なぜなら葉月がバスに乗るためには、タクシー会社の目の前にあるバス停で待たなければならない。

 突然いなくなるように仕向けたいのであれば、そんな目立つようなことはしないはず。これも同様の理由で考えにくい。


 残った手段といえば三セクの鉄道を使うぐらいだろう。

 駅は無人駅で誰もいないし、目立つことなく、確実に他の街へ移動できる。終点の駅ではJR線との接続があるので、そこから特急列車や新幹線に乗り換えたりということもあり得る。


 その仮説を信じて僕は駅へと向かった。


 駅の近くの駐車場に車を駐め、車から降りてとにかく走る。白い息が切れてしまうことも忘れて、無人の駅舎を駆け抜けた。


 雪がちらつく寒い日、島式一面の最寄り駅のホーム。


 平日の昼間は運行ダイヤがスカスカで、列車を待つ人は稀だ。

 人影なんてあるわけがない。ほとんどダメ元で僕はこの場所へやってきた。


 でも、視線の先には確かにいた。



 ――僕と同じく白い息を吐いて、寒そうに列車を待つ、桜庭葉月が。



「……間に合った」


「へへ……、追いつかれちゃった。やっぱり2時間に1本のダイヤは不便だよね」


 彼女は自嘲するように笑う。

 だいぶ長いこと寒い場所にいたのか、軽く震えているようにも見えた。


「書き置き、読んでくれたでしょ? あれが私の言いたいこと全部だよ。ここで私たちはお別れ」


「バカ言うなよ! あのぐらいのことで、僕が葉月を手放せるわけないだろ!」


 僕は辺りに響きわたる大きな声でそう言う。


「君の過去のことで僕に迷惑がかかるかもしれないなんて、そんなことどうだっていいんだよ!」


「どうでもよくないよ。一太郎は優しいから、何かあったら絶対に痩せ我慢をするじゃん。私はそんなの見たくない」


「痩せ我慢なんかするもんか。周りがどう思おうと、僕は葉月と添い遂げることしか頭にないんだよ!」


 僕からこれほど強い言葉を浴びせられると思っていなかった葉月は、少し瞳が潤みはじめる。


「……どうして一太郎はそんな、優しいことを言うの? 私、優しくされるのにふさわしい人間じゃないよ……?」


「そんなことない! だって君は、僕のどうしようもない過去だって受け止めてくれたじゃないか! そんな大きな恩が君にあるんだ。僕には、葉月の過去とか苦しみとか、それら全部受け入れる覚悟がとうの昔から出来てるんだよ!」


「でも……、やっぱり駄目だよ。過去は克服できるかもしれないけど、変えられない。私のことは、一生つきまとうことになる」


「それでもいい。もう僕には、桜庭葉月のいない人生なんて考えられない」


「ばかだね……。ほんと、ばか」


 葉月は泣きながら笑う。


「葉月のことを忘れるなんてもう無理なんだ。忘れようとしても、右耳のピアスホールがうずく」


 僕はおもむろに自分の右耳へと手を伸ばす。


「葉月も、そうなんじゃないのか?」


「ははは……、そうかも。まるで呪いみたい」


「僕の手で身体に刻みつけたくせに、僕の前から消えようなんて、どんな自己矛盾だよ。そんな未練がましいことをしているのに、どうしてもいなくなろうなんて……」

 

 白い息を吐き出し続けた僕は、ここで一旦息が切れてしまう。

 もう一度僕は息を吸おうとすると、今度は葉月が寒さで冷え切った右耳のピアスに手を当てて悲痛な叫びをあげる。


「じゃ、じゃあ、この矛盾、どうやって解消したらいいのかな……? 私、もうわかんないんだよ……」


 涙でボロボロになる葉月。今まで見た中で、一番辛くて悲しい、そんな表情だった。


「一太郎のことが大好きなのに、これ以上近づけない。近づいたら、きっと2人とも嫌な思いをする。だからもう、離れるしかないんだって……!」


 震えた声が響きわたった。

 ここまでくると、言葉より行動で示したほうがいい。


 僕は、泣きじゃくる葉月に近づいて、静かに抱きしめた。


「簡単だよ。全部僕が受け止めてしまえばいいんだ。葉月が僕にしてくれたように」


「一太郎……」


「今度は僕の番。僕が葉月を幸せにする番なんだよ。だから今は、大人しく僕に抱きしめられておけばいい」


 冷え切った葉月の身体を抱きしめる力を、僕は徐々に強くしていく。


「……もう2度と、目の前から消えるなんて言わないでくれよ。一生のお願いだ」


 葉月は何も言わず、ずっと僕の胸に顔をうずめたまま。


 彼女が乗るはずだった上り列車が停車して、誰も乗らずに発車していくその間も、僕らはホームで抱き合ったままだった。


 ちらつく程度だった雪は、いつしかしんしんと僕ら2人の肩に積もり始めていた。




※次回、最終話です。お昼更新予定です

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