最終話 気まぐれロマンティック

『――まもなく当船は苫小牧西港フェリーターミナルに到着いたします』


 日の出間近のカーフェリーの中。

 船内には録音されたアナウンスの声が響く。


 葉月の失踪未遂から1ヶ月。

 僕と葉月は北海道へ向かうフェリーに乗っていた。


 葉月は突然僕の前からいなくなろうとしたわけだけれど、むやみに遠くの街へ行こうとしていたわけじゃない。ちゃんと行く宛を考えていたのだ。


 聞くと、東京にいた頃の知り合いが札幌でフォトスタジオを始めるらしく、一緒にやらないかとお誘いが来たのだとか。


 元々『撮られる』仕事をしていたり、その補助をしていた葉月には、フォトスタジオの仕事というのが魅力的に見えたらしい。


 おまけに、札幌ぐらい離れた街にいれば、僕のことも忘れられるだろうなんて、そんな水臭いことまで考えていたようだ。


 突然姿を消したあの日の時点で、葉月は既にそのフォトスタジオで働く段取りを済ませていた。


 つまり、幸か不幸か僕が彼女の旅立ちを止めてしまったことで、その段取りが崩れそうになっていたのだ。


 その事情を聞いた僕は、葉月のやりたいことを止めるわけにはいかないと思い、彼女がドン引きするレベルの行動力を発揮してしまう。


 具体的に何をしたかというと、僕も札幌へ引っ越して葉月と一緒に暮らすという決断をしたのだ。学生時代に住んでいた街で土地勘もあるし、それなりに知り合いもいる。


 突然の出来事だったので僕は不義理をはたらかないように、お互いの両親や職場の親分である雅春さん、健太や弥生にきちんと頭を下げ、なんとか手はずを整えるところまでたどり着いた。


 仕事に関しても、雅春さんのコネと大口顧客の尊のおかげでなんとかなりそうだ。わがままなことを言ったのに、笑顔で送り出してくれたみんなには感謝の気持ちしかない。


 土濃塚兄弟にもこのことを電話で伝えた。驚かれるというより惚気を聞かされているかのようなリアクションを取られたのは記憶に新しい。


 ちなみに、あのあと尊は下北半島に一軒家を借りて、こっそり真と一緒に住んでいるのだとか。

 親友の僕にだけ教えてくれたけど、あのときの尊のメイドビキニがかなり効いたらしい。

 まだ模索中ではあるだろうけれど、上手く行けばいいなと思う。


 そして今僕ら2人は何をしているかというと、札幌への引っ越し作業の仕上げである。


 僕の車に荷物を積めるだけ積んで、葉月とともにフェリーに乗って北海道へと上陸しようとしている真っ最中だ。


 北へと向かう船の上で一夜を明かし、もうそろそろで朝日が差し込む苫小牧西港に降りようというところ。


 下船のため、車両甲板に駐めてある車に僕と葉月は乗り込んだ。


 東北の冬もなかなかの寒さだけど、北海道の冷え込みはそのずっと上を行く。

 切れるような冷気に、僕も葉月も「寒い」の言葉しか出なくなっていた。


「はい、さっき自販機で買った缶コーヒー」


「サンキュー、あったけぇ……。これがなかったら凍えて動けなくなってたよ」


「わっかる。北海道の人が『凍死』とか『遭難』とかそういうワードを言うと、冗談に聞こえないよねー」


 助手席に座る葉月は同じく自販機で買ったミルクティーの缶を、両方の手のひらでこねくり回している。

 車の暖房が効き始めるには、もう少し時間がかかりそうだ。


「ねえ、上陸したら何食べる?」


「そうだなあ、とりあえず温かいものがいいよね」


「だよねー。朝早くやってるお店あるかなー?」


「うーん、ラーメン屋さんとかならやってそうだけど」


 僕は冗談混じりでそう言うと、葉月はその手があったかと手を叩く。


「いいねえラーメン! 久しく食べてないから飢えてたんだよね」


「……朝からラーメンなんて葉月の胃腸はなかなかタフだね」


「えー、別に普通じゃない? 青森なんかだと朝ラーとか有名なところあるじゃん」


「確かにそうだけど……。まあいっか」


 朝はいつもご飯と味噌汁な僕には、朝ラーメンというものの経験がない。

 葉月の提案に対して少々胃腸に不安はあるけれど、あっさりめのラーメンならいけそうかなと思う。


「じゃあここに行こうよ。港から近いし朝からやってるよ」


 葉月はスマホの画面を見せてくる。

 そこには赤い看板でおなじみの家系ラーメンチェーン店の名前が表示されていた。


「えっ? 朝から家系ラーメン? 札幌味噌ラーメンとかじゃないの?」


「いいじゃん家系ラーメン! どうせこれから嫌というほど札幌味噌ラーメンなんて食べるんだから、今日ぐらい別のでもいいでしょ! こってり系とか久しぶりー!」


 テンションの上がる葉月をよそに、あっさりめのラーメンを希望していた僕は肩をすくめる。


 まあいいか、葉月が嬉しそうにしていれば、どんなものでも美味しく食べられそうだし。


「ちなみに、家系ラーメンのコールはどうするの?」


「そりゃもう決まってるでしょ」


 葉月は眩しい笑顔を僕へと見せながらこう言う。


「硬め濃いめ多めで!」


 ああ、これだ、この顔だ。これからこんな笑顔が毎日のように見られるなら、それはとても幸せな人生になりそうだ。


 もう絶対に葉月を手放したりはしない。僕の手で彼女を、今まで以上に幸せにするんだ。


〈了〉


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ありがとうございました!これにて完結です!

みなさまのあたたかい応援やフォロー、★のおかげでここまで来られました!

まだ★を入れていない方がいらっしゃいましたら、1つでも構いませんので入れて頂けると嬉しいです(3つだとめっちゃ嬉しいです。コメント付きレビューだと嬉しすぎて嬉野温泉になります)


良い報告が出来るように頑張ります。これからもよろしくお願いします🙏


あと、reGretGirlの『ピアス』、空想委員会の『恋愛下手の作り方』、いきものがかりの『気まぐれロマンティック』、この3曲がなければここまで書くことはできませんでした。

大変な感謝を申し上げます!

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