第40話 休憩4時間3,980円〜
「ねえ、ちょっとあそこに寄らない?」
帰り道の運転中、助手席に座っている葉月はそんなことを言う。
彼女の指差す先を僕は目で追う。そこには派手な外観の建物。
見間違えでなければ、彼女が寄ろうと誘っているそこはまごうことなきラブホテルだった。
「えっ……? だってあそこ、ラブホテ――」
「うん。私歩きまくって疲れちゃったし、休憩したいなーって」
僕の視線の先にある看板には『休憩4時間 3,980円〜』と書かれている。
もちろん言葉の通り休もうというわけではない。むしろ休む暇などなくお互いを求め合うための時間と空間だ。
僕は一瞬たじろいだ。
葉月とは手を繋ぐこともできるようになったし、抱きしめあうことだってもう問題なく出来る。
残されたのは最後の関門である粘膜同士の接触というわけだが、ここにきていきなりそのステップを駆け上がる心の準備みたいなものが出来ていなかった。
でも、ここまで葉月に
僕は意を決してハンドルを切って、その派手な建物の駐車場へと車を転がす。
「じゃ、じゃあ、せっかくだし……」
「わーお! 一太郎ったら大胆ー!」
「さ、誘ったのは葉月だからね……!」
「聞こえなーい」
葉月はわざとらしくそう言う。僕はしてやられたなと思いつつ、なんやかんや悪い気はしなかった。
駐車場に車を駐めて、エントランスから建物の中へ入る。
知っている人は知っているだろうが、こういう建物はフロントに人がいないのがほとんど。
部屋の一覧情報とタッチパネルがあり、滞在したい部屋を選ぶ。
「一太郎はどれがいい? ピンク系の部屋にする?」
「い、いや、あからさまに派手なのはちょっと……。シックな感じの落ち着いた部屋のほうが……」
「へえー、そういうのが好みなんだ。じゃあここにしよーっと」
葉月は僕の要望を取り入れて、シックな風合いの部屋を選んだ。
部屋番号が記されたレシートが発行されると、それを手にとって僕と葉月はエレベーターに乗る。
先程まで手を繋ぎながらショッピングモールを歩いていたけれど、ここにきて葉月はべったりと僕にくっつく。
今までにない密着具合で、慣れてきていたはずなのに僕はドキドキが止まらなくなる。
部屋のドアを開けて中に入る。ドアがガチャリと閉まってオートロックがかかると、葉月は僕へと目を合わせてきた。
「……キス、してほしい」
「ここで?」
「ここだから」
僕ら以外誰もいない密室。邪魔する者などもういないという意味を含んだ言葉だった。
葉月は早くしてと言わんばかりに目を閉じて待っている。この状況で唇を奪う以外の選択肢は僕にはなかった。
触れ合う唇。以前に夢の中でされたときとは違う、もっと生々しくて温かい感触。舌先をお互いに追いかけっこする僕と葉月。この空間には、しっとりとした水音だけが響く。
あっという間に満たされていく口唇欲求と、そこから生じる蕩けそうな快楽が僕の全身を襲う。
これ以上続けたら窒息してしまいそうになるところで、一旦唇を離す。
「……一太郎、すっごい激しいキスをするんだね」
「ご、ごめん、勢い余ったというか……」
葉月は少しはにかみ笑いをする。すでにその顔は上気し始めていて、彼女にも相当な快楽の波が訪れたのだと僕は察した。
「……じゃあ一太郎、先にシャワー浴びちゃいなよ」
「う、うん……。お先失礼するよ」
このまま事を進めたい気持ちをぐっとこらえて、僕は脱衣所へと向かう。
実家のとは違う小綺麗な浴室で念入りに身体を洗うと、備え付けのバスローブを身に着けた。
入れ替わるように葉月が浴室に入っていく。
これから始まる事を考えると、三十路だというのに脳内は17歳のサカリがついた少年と何も変わらない。
葉月が扮する新斗米もこの動画を何度も観たわけだけれども、それと同じことがこれから繰り広げられるのだ。心臓がいくらあっても足りないぐらいドキドキする。
しかしそれと同時にひとつ不安なことも浮かんできた。
葉月は元AV女優、いわば『セックスのプロ』だったわけだ。
そんな彼女の相手が自分に務まるのだろうか。
葉月が僕のことをいきなり突き放すことはないだろうが、ここでうまくいかなかったら後々の関係に影響な出そうな気がして仕方がなかった。
うまくやらなければと思えば思うほど、どんどんさっきまでの興奮のドキドキは緊張のドキドキへと変わっていく。
葉月のことが大好きでたまらないがゆえに、がっかりされることが何よりも怖くなっていた。
「……お待たせ、あがったよ」
「う、うん……」
葉月も僕と同様に、備え付けのバスローブを身に着けてベッドルームへやってきた。
ベッドに腰掛けていた僕の隣に彼女は座る。葉月はさり気なく枕元にある照明のスイッチを落とすと、部屋の中はぼんやりと明るい間接照明の光だけに包まれた。
「あ、あのさ……、ごめん葉月……」
「どうしたの? もしかして発作でも起きた?」
「ち、違う、そうじゃないんだ。……あの、本当に僕でいいのかなって、思っちゃって」
「一太郎以外に適任なんていないよ?」
戸惑う僕を解きほぐすかのように、葉月は笑いかける。
「で、でも、僕久しぶりだし、その……、あんまり自信ないというか……、ある意味葉月は元プロだし……」
「ふふっ、一太郎って、セックスはテクニックの発表会だと思ってるでしょ」
葉月は僕の思っていることを言い当ててやったぞと言わんばかりに、得意気な顔でそう言う。
完全に思考を見透かされてしまった僕は、素直に「うん」と弱々しく答えた。
「別にテクニックなんて要らないと思うよ。私もそんなの求めてないし。それよりも欲しいのは、『好き』っていう気持ちかな」
「気持ち?」
「そう。……まあ、なまじ回数ばっかりこなしてきちゃった私だから言うんだけど、
葉月は慎重に言葉を選んで話を続ける。
「他の女優さんがどう思ってるかは知らないけど、少なくとも私はそのセックスを心の底から気持ちいいと思ったことはないよ」
「そ、そうなの……?」
「うん。ベタなこと言うけど、やっぱり好きな人とするセックスが一番心も身体も満たされるんだなって思う」
身体だけではなく、気持ちが大切。
葉月みたいな経験があるからこそ、その説得力は大きい。
「……だからね、今からするのは、世界一気持ちいいセックスだよ。不安になることなんて、無いんだよ」
世界一気持ちいい。それはつまり、僕のことが世界一好きだということにほかならない。
僕はその言葉を聞いて、一気に戸惑いが吹っ飛ぶ。葉月に対する愛おしさと性欲が身体の奥底から湧き上がるようで、いてもたってもいられない状態だった。
我慢が出来なくなった僕は、もう一度葉月の唇を塞ぐ。
再び唇が離れる頃には、お互いにバスローブがはだけて生まれたままの姿になっていた。
「……もう、興奮し過ぎ」
「し、仕方がないだろ」
「でも、それだけ私が『好き』ってことだよね。……嬉しい」
葉月のそのなんとも言えない恍惚とした表情が、僕の最後のタガを外してしまった。
あれほど映像の中で彼女の情事を何度も目の当たりにしたはずなのに、全てが新鮮で、衝撃的で、知らないことだらけ。僕だけしか知らない本当の葉月の姿が目の前にあった。
他の誰にも見せたくない。独占してしまいたい。
そんな気持ちがはやり、いつの間にか僕はコンドームの着いた自分自身を葉月の内側へと馴染ませていた。
そこから先は夢中になってしまい、とにかく葉月の身体を貪る獣みたいな感じだった。あれほど刺激的な光景であったのに、不思議と行為の最中の記憶というのは頭に残らないものだ。
やがて我慢の限界が訪れ、コンドーム越しに葉月の中へ精を放つ。大きく息をついたあと、僕の耳元で彼女がこう
「一太郎、大好きだよ。これでもう、大丈夫だね」と。
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