第36話 君に幸あれ

「――葉月っ! ただいまっ!!」


 フル稼働で仕事を片付けた僕は、法律で許されるぎりぎりの速度で帰宅した。

 頭の中では葉月が尊に寝取られてしまっていないかでいっぱいだったのだ。


 しかし自宅のドアを勢いよく開けたとき、その疑念は吹っ飛んだ。


「おかえりー」

「おかえりなさいでーす」


「……あれ? どうしたの2人とも? 出かけたんじゃなかったの?」


「うん、出かけたよ。踏切のカフェでお茶してきた」


「それだけ……?」


 葉月は「それ以上のことをして欲しかったの?」とわざとらしく僕に訊く。もちろんそんなわけはない。


 それよりも2人のその格好だ。まるで示し合わせたかのようにメイド服を着ているのだ。

 いや、メイド服というよりこれは、メイドビキニと呼ぶべきだろうか。


「ああこれ? 2人ともたまたま同じ衣装を用意してたから一緒に着てみただけだよ。尊って結構有名なコスプレイヤーなんだねー。こだわりがすごくてびっくりしちゃった」


「葉月が衣装を用意しているのはなんとなくわかるんだけど、どうして尊まで……?」


「実はねー――」


 そこで僕は葉月からすべての説明を受ける。


 尊は葉月を寝取るつもりなどなく、僕と葉月の関係を刺激するように真から指示されたこと。

 さらには尊の想い人がヤキモチを妬くように、僕との2ショット写真を撮りたいということ。メイドビキニはそのアクセントみたいなものだということだ。


 半ば冗談のように感じられたが、どうやら本当のようだった。

 なんにせよ葉月を取られる心配がなくなったのは安心だ。


 それよりもむしろ、何故かいかがわしいお店のようになってしまったこの家の中のほうが不安である。


 2人ともメイドさんがつけるカチューシャを装着している。しかしながらそれ以外の服装はメイド服と似て非なるものだ。

 メイド服に付随しているようなひらひらなデザインのビキニ。布地面積が少なくて、肌の露出が多い。


 葉月は持ち前のスタイルが活かされていて、胸の大きさといい、くびれといい、お尻といい最高のバランスである。ここまで来るとエロさはもちろんだけれども美しささえ感じる。

 僕の好きなサイハイソックスにガーターベルトまで装着してるのが超加点ポイントだ。


 一方の尊は葉月とは対称的に細身の身体が綺麗に映えていた。

 当たり前だが女性ではないので胸もお尻も無い。しかしそのスラッとしたシルエットが不思議と男性っぽさを消していて、魅力的に映っているのだ。何故かわからないけれど、これはこれで視線が向いてしまう。


 おまけに、僕と同じものがついているはずの彼の股間にはそれが無いように見えた。後で聞くと上手くごまかす技術があるんだとか。

 尊が男だとわかっているのにあるべきものが無いように見えるその姿は、十分に僕の脳をバグらせていた。


「というわけで一太郎と尊のツーショットを撮るから。早く準備してね」


「ええっ、やっぱりこの姿で撮るの!?」


「そりゃそうでしょ。このほうが尊の好きな人がヤキモチ妬いてくれるだろうし。……ほら、くっついてくっついて」


 僕はソファに座らせられる。

 するとさっき2人がカフェで買ってきたという瓶入りのプリンとスプーンを持って、尊が僕の隣に座り始めた。


「はい先輩、あーんしてくださいっ」


「えっ、あーんの瞬間を撮るの……?」


「そうです。それとも別のシチュエーションのがいいですか? えっちは駄目ですけど、キスぐらいなら構いませんよ?」


「い、いや、あーんでいいです……」


 尊は意地悪な表情で「残念だなぁー」と白々しく言う。


 男相手とはいえ葉月の目の前でキスをしようものなら、今後の僕がどうなるかわからない。ただでさえ今スマホのカメラを構えている葉月はちょっと嫌そうな顔をしているのだ。


「はい、あーん……」


「んぐっ……、ちょっとスプーンツッコミすぎだって」


「あはは、ごめんなさーい」


 葉月はその瞬間を連写機能で収める。

 撮れた写真を尊と確認して、どうやら問題なさそうなので撮影終了となった。


「本当に僕とのツーショットでその人はヤキモチ妬いてくれるの?」


「妬いてくれるかどうかはわからないですけど……、先輩と撮るのが一番効果ありそうな気がして」


「僕が……? どうして?」


「それは……その……、ほら、先輩って落ち着いていて優しそうじゃないですか」


 煮えきらない尊の返答に、僕は少し首を傾げた。


 落ち着いていて優しそうな人ならば、別に僕である必要性はない。むしろ交友関係の広そうな尊なら、わざわざ田舎まで来なくても他に適任な人がいそうなものだ。


 つまり、逆説的に僕でなければならない理由がある。


 思うに、尊の想い人が僕のことをよく知っている可能性がある。

 女性恐怖症である僕と女性ではない尊ならば、くっつく可能性を否定できない。想い人の嫉妬心を煽るならばこれ以上の適任はないのだ。


 僕の中で、とあるひとりの存在が思い浮かぶ。

 僕の親友であり、尊の兄である真だ。


 ……もし尊の想い人が彼であるならば、確かに茨の道であるかもしれない。

 僕と葉月の関係よりも、壁の高さや数が違いすぎるから。

 希望よりも絶望のほうが大きい、そんな道のりだ。


「まあ、上手く行くかわかんないですけど、ボクは諦めませんよ」


「ああ……、そうだな。諦めないのは大切だ」


 僕はその事実に気がつきながら、可能性を否定しないように無責任なことを言う。


「だから先輩も早く克服して、葉月先輩との惚気を聞かせてくださいね」


「なっ……、なんで尊に惚気なきゃいけないんだよ」


「そういうのは格好の創作ネタになりますから。だから頼みますよ? ボクの飯のタネのために」


「はは……、商魂たくましいな……」


 それが尊の精一杯の強がりであることは手に取るようにわかる。

 上手くいく見込みの薄い恋路を、無責任に応援することは僕には出来なかった。


 でもひとつだけわかることがある。


 周りのことはわからないけど、少なくとも2人は想い合っていると僕は思う。それをこれから解き明かしていけば、どこかで光が見えることもあるかもしれない。

 駄目で元々。諦めない尊のスタンスは見習うべきだろう。


 君に幸あれ。

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