第33話 敵対心
葉月のジトッとした視線がつらい。
不可抗力であるとはいえ、この状況を弁明するのはさすがに難易度が高すぎる。
「……まあ、一太郎の故意ではないってことぐらいはわかるわ。どこの誰かわからないけど、どいてもらえる?」
「は、葉月……、わかってくれるのか……?」
「浮気されてボロボロに傷つけられる痛みを知った人が、わざわざこんなことをするはずないもの」
「葉月ぃ……」
僕は葉月の優しさに思わず涙しそうになった。
女神過ぎるし聖母すぎる。もう葉月に足を向けて寝られない。
とりあえず尊は苦笑いしながら僕から離れた。
彼的にはスキンシップの一環らしく、別に他意はないらしい。
「あっ、そうだ。紹介するよ、こいつは真の弟の尊」
「どうもこんにちは! お久しですねー葉月先輩。中学ぶりですかね?」
尊は何事もなかったかのようににこやかに葉月へ挨拶する。
葉月は葉月で意外な名前を聞かされたようで、珍しく驚きの表情を見せた。
「尊って……、あの超絶美少年の尊なの!?」
「そうですよ。あの超絶美少年だった土濃塚尊でーす。今はメスお兄さんやってまーす」
「抱きつかれた一太郎に全く発作が起きていないから男だろうとは思っていたけど……、まさか尊がこんなメスお兄さんになっているなんて……!」
「でしょー? 割とこのメスお兄さんスタイル気に入っているんですよねー」
いや、2人ともサラッと言うけど、そんなに『メスお兄さん』は市民権を得た言葉じゃないからね。
尊の美貌に驚いた葉月は、肌の手入れとか化粧品の話で盛り上がり始めた。
傍から見るとめちゃめちゃ女子会っぽいが、僕は尊が男であることを知っている。騙されないぞ。
「でも葉月先輩ってすごく綺麗ですよねー。こんな素敵なら、世の男性方が放っておかないんじゃないですか?」
「ま、まあ……、そういう時期もあったけど……。今は別にそんなことないよ? こんな片田舎だし、言い寄られることもないかなあ。彼氏もいるし」
「彼氏……? もしかして、葉月先輩と一太郎先輩って……?」
「……うん、まあその、付き合ってる感じ」
葉月は恥ずかしそうにそう言う。
そののあまりのぎこちなさに、僕は少し申し訳ない気持ちが湧いてくる。すっと胸を張って付き合っていると言えない感じが、僕ら2人の間にある障害の大きさを物語っている。
葉月は夕飯の準備をすると言ってキッチンに立った。
僕とサシになった尊は、葉月との関係を根掘り葉掘り訊き始めた。
「――へえー、じゃあ今お2人は同棲してる感じなんですね」
「まあそういう感じだよ」
「それにしても女性恐怖症だなんて災難ですね……。心の傷って簡単に治るものじゃないから、さぞかし大変でしょうに」
「それでも葉月のおかげでだいぶ良くなってきたよ。今まで近づけすらしなかったけど、少しだけ手が繋げるようになったし」
「ふーん。やっぱり葉月先輩は献身的で素敵ですね。憧れちゃうなあ……」
尊は羨望の眼差しをキッチンにいる葉月へ向ける。
何故か僕はその尊の姿にもやっとしてしまった。
「あっ、ちなみにボクはこんな見た目をしていますけど、女の人も好きですからね?」
「ん? それは一体どういう忠告? 唐突な二刀流宣言?」
「違いますよー。あんまり先輩がもたもたしてるなら、葉月先輩をとっちゃおうかなーってことです」
「なっ……」
僕はそれ以上言葉が出なかった。
さっきのもやっとした気持ちが尊の言葉によって具現化されてしまったのだ。
僕と葉月の間には『邪魔者』がいなかった。
もういい歳だし、惚れた腫れたで男女の揉め事を起こすようなことを意図的に避けてきたのもある。
そのおかげもあって、ここまでは葉月と一対一で付き合うことができていた。
でも今この瞬間、その均衡は破られようとしていた。
土濃塚尊がそこに土足で踏み込んでくる。売れっ子作家で、見た目は女性っぽいけど確かな美貌があって、なんと言っても彼は普通に葉月に触れられる。
単純なことであるけれど、この接触できるという事実が僕にとってはめちゃめちゃ重いことだ。
葉月はお金にも執着しないし、僕みたいな普通の男でも付き合う気になるぐらい容姿に寛容だ。
でも触れられないことに対してはどうだろう。ここ数日献身的に僕を支えてくれているけれども、大きな成果みたいなものは出ていない。
彼女なりに焦る気持ちもあるだろうし、僕がヘタレ過ぎることによる苛立ちなんかもあるだろう。
こういう心にスキができてしまった時に、心変わりは起きやすい。
裏切りにあったことがある人ほど、そういう状況等には敏感になる。
葉月にとって、突然現れた土濃塚尊が一種のオアシスのようになり得るのだ。
するとどうだろう。僕は一気に1人へと逆戻りだ。
支えてくれた葉月の優しさとか、温かさとか、そういったものを全部無に返す。それどころか、負の感情すら湧いてくる。
そんなことになるのは、もう嫌だ。
僕はその時初めて、他人に対して『敵対心』というものを持った。
葉月へ熱い視線を送る尊に対して、僕は思わずこう言いはなってしまった。
「……葉月は、渡さないから」
「へえ、一太郎先輩もそんな顔するんですね」
尊はまるで僕の敵対心を楽しむかのようにそう言う。
戦いの火蓋が、静かに切って落とされたのだった。
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