第32話 メスお兄さん

 とにかく尊は困った様子であったので、なんの疑問も持たずに僕は彼を家へと上げた。


 彼は僕の中学の後輩。2つ年下で放送部で一緒だった。とても人懐こい性格で、当時は綺麗な顔をした美少年だった記憶がある。

 それがいつの間にかこんな感じに変貌を遂げていたわけだ。


 中性的な細身の身体。ネイビーのニットとタイトめなジーンズを身につけていて、尊であることを知らなければ女性と間違えてもおかしくない。


 おまけにその両手にはとてつもない量の荷物がある。ざっとこの間葉月がうちに持ち込んだスーツケース2個分ぐらい。

 兄の真が言うには『ワーケーション』らしいけれど、それにしたって荷物が多すぎやしないかと思う。


 僕は尊をリビングに招き入れ、ソファに座らせる。

 粗茶を出して一息つくと、やっと本題の話に入り始めた。


「実はワーケーションで地元に帰って来たんですけどー、この辺ホテルが全然無くてですね。困っちゃってるんですよー」


「まあ、確かに宿は全然無いよな。でもそれなら実家に帰ればいいんじゃないか?」


 わざわざこんな田舎まで帰って来たのだから、両親に顔を見せるぐらいしたらいいのにと僕は思う。

 しかし尊は僕の予想斜め上の返答をしてくるのだ。


「そうしたいのは山々なんてすけどー、残念ながらボク、両親から勘当されちゃってるんですよー。『女みたいな息子は要らんっ!』って。……ほらウチ、ちょっとお堅い医者の家系じゃないですかー」


「ええっ……、そうだったのか。じゃあむしろ田舎に帰って来なかったほうが良かったんじゃないのか?」


「でもそれだとー、先輩に会えなくなるじゃないですかー」


 尊は下手くそなウインクを僕に返してくる。

 いやいや、可愛らしく振る舞っても無駄だ。僕は尊が男であることを知っている。騙されないぞ。


 しかし、わざわざ僕に会いに来たというのがよくわからない。実家に勘当されているならば、尊がこんな何もない田舎に来る意味がないのだ。

 ましてや僕と尊は昔から親密であるかと言われると微妙なところ。なにせ尊がこんな中性的な格好をしているなんて、たった今知ったのだから。


 考えても考えても答えなど出ないので、僕は直接尊に訊いてみることにする。


「うーんと……、僕に会いに来た理由を知りたいんだけど」


「そんなの決まってるじゃないですか。先輩、税理士さんですよね?」


「そ、そうだけど……。もしかして……?」


「そのもしかしてですよ。ボクのお金関係、ぜーんぶ先輩におまかせしようと思って来ちゃいました」


 僕は尊のその行動力の塊具合に少しめまいを感じた。


 土濃塚尊は売れっ子作家である。当然お金関係の処理もしなければならないが、多忙なのでそのへんは税理士におまかせしているという感じだろう。

 おそらく、何かしらの理由で今現在の尊のお金関係を担当している税理士さんを変更したいということなのだろう。


「ボクの担当をしていた税理士さんはいい人だったんですけどー、打ち合わせの度にスケベな視線を向けてきて困っちゃっててー」


「それは……、ご愁傷さまだね……」


 僕は尊の姿全体に目をやる。

 確かに不思議な魅力のある姿ではある。人によってはこの姿に見惚れてしまうこともあるだろう。

 でも僕は尊が男であることを知っている。騙されないぞ。


「それで身の危険を感じたのでお兄ちゃんに相談したらー、一太郎先輩がいいんじゃないかって言ってくれたんです。それで直談判しに来ました」


「なるほど真のツテってことか。それにしても直談判って……。今どき普通にウェブ通話とかあるじゃん、直に家まで来なくても……」


「直接来ないと駄目なんですっ!」


 語気を強くして尊がそう言うと、彼は持ってきた荷物の中からひとつの箱を取り出した。

 ホームセンターでよく売っているような、カーキ色でバックル付きのプラスチックの箱。DIYが大好きな人ならば必ず一度はお世話になったであろう、『ホムセン箱』だ。


 尊はその箱の蓋を外す。すると、中には紙の束という束がたくさん詰め込まれていた。


「あ、あの、尊……? これってもしかして……」


「そうです! おわかりの通りこれ全部が領収書なんかの束です!」


「こんなに膨大な量があるのか……」


「そりゃあもう、作家活動には参考資料がたくさん必要ですからね。あと、副業みたいな感じでコスプレイヤーもやってるので、そっち関連もたくさんありますよ」


 僕は山のような領収書などの束に頭を抱えた。

 しかし、逆に考えればこんなチャンスもない。


 いずれ雅春さんの跡を継ぐか独立開業をしようと考えていたので、今のうちに尊みたいな大口の顧客を掴んでおくことは決して悪いことではない。

 もしかしたら尊の紹介でさらなる仕事も手に入れられる可能性があるので、いちビジネスマンとしては逃したくない機会である。


「せ、先輩……。お願い、出来ませんか?」


 尊はわざとらしく上目遣いで僕を見てくる。

 でも僕は尊が男であることを知っている。騙されないぞ。


「わ、わかったよ。お仕事の依頼なら引き受けるから安心して」


「やったー! 先輩大好きー!」


 僕が承諾すると、尊はよっぽど嬉しかったのか僕に抱きついてきた。

 ふとその時思ったのだけれども、尊には抱きつかれても大丈夫らしい。まあ、男だと知っているから当たり前といえば当たり前か。


「それじゃあその勢いで、今晩泊めてください」


「それは無理」


「えー、じゃあ僕このまま隣町のホテルまで行かなきゃいけないじゃないですかー。面倒くさいんでいっそ泊めてくださいよー」


「駄目ったら駄目だ。だって今僕は……」


 そう言いかけたとき、僕はとある視線に気がついた。

 なんのことはない、葉月が帰ってきてしまっていたのだ。


 一緒に仕事へ出かけたはずの僕がなぜか家にいて、おまけにどこの誰かともわからない女みたいな人に抱きつかれている。

 状況だけを書き連ねたら、一般的に浮気とみなされてもやむを得ない。おまけに抱きつかれているのに僕には発作も起きていない。


 そんな場面を目の当たりにしてしまおうものならば、いくら葉月でさえ機嫌を悪くしてしまう。


「……は、葉月、こ、これはね、深いワケが」


「ふーん、そうなんだ」


 これまでにないほど冷たさを帯びた葉月の声。

 まずい、僕はここで死ぬかもしれない。

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