第27話 ペアルック

「ふぅー……」


「いやー、美味しかったねー。我ながら腕上げたねって感じ」


「うん、とても美味しかったよ。これがしばらく続くなら最高かも」


 食卓の上には空になった土鍋が置いてある。

 葉月が特製の牡蠣鍋を振る舞ってくれたわけなのだけれども、これがなかなかに美味だった。


 僕は牡蠣が結構好きなのだけれども、母親があまり貝類を好まないこともあって久しぶりにその味を堪能した。葉月がとびきり美味しく調理してくれたので、お腹いっぱいで幸福感が凄い。


「それじゃあ後片付けは僕が……」


「ううん、それも全部私がやるから。一太郎はのんびりしててよ」


「で、でもそれじゃあ……」


「いーのいーの、思いっきり甘えなさいって」


 葉月は食器類を流し台へ運び始めた。自宅でもよくそういうことをしているのだろう。手付きが慣れていて動きに淀みがない。


 ちなみにスーパーから帰宅してから葉月はまたあの格好をしている。料理中は油がハネたりすると危険なのでさすがにエプロンをしていたか、その姿はフェチの塊だった。

 童貞を殺すセーターにサイハイソックスにガーターベルトにエプロンという性癖の渋滞具合には、東京外環自動車道もびっくりであろう。


 一方で僕は何もやることがないので居間でテレビを見ている。温かいお茶まで淹れてもらって、ちょっとした殿様気分だ。


 いつもならお風呂の準備をしたり、明日の朝に出すゴミをまとめていたりとそれなりに慌ただしいのだけれども、それすら葉月は自分でやるからといって聞かなかった。


 こんなにのんびりとした日曜日の夜は久しぶりかもしれない。その証拠に、とりあえずつけたテレビから流れる番組が、全く僕の知らないものばかりになっていた。


 息をついてテレビを見る程度の余裕もなかったのだなと、僕は自分の行いを振り返る。

 同時に、実はこういう少しの余裕というものが心を潤しているのだなと感じた。


 何かに追われ続けるのは、確かにしんどいのだ。

 当たり前といえば当たり前なのだけれども、忙殺されるのがくせになってしまうと、このことにはあまり気づくことが出来なくなる。


 何かに集中して視野が狭くなりがちな僕を、葉月はいつも助けてくれる。確証も裏付けもないけれど、彼女と一緒なら今までよりも上手くやっていけそうな、そんな気がしていた。

 シンプルに言えば、ずっと葉月と一緒にいたいなと思ったんだ。


 そのためには女性恐怖症の克服だけれども、これも焦る必要はないと彼女は言ってくれる。こんなに尽くされることに慣れていない僕は、どうやって感謝の気持ちを葉月へ伝えるべきか、わからなくなってしまっているのが少しもどかしい。

 これもまた、時間が解決してくれるだろうか。


 ◆


「お風呂沸いたよー。入浴剤入れておく?」


「うん、せっかく買ったし使おうよ」


 居間でのんびりしているうちに、いつの間にかお風呂の準備が整っていた。

 葉月も葉月で普段から家事をこなしているのだろう。さっきの料理や片付けも手際が良かったし、お風呂の準備も合間合間に済ませるぐらいテキパキ行動している。


「それじゃあ今日は『草津の湯』にしておこっか。明日は登別で、明後日は別府!」


「いいね。草津も登別も別府も行ったことないけど、文字を見るだけで癒やされそうだよ」


「それはさすがに変態すぎない……? 文字で癒やされるのはレベル高いと思うよ?」


「ええっ、そんなことないよ! プラシーボ効果みたいなものだよ!」


 思い込みの力を侮ってはいけない。鰻の香りだけで鰻を食べた気になれるという落語が存在しているぐらいなのだ。温泉地の字面だけで癒やされるならば、それは変態ではなく特技と言えよう。


「草津はともかく、いい香りの入浴剤だからたっぷり癒やされてね」


「はいはい。じゃあお先にお風呂頂くよ」


「いってらっしゃーい」


 僕は立ち上がって脱衣所へと向かう。

 しっかりと着替えが用意されていて、さすが葉月だなと感心した。


 しかし、ふと着替えの中身を確認すると、ある違和感に気づく。


「あれ……? こんなパンツ持ってたっけ……?」


 そこにあったのは見慣れない柄の新品のボクサーパンツ。

 普段からこのタイプを履いているので使用する分には違和感なさそうだ。でもなぜ新品のパンツが用意されているのだろう。葉月が買ってきたのだろうか。


 僕は脱衣所の扉を少し開けて、居間にいるであろう葉月に声をかける。


「葉月ー? このパンツは一体なに?」


 彼女にしては珍しく返事がすぐに帰ってこなかった。

 なんだかもぞもぞと忙しそうな感じ。食事の片付けは終わっているはずだろうから、寝床の準備てもしているのだろうか。


 しばらくして、ゆっくりと葉月は脱衣所へやってきた。

 何やら秘密を抱えているような、そんな不敵な笑みで僕の質問に答え始める。


「ふふふ、そのパンツはね……」


「このパンツは……?」


「私とペアルックなんだよねー!」


 その瞬間、葉月は身につけていた童貞を殺すセーターの裾を上げる。

 先程までは黒のレースにピンクのサテン生地というエロさにステータスを全振りした下着を履いていた。しかし、今そこにあるのは僕のボクサーと同じ柄で履き心地の良さそうな綿製のパンツ。


 さっきまでの『見せつける』パンツとは違って、普段の無防備感がひしひしと伝わるので、これはこれで別のエロさがある。オンとオフのギャップみたいなものに、男は弱い。


 わざわざ僕に見せつけるために履き替えてからやってきたのかと思うと、その熱心さに僕は呆れを通り越して乾いた笑いが出てきた。


「どう? あんまり男女ペアルックの下着って売ってないから探すの大変だったんだよね」


「す、すごくいいと思う……」


「一太郎……、パンツ見過ぎ。そんなに良かったの?」


 僕は何も言わず首を縦に振る。言葉で返すのが少し野暮になるぐらい、男心というものを鷲掴みにされてしまっていた。

 今夜ペアルックの下着で一夜を過ごすとなると、不思議とドキドキしてしまうのだ。単純なことなのに、まるで10代のときみたいで刺激的だ。


「そういうわけで一太郎もそのパンツを履いてよね」


「わ、わかった」


 とりあえずパンツの件は一件落着。

 すると葉月はおもむろに何かを取り出す。

 右手には水泳選手が着用するようなピッタリとした水着、左手にはほぼ紐じゃないの? と思うくらいのビキニが握られている。


「あと、これは事前アンケートなんだけど、マイクロビキニと競泳水着どっちがいい?」


「葉月、僕とお風呂に入る気まんまんでしょ!」


「いいじゃーんそれぐらい。背中ぐらい流してあげるから」


「よくないよ! もし僕が倒れたらどうするのさ!」


 葉月は大丈夫大丈夫と笑う。

 本当は裸で入るべきだろうけれど、これで手加減してやるということらしい。


 葉月、『手加減』の意味を知っているのかな……?

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