第26話 紙袋に入れて下さい
スーパーに入ると、葉月は目の色が変わった。
食材の値札はもちろん、できるだけ新鮮で美味しそうなものを買おうとする強い意志みたいなものを感じる。
案外家庭的なのだなと最初は思っていたけれど、こう見ると家庭的を通り越してもはや業務用の眼差しである。
原価計算をガチガチにやっているプロの飲食店経営者と何ら変わらない。
「良い白菜が入るようになったねぇ……。値段も安定してきたし、旬が近いね」
「セリフが完全に市場の人なんだよなあ」
「大根もたくさん入荷されてるね。こういうの見ると、冬が始まるって感じがしてワクワクしない?」
「そう……、かな? 冬が始まるの、あんまり嬉しくない気もするけど……」
雪国生まれで雪国育ちな僕らは、冬にあまりいい思い出がない。
雪遊びはすぐに飽きてしまうし、雪かきの労働力として駆り出されることもしばしばある。
大降りになれば列車やバスは止まるし、道路は狭くなって滑るようになるから生活するだけでも大変なのだ。
それでも葉月は冬が好きだと言う。
名前からわかるとおり彼女はバリバリの8月生まれだけど、単純に暑いのが嫌いらしい。
「よーし、牡蠣鍋の材料はバッチリだね。スープはお味噌味でいいかな?」
「オッケーだよ。特に好き嫌いはないから、葉月におまかせする」
「あとはデザートのアイスとか買っちゃう? お風呂上がりのアイスが大好きなんだよねー」
「気持ちはわかるけど、この歳になると食べた分だけきっちり太るからなあ……」
学生の頃はいくら食べてもなんともなかったのに、年齢の十の位が増えるにつれてどんどんカロリーが身体に現れるようになってきた。
お風呂上がりのアイスもめちゃくちゃ魅力的ではあるけれど、クリーム系の高カロリーなものは避けたい年齢である。
「そんなあなたにこんなものがあります。じゃーん」
「それは……、カロリーハーフのアイス……!」
葉月が手にとっていたのは、1カップで80キロカロリーという驚異の数字を誇るアイスクリームだった。
「ふっふっふ、通常のアイスクリームと比べて半分のカロリーしかないという素晴らしいアイス……! これは買わずにはいられない!」
「でもカロリー半分ってことは、美味しさも半分オフでしょ?」
「それは食べてみてのお楽しみー。というわけで購入決定ね」
葉月は3フレーバーあるカロリーハーフのアイスクリームを各2個ずつかごに入れた。
単純に味に興味があるので、美味しかったらリピートするのもやぶさかではない。後でドライアイスをもらってキンキンに冷やしながら家へ持ち帰ろう。
食材をある程度買い込んだので、ふらっと日用品のコーナーへ立ち寄った。
ドラッグストアで買うほうが安い場合が多いけど、たまに買い忘れたものをここで思い出したりするので案外お世話になっている。
「そういえば葉月、シャンプーとか持ってきた?」
「持ってきてないよ。一太郎の家にあるでしょ?」
「そりゃああるけど……、葉月の望むようなシャンプーは多分無いよ?」
「えー、それじゃあここで買ってこうかなあ。でも一緒のシャンプー使いたくない? ひとつ屋根の下だし」
僕はふと、シャンプーのいい香りがする葉月の髪を想像してしまう。
同じジャンプーを使っているのに女性のほうがいい香りを漂わせるなんていうのはよくある。葉月の髪からは、ふわりと花のような香りがしてくるのだ。
ただ単純に香料の香りだけではない。葉月の持つ匂いと混ざって、それはとても刺激的な香りになる。男心というか、リビドーというか、そういう心の奥底にある劣情をくすぐってくるところまで容易に想像できる。
そのいい匂いを嗅ぎたくないわけがない。
そのためには、やっぱりうちにあるテキトーなシャンプーではだめだ。ここでとりあえず香りのいいシャンプーを臨時で買っておくのが得策だろう。
「じゃあとりあえずこれを買っておこうか。うちに置きっぱなしにしておいていいよ」
「それは……、これからも一太郎の家に泊まってもいいってこと……?」
「えっ……? あっ、いや、そういう意図じゃ……」
「そういう意図じゃないんだ……、がっかり」
葉月はわかりやすく落ち込む様子を見せる。さすがの僕でもこれはわざとやっているのはすぐにわかった。
「ご、ごめんって。別にこれからも泊まりにきて大丈夫だから! ……できれば両親がいないときがいいけど」
「ぷっ……、なんか付き合いたての高校生みたい」
「葉月が言わせたんでしょうが」
「なんのことかなー?」
すっとぼけた風に葉月はニヤニヤする。
こんなやり取りが楽しく感じるのは久しぶりだ。いや、もしかしたら初めてかもしれない。
永遠にこの楽しい時間が続けはいいなあなんて、僕は漠然と思ったりする。
「あっ、そうそう、これも買っておかなきゃじゃない?」
ふと葉月が指差した先には、手のひらサイズの紙箱がいくつか並べられていた。
その使用用途はご存知の通り。パンパンになった男のモノにかぶせるゴムで出来た避妊具――コンドームだ。
「これ……、買うの?」
「一太郎の家にはなさそうだったし、必要だと思ったんだけど。……もしかして一太郎、つけない派?」
「いやいやそんなわけないでしょ! つけるべきものはちゃんとつけます! ……ま、まあ、つけないでしたことも無くは無いんだけど」
元妻に騙されて着けずに行為に及んだことを思い出す。ちょっとだけ気持ちがブルーになったので、それ以上深く思い返すのはやめた。
「い、一太郎がいらないっていうならいいんだけど……、私も最近体温測ってないし……、もしかしたらってこともあるから……」
葉月は恥ずかしそうにそう言う。
こんな場所でそんな顔をされるとこっちまで恥ずかしくなる。
「わ、わかったからとりあえず買おう。――これでいいね」
いい歳した男女がここで長々と話をすること自体がちょっと恥ずかしい。周りの視線がどうしても気になってしまう。
僕は003と書かれた定番アイテムを手にとって素早くかごに入れた。
「もっと薄いやつじゃなくて大丈夫? あっ、もしかしてあんまり薄いと気持ち良すぎちゃう感じ? だったらこっちのほうが――」
「よ、余計なお世話! ほら、早くお会計行くよ!」
葉月と身体を重ねる想像をしてしまうところをなんとかして振り切って僕はレシへと向かう。
ただ、コンドームの入った買い物かごをレジ打ちのおばちゃんのいる有人レジに持っていく勇気は無かったので、しれっとセルフレジで会計を済ませた。
多分葉月にはバレていたと思う。ちょっと悔しい。
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