第25話 隣の牡蠣はよく牡蠣食う牡蠣だ

 葉月を車に乗せてスーパーへと向かう。

 品揃えの良い大きなスーパーは街中にしかないので、30分くらい車を走らせる。不便な生活だけど、慣れればなんの苦にもならない。


「そういえば一太郎、さっき真が言ってたことなんだけど」


「ああ、ちょっとずつ触れていくやつね」


「うん。あれはあれで良い方法だと思うんだよね。でももうひとつ、私なりにちょっと考えたことがあるんだ」


 葉月は葉月で真とは別の方法を考えたらしい。

 それはとてもありがたいことだし、方法がいくつもあるならば試せるだけ試したい。


「どういう方法なの?」


「うーんとね、まずはどうして一太郎が女性恐怖症になっちゃったかを考えたの」


「なるほど、根本にある原因から取り除こうってことか」


「そうそう。色々話を聞いたりして考えたんだけど、一太郎が一生懸命頑張っていたことを裏切られたのが大きな原因なのかなって思った」


 葉月の推察は概ね当たりだ。

 当時の僕はとにかく家族のために仕事をし、家事をし、育児をしていた。自分なんてどうでもいいから、家族が幸せになればいいという、そんな利他的な気持ちもあったと思う。


 でも悲しいことにそれは見事に裏切られる。

 キャリアアップと言って働いていた元妻は別の男と遊んでいただけで、子どもは僕の子ではなく他の男の子。

 離婚の際には親権も奪われて縁も切られて、僕に残ったのは何も無かった。


 僕の頑張りが無に帰したことが女性恐怖症の根本にあるのは多分合っている。


「んで、その原因をなんとかすればいいかなって思ったの」


「言いたいことはわかるけど……、なんとかするところが重要なんじゃない?」


「そう! それ! その『なんとかする』を私めっちゃ考えたわけ」


「……なんだか嫌な予感がする」


 葉月は渾身のアイデアが思いついたんだよと言わんばかりに陽のオーラを放つ。

 運転中で脇見が出来ない僕だけど、そのキラキラのオーラが既に眩しい。夕暮れ時だけど日差しよけのサングラスをかけようか迷ったぐらいだ。


「それで……? 一体どんな方法を思いついたのさ?」


「簡潔に言うと、『めっちゃ尽くされればいいんじゃね?』ってこと」


「尽くされる……? 僕が?」


「そう! 一生懸命尽くしまくってきたんだから、逆に尽くされまくれば回復するんじゃないかなって」


 それは根本的な解決になっているのか? と僕は首を傾げた。しかし葉月なりに考えて導いた方法を、やすやすと否定するのはよろしくない。


「尽くされまくるって……、具体的にどういうことなんだよ」


「今日から10日間、炊事や家事から下のお世話まで全部私がやるってことだよ。わかりやすくていいでしょ?」


 最後に聞き捨てならないことがあったような気がしたけど、とりあえず僕は会話をすすめる。


「そ、それはさすがに大変だよ。葉月だって平日は普通に仕事をしてるのに」


「そのくらい大丈夫大丈夫。私こう見えてAVデビュー前に家事代行のバイトで稼いでたことあるんだから、その辺には自信あるよ」


 葉月は自信満々にそう話す。

 腕に自信があるとはいえ、さすがに大変すぎやしないだろうか。


「そんなに頑張らなくても僕も一緒に手伝うからさ……」


「いーのっ! この際思いっきり甘えておきなさいって! どうせ今までそんなことも無かったでしょ? 甘え下手なんだよ、一太郎は」


「甘え下手……、か……。確かにそうかもな……」


 僕は自嘲する。

 誰かのために頑張ることだけが自分のすべてだと思っていたけれど、実はそうではないのかもなと、やっと気づきかけたのかもしれない。


 本当は誰かに甘えてみたい気持ちはある。でもそれを隠すことが強さだと僕は思い込んでいたのだ。

 それは別に強さでもなんでもない。ただの痩せ我慢。


「強くなんてならなくてもいいんだよ」


 葉月は心を見透かしたかのようにそう言う。

 こういう時の彼女の言葉は、どうしてか心に突き刺さってくる。


 まあ、たまには自分を許すことも必要か。

 色々なことがありすぎて、僕は常に何かに追われているような状態だったし、10日間ぐらい息抜きをしたって何も悪いことはない。


「……わかったよ、ちょっとだけお言葉に甘えることにする」


「それでよーし。というわけで今日の晩ごはんから私が調理担当になるからよろしく」


「ちなみに今晩の献立を聞いてもいい?」


 本来なら晩ごはんは僕が作ろうと思っていたので、葉月のメニューいかんによっては、家の冷蔵庫の中にある食材を上手いこと調整する必要がある。

 家事代行バイトで稼いでいた葉月のことなので、それほど心配はしていないけど念の為だ。


「うーんとね、牡蠣鍋と鰻の蒲焼きでどう?」


「あからさまに精力つけさせようとしてない?」


「鰻は時期じゃないし予算に収まらないかもだから、代わりにレバーとニンニクの芽炒めでもいいかも」


「やっぱり精力重視で選んでるよねぇ!」


 葉月はすっとぼけた顔を浮かべる。それを見て僕は小さくため息をついた。


 ひとつ屋根の下、家の中では刺激的な格好をしている葉月、それに加えて精のつく食事。

 ひとりになることもできず、ましてや葉月に長時間触れることができないとなれば、その欲求を吐き出す先がなくなってしまう。そうなれば引き起こされるのは、夢を見ながらの暴発。


 ……これはあれだ、暴発対策を講じた上で眠りにつかないとえらいことになるだろう。

 高橋一太郎30歳。ぐっしょり湿ったパンツを幼馴染に洗わせるのは、さすがに男としてどうなのか。


 新たな悩みのタネが、またひとつ増えてしまった。

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