第28話 おっきい
いつもより少し熱いお湯が張られた湯船にちゃぽんと足をつけた。
一瞬だけ熱いなと思って足を引き上げるのだけれども、すぐに熱さに慣れてしまってまた足を突っ込む。
疲れ切った身体に熱いお湯というのは本当によく染み渡る。これで疲労が抜けていくのだから人類で最初に風呂に浸かった人物は褒め称えられるべきだと思う。
「一太郎、お湯加減はどう?」
「うん、いい感じだよ。草津の湯の入浴剤もなかなかリラックスできるね」
「そっかー、じゃあ買って正解だったねー」
浴室ドアを隔てた向こう側にある脱衣所から葉月は話しかけてくる。すりガラス越しに、彼女の肌があらわになっているのがぼんやりとわかった。
布の擦れる音、普段は全く気になるような音ではないのに、なぜか今は僕の胸騒ぎを引き起こす根源のようになっている。
なぜならば、葉月は絶賛お着替え中で、これから僕の背中を流しにこの浴室内へ入ってくるからである。
「入ってもいいー? 準備万端だよー?」
「ちょ、ちょっと待ってよ。僕だって心の準備が……」
「そんな童貞みたいなこと言ってる場合じゃないでしょ。早くしないと私も寒くて風邪引いちゃうんだけど」
「とは言ったものの……」
欲求に素直になるのであれば遠慮なく葉月を浴室へ招ききれるべきである。しかし今の僕はなかなかにセンシティブな身だ。お風呂でもし発作が起きて倒れようものなら、さすがの葉月でも助けるのは難しい気がする。
葉月の気持ちはとても嬉しいのだけれども、ここで快くゴーサインを出せないのが少しもどかしい。
「んもー待てないんだけど! 入っちゃうからね!」
しびれを切らした葉月が浴室のドアを勢いよく開けてきた。その勢いにびっくりした僕は、浴槽の中で自分の身体を隠すように手ブラをしてしまう。
隠すべき場所が違うことに気がついたので慌てて相応しい場所を隠す。
裸を見られて恥ずかしいのは女の子だけだと思われがちだけれども、男の子だっていざ裸を見られたら恥ずかしいのだ。許せ。
恐る恐るつぶっていた目を開くと、目の前には葉月が立っていた。
先程事前アンケートで競泳水着かマイクロビキニか選べと言われたので、僕は前者を選んだ。
後者のほうが肌の露出が多くてエロいといえばエロい。でもさすがに現物を目の当たりにしたらあまりにも『紐』だったので、それでは裸と同じであろうということで競泳水着にした。
無論、身体にぴっちりと張り付く競泳水着が好きなのは言うまでもない。
「どう? 着るの難しくて手こずっちゃったんだけど」
「すごく……、いい」
競泳水着というのは選手にかかる水の抵抗というのを少しでも減らすため、身体にピッタリと貼り付くような独特の形状と、水をよく弾く特有の質感がある。
もともとスラッとした葉月の身体にピタッと貼り付く競泳水着は下手をしたら裸よりエロい。大きめの胸は嘘のようにぴっちりの中に収まり、魅力的なくびれ、そして丸すぎずかと言って直線的でもない絶妙なおしりがそこにある。
こんなフェチの詰まった姿、グラビアアイドル的な写真集が出ようものなら大ヒット間違いなしである。
僕は、そのエロさに動揺して葉月のことを直視できずにいる。
「それじゃあ早速お背中流すから、早く座って座って。……ほら、恥ずかしいならタオルもあるから」
「あ、ありがとう……」
葉月は気を使ってくれたのか、僕の腰に巻く用のタオルを用意してくれた。いい歳して交際関係にあるとはいえ、やっぱりモノを見られるのは恥ずかしい。
僕はバスチェアに腰を掛けて葉月に背を向ける。体を洗うためのボディスポンジを手に取った葉月は、石鹸を含ませてモコモコと泡立てていく。
ある程度距離を詰められると発作が起きてしまう厄介な体質なだけに、僕は意識が飛ばないように歯を食いしばっていた。
その様子を見た葉月は、ささやくような優しい声で僕に語りかけてくる。
「……大丈夫。私は一太郎にひどいことなんてしないから」
「わかってる、わかってるけど……」
「力を抜いて。身体を預けろなんて言わないけど、心ぐらい私に預けてもらえないかな……?」
僕はゆっくりと息を吐く。
他人に心を開くことが怖い。葉月に言われて初めてこのことに気がついた。
それは過去の辛いことも原因だし、僕の生真面目な性格も作用していると思う。
過去は変えられない。変えられるとすれば、今の自分だ。
葉月は心を自分に預けて欲しいと言う。変わるなら、今だ。
僕はもう一度息を吐く。
全身の力がいい感じに抜けて、ちょっとしたリラックス状態。今なら大丈夫な気がする。
「……大丈夫。やってみてよ」
「うん、それじゃあ――」
泡まみれのスポンジが僕の背中を走りはじめる。力加減がいつもと違うせいか、少し違和感を覚えるのだけれどもこれはこれで心地よい。
なんとかして正気を保とうと必死になっていたが、案外大丈夫だった。葉月からスポンジ越しに触られているぐらいならば、なんとか耐えられるようになってきたみたいだ。
「……ふふっ、大丈夫そうだね。嬉しいな」
「うん……、葉月のおかげだよ」
泡まみれになりながら、僕の顔には自然と笑みが溢れていた。
少しだけ壁を越えられた気がして、素直に嬉しかったのだ。
発作が起きないことに安堵した葉月は、背中流しを淡々と続ける。その優しい手付きはなんだか癖になりそうだ。
「一太郎の背中、とってもおっきい……」
「葉月それ、わざとやってる?」
「バレた? こういうの好きかなって」
「き、嫌いではないけど……、その……、ね?」
ずっと緊張していたのですっかり忘れていたけれど、今この状況はなかなかにエロいものである。
そこでそんなわざとらしいことをされようものなら、僕の僕自身が反応せざるを得なくなる。タオルで隠すぐらいでは、そんなものなどすぐに葉月にバレてしまうだろう。
「あっ……♡」
僕の反応に気づいてしまったのか、葉月は急に湿った声を漏らす。おそらく素で出たものだろう。
その艶のある声が、余計に僕のハートに突き刺さってくる。
「……こっちも、おっきいね」
葉月は僕の顔を見てそう言う。あまりにもその姿は煽情的過ぎる。彼女自身も上気していてほんのり顔が赤らんている。これは犯罪的だ。
興奮して頭に血がのぼってしまった僕は、熱いお湯に浸かっていたこともあってそのままのぼせてぶっ倒れてしまった。
あまりにも童貞くさいムーブだったので、目が覚めたとき葉月と目を合わせるのが死ぬほど恥ずかしかった。
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