第23話 松田
「ふーん、真がそんなことをねえ」
「うん、専門外とはいえ医者が言うとなんか説得力あるというか」
「わかるわかる。実際の治療法を持ち出されるとなおさらそれっぽく感じるよね」
居間でくつろぎ始めた頃に、僕は真が言っていたことを葉月に話した。
女性恐怖症の改善には、ほんの少しずつ女性に触れていくことが効果てきめんかもしれないということ。
妙に説得力のある真の話に、葉月もどうやら納得がいっているらしい。
ちなみに葉月と真は中学時代に同じクラスになったことがあり、お互い目立つ存在だったせいでクラス委員をやらされていた。
当時、真と葉月はよく話をしていたから、なんとなくお互いの素性がわかるのだろう。クセのある真の性格を葉月は思い出しては笑っている。
「じゃあとりあえずやってみる? 真の言っていたこと」
「やるっていったって、どうやって?」
「とにかく限界ぎりぎりまで手を繋いでみよっか。一太郎が倒れたら危ないから、ソファに座ったままで」
そう言うと葉月は僕の座っているソファの隣に寄ってきた。
ちなみにまだ服装はあの童貞を殺すセーターのままだ。ちょっと動くとあの黒レースとピンクのサテン生地の下着がチラチラ見えるので本当に目の毒である。
葉月は人をムラムラさせる天才だ。
「じゃあ、これから手を繋いで一太郎が限界になるまでの時間をスマホで測るから、毎日記録を伸ばせるように頑張ろうね」
「えっ、毎日やるの?」
「もちろんでしょ。『継続は力なり』って言うじゃん。ちょっとずつ記録が伸びてくるのがわかれば、一太郎もモチベーションになるでしょ?」
「ま、まあ確かに」
正直なところ、発作が起こるぎりぎりまで粘るのを毎日続けるのはなかなか怖いものがある。体調不良を引き起こして丸1日ダウンすることだってあり得るから。
しかしもう腹をくくらなければ。据え膳食わぬは男の恥とは言うけれども、こんなに都合の良い機会なんて早々ない。
ましてや葉月がこんなに協力的なのだ。あの秋田犬をモフりにいったときみたいな顔を、もう葉月にはさせたくない。
意を決した僕は、左手を葉月へ差し出した。
葉月は左手でスマホのストップウォッチアプリをセッティングして、右手で僕の左手をにぎろうとする。
「準備オッケー?」
「……うん、いいよ」
「それじゃあいくよ、せーのっ!」
葉月がストップウォッチアプリのボタンを押すと同時に、僕の左手と葉月の右手が繋がった。それも見事に恋人繋ぎ。
手のひらだけでなく指同士まで絡み合うことで、葉月の体温がダイレクトに伝わる。彼女の指先はちょっと冷たい。でも、そんな格好をしているから冷えているのだよ思う余裕は無かった。
想いあった者同士が手を繫ぐこと。本来は心地よくなるはずなのだが、僕の頭の中はそうではない。
やっぱり蘇ってきてしまう。元妻に言われたひどい言葉や、辛かった日々。それを抑えようと必死に脳内で僕はもがく。
もう少し葉月と繋がっていたい。けれども溢れ出てくる苦の感情みたいなものを、僕はついに止められなかった。
「ご、ごめん……、もう無理……」
「はいっ! ……うーんと、17秒56。頑張ったね」
すぐに音を上げるかと思っていたので、17秒というのは想定以上に長かった。でもまだ克服にはほど遠い。
「ごめん……、まだまだだね……」
「いいのいいの。今日17秒行けたんだから、明日は18秒を目指して行けばいいんだし」
「そんなにのんびりで大丈夫かな……」
「大丈夫大丈夫、千里の道も一歩からだよ?」
葉月はニカっと笑いかけてくる。童貞を殺すセーター特有の開いた胸元が目の前にやってきて、僕は驚く。
ちなみに胸元を見せるためにブラはしていないらしい。ただし擦れるところが擦れると痛いようなので、そこだけガードするようなものを貼り付けている。ニップレスってやつだ。さっきめっちゃ見せつけられた。
「少しずつ克服していけばいいんだよ。時間はたくさんあるし」
「そ、そうだよね、焦ることないよね」
「うん。その方が私も長く一太郎のそばにいられるし」
「……えっ?」
葉月が妙なことをいうので思わず聞き返してしまった。
僕の克服に時間がかかればかかるほど、葉月はそばにいられる? 一体どういうことだ?
「葉月? それはどういうこと?」
「何が?」
「何がって、さっき言ったことだよ」
「だから、ゆっくり克服していけばいいって」
違う、僕が聞きたいのはその後のことだ。
「その後? 私何か言ったっけ?」
「言ったよ、その方が僕と……」
僕はそこまで言いかけて言葉を止めた。
これは幻聴かもしれない。そう思ったのだ。
以前に発作が起きたとき、しばらくの間、他の人が言っていないはずのことが聞こえてきた経験がある。
精神的に混乱した状態になると、そういうことが起こるらしい。だからむやみに葉月へ訊くのはやめておこう。余計に彼女が心配して、克服するのに時間がかかってしまうとそれはそれでもったいない。
「ううん、なんでもないや。僕の勘違い」
「そっか、ならいいや」
葉月はもう一度笑顔を見せる。若干その顔が乾いた笑顔に見えたのは、多分僕の精神状態によるものだろう。すぐに元に戻るはず。
「ところで葉月、ちょっと暖房の温度上げようか? 寒いでしょ?」
「うーん、ぶっちゃけるとそこまでって感じではあるんだよね。でもちょっと足が冷えるかなあ」
「じゃあ、ひざ掛けでも持ってこようか?」
「ううん、いいものがあるからそれを履くことにするよ」
すると、葉月は何かを取りに大きなスーツケースのある脱衣所へと消えていった。
数分後、僕の目の前に現れた葉月は驚くべき装備を追加していたのだ。
「これなら足も冷えないから完璧だね」
「葉月……、それって……」
「もちろん、サイハイだよ?」
「いや、それはわかるんだけど、それだけじゃないでしょ?」
葉月は黒のサイハイソックスを身につけていた。ニーハイソックスよりも丈が長くて、太ももの上部まで脚を覆うもの。
それを着用すればそれなりに暖かくなるだろう。脚のシルエットもはっきりと見えて、ぴちぴちとした衣服が好きな僕に取っては嬉しいことこの上ない。
しかしその斜め上を行くのが桜庭葉月。
彼女は僕の性癖を狙い打ちするかよのうに、サイハイに加えてガーターベルトまで装着していたのだ。
「へへっ、どう? 実は初めて着けたんだけど、なかなかえっろくない?」
「あの……、その……」
「どうしたの? もしかしてあまり好みじゃなかった?」
ギャグ漫画でエロいシーンがあると男性陣が鼻血を出す演出が見られることがあるけど、今の僕は本当に鼻血を出してしまいそうだった。
今血を撒き散らしてしまったら、松田優作演じるジーパン刑事も驚くくらいの声で叫ぶと思う。それぐらい刺激的だ。
「と、とても……、良い……です……」
「そう言ってくれると嬉しい」
童貞を殺すセーターとサイハイにガーターベルトという変わった性癖がバレてしまったけど、不思議と恥ずかしさは無かった。僕もやっと大人になったのかもしれない。
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