第22話 生○し

「それじゃあ行ってくるから、あとは頼んだぞ」


「うん。楽しんで行ってらっしゃい」


 翌々日、僕は両親を車に乗せて空港へと送った。


 最寄りの空港は相当こぢんまりとしていて、特有の騒がしい感じは全くない。

 便も羽田空港行きが日に3往復だけ。土地だけはたくさんあるので、駐車場が無料なのはとてもありがたい。


 両親は羽田から乗り継いで沖縄に行くらしい。国内とはいえなかなかの長旅。沖縄につく頃にはヘトヘトになっているだろう。

 久しぶりの旅行なので、じっくり楽しんできてもらいたい。


 一方の僕は、葉月の家へと向かった。目的はもちろん、彼女のお迎えである。

 今日から10日間、葉月とはひとつ屋根の下。

 僕の女性恐怖症を改善するためにも、この10日間は大切な時間になるだろう。


 葉月の家の前に車を止める。大きなスーツケースを携えた彼女が、にこやかに車へと近づいて来た。


「ようやく来たねー。待ってたよー」


「ごめんごめん、ちょっと遅くなっちゃった」


「そんなことないよ? まあ、一太郎にしては確かに遅いかもだけど」


 時計を見ると約束時刻の5分前だった。15分前行動がデフォルトな僕からすると、ちょっと遅刻気味とも言えなくもない。


 もちろん遅れたことには理由がある。両親を送ったあと一旦帰り、家の中を片付けて掃除していたのだ。

 葉月が家にやってくるので綺麗にしておこうというのもあるが、見られたくないものを退避させる作業がメインだ。


 実家暮らしとはいえ僕もまだ三十路の男。それなりに隠したいものもある。


「もしかしてだけど、私に見られたらまずいものとかがあるから隠してたとか?」


「さっきうちの親を空港に送って行ったら、思いがけず時間がかかっちゃったたけだよ」


 僕は珍しくたじろぐことなく葉月の質問に答えた。

 これは嘘がつけない僕なりの方法で、嘘をつくのではなく事実の一部だけを話すという高等テクニックだ。

 自然に返答できれば、怪しまれることだってない。


「ふーん。やっぱり隠したんだ」


「なっ……! そんなわけないだろ!」


「ぷっ、カマをかけたらあっさり白状しちゃった」


「白状してないし!」


 葉月はそんな僕のさらに一枚上手を取っていた。

 カマをかけられてしまえば、ボロなんてあっさり出てしまう。葉月を上回るためには、もう少し顔に出ないように表情筋を鍛えるところから始める必要がありそうだ。


 僕はふと彼女のスーツケースに目をやった。

 まるで海外旅行に行くときのような大きなもの。

 女性は衣服が多いとはいえ、さすがに僕の家に10日居るぐらいでそれほどの大きいものが必要とは思えない。

 ましてや洗濯だって僕の家で出来るのだから、律儀に10日分の着替えを詰め込むこともなかろう。


「そういえばその大きなスーツケースは何? そんなにたくさん着換え要る?」


「あーこれ? これはねー、……ヒミツ」


「ヒミツと言われるとものすごく不気味なんだけど……」


「大丈夫大丈夫。一太郎が損するようなものは入ってないから。むしろお楽しみ的な?」


 どういうことなのだろうと僕は首を傾げる。

 葉月いわくお楽しみとのことなので、深く詮索してしまうと後で興ざめしてしまうかもしれない。僕に損がないというのならば、ここは首を突っ込まないのが得策だろう。


 葉月を車に乗せて自宅へと向かう。

 道中、ちょっとだけ葉月に手を伸ばそうかと思ったけど、そこまでの勇気が湧かなかった。

 10日後に彼女を桜庭家に送り返すとき、手ぐらいは握れていたらなと思う。


「よーし、到着ー!」


「改めていらっしゃい。葉月の家に比べたら全然広くないけど、くつろいでいってよ」


「確かに家は小さいかもだけど、うちは住んでる人数が人数だからあんまり広々とはしてないよ。妹の子どもたちがわんぱくだもん」


「それもそうか。逆に広々しすぎて落ち着かなかったりして」


 葉月は「ありうるかも」なんて言いながら笑う。


 兄弟もわんぱく小僧も両親もいないこの家は、本当に僕と葉月だけの空間。

 僕がもし女性恐怖症でもなんでもない状態だったならば、即座にこの家は2人の愛の巣と化していたかもしれない。

 玄関先で事が始まるようならば、それこそAVの世界みたいだ。


 急にそんな妄想を初めてしまったものだから、脳内はピンクに染まりつつある。

 ここは我慢だ。もちろん葉月とそういう事をしたい欲求はある。おそらく一番盛っていたであろう高校生ぐらいのときよりも全然強い。


 でも彼女に近づいてしまえば僕は蚊取り線香に近づいた蚊のようにひっくり返ってしまうのだ。

 欲求を抑えて社会性を得るために、人間は脳の中の前頭前皮質を発達させたてきたという。

 ここは僕の脳内の頑張りが試される。


「それじゃあ早速着替えてくるからちょっと待ってて」


「えっ……? いきなり着替えるの? 別にその服で良くない?」


「んもー、わかってないなあ。ひとつ屋根の下にいるんだから、色々楽しまないと」


 葉月は大きなスーツケースを転がして、奥の脱衣所へと向かっていった。

 それを見て僕はやっと彼女の大きな荷物の意味に気がついた。


 おそらくあの中にはたくさんの衣装がはいっている。コスプレ的なものだろう。

 僕の男の本能を刺激して、葉月に近づいたり触れやすくしたりする、いわば潤滑剤的な狙いがあるはずだ。


 つまり僕はこの10日間、刺激的な姿の葉月を常に目の当たりにすることになる。

 けれどもうかつに彼女には触れられない。高まった僕の興奮はどこかでガス抜きをしなければならないが、葉月とひとつ屋根の下ではそんなことも難しい。


 要するにこれは、壮絶な生殺しの始まりなのだ。


「おまたせー! どう? 似合う?」


「葉月……、その衣装は……?」


「これ知らない? 『童貞を殺すセーター』ってやつ」


 葉月が身につけていたのは灰色のニット。

 縦のラインが入ったシンプルなものだが、デザインは大胆で、胸の谷間の部分と背中が開いている。ニットなのに寒そうだと思えるぐらい露出度は高い。


 おまけに、丈がちょっと長めで太もも近くまであるのだけれども、ぱっと見下には何も履いていないように見えてしまう。

 見えないものを脳内補完してしまうアモーダル補完の能力が無駄にフル活用されていた。


「葉月……? さすがにそれ、下は履いてるよね……?」


「当ったり前じゃーん。さすがにノーパンは寒くて大変だよ。ほらっ」


 葉月はおもむろにセーターの裾をたくしあげる。

 そこには確かに葉月の下着があった。黒いレースと濃いめのピンクのサテン生地が目立つ、どエロいやつ。


 その瞬間僕は悟った。

 これ、死ぬかもしれない、と。

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