第21話 どう○い

 僕が居間に向かうと、両親がソファに座っていた。

 なんだか大切なお話がありそうな雰囲気である。


 嫌な予感がする。大概こういうのは良くない話だ。


 よくバンドの公式ホームページなんかで、『皆様への大切なお知らせ』というトピックスがあれば、それはまず解散か活動休止のお知らせに違いない。

 それと同じような雰囲気を今の両親から感じるのだ。


 塾年離婚というワードが頭をよぎる。僕も離婚経験があるので、その決断の大変さには断腸の思いがあるということはだいたい察しがつく。

 ましてや何十年も寄り添った仲だ。僕の離婚に比べたら、その決断の重さは計り知れない。


 僕が、「どうしたの」と聞くと、父が重い口を開いた。


「実はな……、父さんと母さんは……」


「う、うん……」


 重い空気だ。あまりこういう雰囲気は好きではない。

 早く思いを吐き出して楽にしてくれと、僕は心の中で叫ぶ。


「ふ……」


「ふ?」


 父は緊張しているのか、頭文字だけ言い放って、もう一度深呼吸をして気を取り直している。


 なんだその頭文字は。「ふ」から始まる不穏なワード……。もしかして「不倫」とか「不能」とかそういう話か?


「ふ……、フルムーンに行こうと思ってな」


「えっ? フルムーン?」


「そう、フルムーンだ」


 フルムーン。新婚旅行のことをハネムーンと呼ぶのはお馴染みだが、熟年夫婦が長い結婚生活を記念して旅行に出ることをフルムーンと呼ぶのは、もしかしたらあまり馴染みがないのかもしれない。


 幸いそのワードを知っていた僕は、不倫による離婚ではないということに安堵のため息をつく。


「なんだよ……、そんなに深刻な顔をするからてっきり離婚するのかと思っちゃったじゃないか」


「そんなわけないだろう。離婚なんてワードは結婚生活35年間で一度も出たことはないぞ」


 父はそう豪語する。

 その隣で母が首をかしげたような気がしたけれども、見なかったことにしておこう。


 両親は今年で結婚生活35年らしい。仕事もリタイヤして時間ができたし、まだ体力のあるうちに旅行に出ようというわけだ。仲睦まじいならそれは喜ばしい。


「まあ、なんというか安心したよ。……それで、旅行先はどこなの?」


「沖縄だ。10日ぐらいのんびりしようかと思う」


 秋も深まるこの時期でも沖縄なら暖かいし、あえてハイシーズンを外すことでのんびりできるだろうと父は言う。

 10日と言わず、もっとのんびりしてきてもバチは当たらないだろうななんて、僕はのんきなことを考える。


「というわけで明後日から10日間家を空けるが、その間留守番を頼みたいわけだ」


「なんだそんなことか。それなら全然問題ない……って、明後日!?」


「すまんな、なんだかお前が忙しそうにしているから話す機会を逃してしまっていた」


「ま、まあ、突然っちゃ突然だけど大丈夫だよ。ひとり暮らしは慣れてるし、最低限の家事ぐらいはできるから」


 お恥ずかしながら東京で結婚生活を送っていたときは実質ワンオペ家事育児をしていたので、10日間ひとり暮らしをすることぐらいは何ら問題はない。

 しかし父はそれでも不安らしく、とある対策を立てているらしい。


「まあでも、流石にお前も忙しいだろう。そう思ってちょっと助っ人を呼んだから、その人を頼るといい」


「助っ人ねえ……。家事代行とかそんな感じ?」


「もう少ししたらその人がやってくる。ちょっと待て」


 父はその助っ人をうちに呼んだと言う。

 明後日から10日間お世話になるわけだから、顔ぐらい合わせておいてもいいかと、僕は緊張せずに構えていた。



 居間でお茶をすすりながら沖縄旅行のプランを聞かされる。

 僕は沖縄に行ったことがないので、綺麗な海を堪能できるのは羨ましいなと思いながら、昔沖縄料理屋で食べたソーキそばの味を思い出していた。


 すると、不意に自宅のインターホンが鳴る。


 こんな田舎で真面目にインターホンを鳴らす人は珍しい。大概は大声でごめんくださいと叫ぶパターンがほとんどで、場合によってはいきなり上がりこんでくるおばあちゃんなんかもいる。


 そういうわけなのでインターホンを鳴らすのは、運送屋さんや郵便屋さんみたいなお仕事の人か、インターホンの使い方を幼少期から刷り込まれた若い世代の人である。

 今まさにやって来た人はそのどちらか、もしくは両方だろう。


 僕ははーいと返事をして、玄関のドアを開けた。

 するとそこに立っていたのは、まさかの人物だった。


「やっほー。来ちゃった」


「葉月!? どうして?」


 現れたのはまさかの葉月だった。

 仕事終わりなのかオフィスカジュアルな格好をしている。明るい髪色と若干ミスマッチなのが逆に葉月っぽくて良い。


「どうしてって、一太郎のご両親に呼ばれたから来たんだけど?」


「えっ? それってまさか……?」


「そうだ。葉月ちゃんは父さんが呼んだ」


 僕はそう言われて後ろを振り向くと、まんざらでもない顔をした両親がそこにいた。


「父さんと母さんがいない間、葉月ちゃんに助っ人を頼むことにしたんだ」


「そういうわけで一太郎、10日間よろしくねー」


「よろしくねって……、それはなに? 10日間葉月はうちに通いつめるってこと?」


「そんなめんどくさいことするわけないじゃん。一緒に住むの。ど・う・せ・いってやつ!」


 僕は一瞬気が遠くなった。

 四六時中葉月が近くにいるということは、それだけ発作が起きないように気を使わねばならぬということでもある。


 ……いや、待てよ?

 逆に考えたら、さっき真に言われた方法を試す絶好のチャンスなのではないか?


 僕は不本意ながら不安と期待に胸を躍らせることになった。

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