第19話 フェ○
聞こえてくるのは葉月のひとり言。
僕は思わずドアを開ける手を止めて、その言葉に耳を傾けてしまった。
「……萌心ちゃんはいいなあ。あいつに触れてもらえるんだもん」
それを聞いた僕はハッとした。今まで何を浮かれていたのかと、自分を責めたくなった。
思えば葉月はめちゃくちゃ献身的に僕を支えてくれている。それなのに一向に僕の女性恐怖症は改善しない。
付き合ってそこそこ時間が経つのに、キスやセックスはもちろん、手を繫ぐどころか運転席と助手席の距離以上に近づくことができないのだ。
意図していなかったとしても、葉月が萌心ちゃんのことを羨ましく思ってしまうのは自然なこと。
それに気が付かなかった僕は、きっと愚かだ。
そのドアを開けていいものかどうなのかわからず、僕はそこで立ち尽くしてしまった。
このまま葉月の優しさに甘え続けていいのだろうか、もっと自分はしっかりしなくてはいけないのではないか、そういう答えの出ない自問自答をひたすら繰り返す。
しばらくしてドアが開く。その向こうからは、葉月がひょっこりと顔を出す。
「どうしたの? そんなところにボサッと立って」
「い、いや、なんでもない」
「……なんでもなかったら、そこで立ちっぱなしになることなくない?」
「そ、そうかな? よくあることじゃないかな? ハハハ……」
僕は苦笑いをして適当にごまかそうとする。
でも、そんな僕のことを葉月は見逃そうなんてしなかった。
「もしかしてさっきのひとりごと、聞いちゃった?」
「えっ……? そ、そんなことないよ?」
「……やっぱり聞いちゃったんだ」
「うっ……、うん、聞いちゃった」
嘘はつけない性格なのであっさりと僕は白状してしまう。
それがわかっていたかのように、葉月は大きくため息をついた。
「確かにちょっと萌心ちゃんが羨ましいと思ったのは事実だけどさ、それは一太郎が悪い訳じゃないから」
「……うん、そうだよね」
全てを理解してくれているであろう葉月は、フォローの入れ方も上手だ。
確かに、女性恐怖症になった根本的な原因を辿れば、僕が100%悪いわけではないのは自分でもよくわかっている。
今回僕が落ち込んだ原因は、どこまでも献身的な葉月に対して何も出来ていないというもどかしさからきているのだ。
今すぐ何かができるかと言えばそうではない。でもこのままでいていいはずがない。そんなジレンマが、鎖のように余計に僕を動けなくしている。
「んもー、やっぱりなんか落ち込んでるし……」
「ご、ごめん……、わかってはいるんだけど、うまく切り替えられないというか……」
葉月は謝る必要なんてないという。
せっかくのデート中だ。あまり落ち込んでいる様子を彼女に見せるのも良くない。とりあえずさっきのことは無理やり忘れることにしよう。
「……本当ならそういう風に気持ちが落ち込んだときは、おっぱいのひとつやふたつ揉ませてあげればテンションが元通りになるもんだけど、そうもいかないしなあ」
「お、おっぱいって、そんな単純な……」
「男の子ってそういうもんじゃないの? ……あれ? もしかしておっぱい派じゃないとか? お尻のほうがいい?」
葉月はニット越しに自分の胸を揉みながらそう言う。Fカップ(公称)のたわわなそれは、上品な大きさで高級な果物みたいだ。
爆裂に大きい人も世の中にはいるし、逆に小さいのを武器にする人もいる。それぞれにそれぞれの良さがあるが、全身のバランスに優れた葉月の胸は、エロさに加えて美しさも兼ね備えている。
大きさだけでゴリ押しする時代は、もう終わったのだ。
いや、そんなことを言っている場合ではないはず。
てっきり僕が落ち込んでしまった話だったはずなのに、いつの間にかおっぱいの話にすり替わっていて、慌てて話の筋を本流に戻そうとする。
「そういうわけじゃなくて……!」
「おっぱいでもなければお尻でもないの? もしかして一太郎、とってもフェチい趣味をお持ち?」
「ち、違うんだって! その話じゃなくてさ!」
「大丈夫。私、一太郎がどんな趣味を持っていても絶対に受け入れるからっ!」
葉月はわざと勘違いをしているように見える。
それはもしかしたら、僕がネガティブシンキングに陥らないようにこんな感じで振る舞ってくれているのかもしれない。
そう思うと、彼女の心遣いに水を差すのは野暮な気がした。話に乗っかって、一旦考えたくないことから逃げるのもアリだ。
「じ、実は僕……」
「お、おおっ……! 一体どんな性癖をぶちまけちゃうの……?」
葉月はなぜか前のめりになって僕の次の一言を待つ。
こうなればヤケだ。このおかしなやり取りにブレーキをかけるのはやめにしよう。
「く、くびれと脚が好き……」
「一太郎、それは……」
葉月は生唾を飲む。
ちょっと変な性癖を披露してしまってドン引きされてしまっただろうか。このまま幻滅されてしまったら、どんな言い訳をしたらいいだろうか僕は頭脳をフルで回転させる。
「……あんまり意外性が無いね。思ってたより普通だった」
「えっ……? そうなの?」
「うん、割と売れ線なところじゃない? もっとキワキワなところが好きだと思ってた」
「葉月の中の僕って一体……」
僕は肩透かしを食らったようにずっこけると、部屋の奥にいる秋田犬の飼育員さんと目があってしまった。
この会話を全部聞かれてしまっていたみたいだ。人生で一番恥ずかしい瞬間である。
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