第11話 梅酒のロック

「何者でも……、ない?」


「うん。それをきいて、私は今何をやっているんだろうなって思った。漠然と芸能人になりたいくせに、何もしていないし、出来ていないって」


 葉月は再び梅酒ロックの入ったグラスを手にとった。

 口はつけず、少し傾けて中に入った氷を動かすだけ。黄金色の梅酒に向かっているその視線は、なにか憂いを帯びている。


「短絡的ではあるんだけどね。その言葉に衝撃を受けちゃって、私はその人みたいにAV女優に挑戦してみようって思った。別に他の事でも良かった気はするんだけど、当時の私にはその女優さんがカッコよく見えたんだ」


 少し葉月の表情が明るくなる。さながら、歩むべき道を見つけて吹っ切れた時のよう。


「なるほど……、そんな経緯があったんだね」


「引かない? こんな理由でAV女優になったこと」


「引くもんか。だって、ものすごくポジティブにその道へ進んだわけでしょ。……それを否定するのは、さすがに無粋だと思う」


「……優しいね、一太郎は」


 これは正直な気持ちだ。

 葉月は自分の夢を追いかけるうえで、ちゃんと道筋を見つけて足を踏み出したのだ。その道がたまたまAV女優だったというだけ。

 そこを否定してしまうなんてことは、僕には出来ない。


「まあでも、AV女優になってからも大変だったんだけどね。売れたかといえば全然だし、トップの女優さんたちは私なんかより全然努力してるし。あまちゃんだったなって思うよ」


「確かに……、上を見るとキリないよね。多分どんな世界でもそう」


「それで私は心折れちゃった。というより、もともと折れかけていたところにトドメを刺された感じ? トップの人たちみたいにストイックに努力して、切り捨てるものを切り捨てて生きてまで上を目指したいかって言われると、そうじゃなかったんだなって」


 簡単に言えば挫折ということ。でもそれは悪い挫折ではない。

 野球に例えたら、ベンチ入りできないから野球を辞めるのではなく、試合に出て打席に入って、己の実力のなさを感じた上で辞めるみたいなことだ。


 葉月の挫折は、真っ当といえば真っ当な挫折だ。


「ギャラも思ったより貰えたけど、そこまでお金に対する執着もないなって思った。それで辞めようって思ったんだ。こういう仕事、向いてないなって」


「……だからこっちに帰ってきたんだね」


「うん。一旦普通に働いてみようかなって。東京にいても良かったんだけど、東京である必要性もないから戻ってきちゃった」


 4年前に実家へ戻ってきた葉月は、駅前のタクシー会社の事務員として働き始めた。

 最初は苦労もあったみたいだけれども、あっという間に馴染んでしまったのはさすが葉月といったところ。

 タクシーの運転手のおじさんが心なしか元気そうに見えるのも、彼女のおかげだったりするのだろう。


「案外普通に働くことって楽しいんだよね。多分、うちの会社が田舎っぽくてゆるいからかもしれないけど」


「それはなんとなく僕も感じてる。時間の流れが東京と違うというか……、あの騒がしさを知ってしまうと、こっちはとってものんびりだなって」


「そうそうそれ! うーん、やっぱり一太郎は頭いいね! 私の言いたいことを言ってくれるぅ!」


 葉月には急に笑顔が戻ってくる。


 これだ、この顔。僕が知る最高の葉月の顔。

 その瞬間に僕は、自分が葉月に対して抱いていた疑念みたいなものがすっと消えていくような気がした。


 実はお金目当て近づいて来たんじゃないかとか、ちょろいから遊び相手にされているのではないかとか、そういう風に僕がネガティブな思考をしていたことが全部恥ずかしくなってくる。

 葉月には葉月なりの挫折があっで、今の僕とある程度の共鳴する部分があったということ。それだけで葉月が僕と一緒にいる理由としては十分だ。


「どうしたの? そんなに私の顔に見惚れてた?」


「えっ、いや、あの……、その……」


 思わずまじまじと葉月の顔を見つめていたので、彼女は少し意地悪にきいてくる。

 冗談のつもりだったかもしれないけど、僕としては完全なる図星。言い訳を取り繕うことも難しい。


「……うん、見惚れてた」


「そりゃあ見惚れるぐらい綺麗だからね、私」


 その自信に満ち溢れた言動に僕は思わず笑う。


「ふふっ、なんでそんなに自信満々なのさ」


「事実だから仕方がないじゃん。綺麗でしょ? 私」


 確かにそうだねと僕は言葉を返す。


「なーんか一太郎ったら浮かない顔をしてたけど、やっと笑ってくれたね」


「ぼ、僕、そんな顔してた?」


「してたしてた。まあ多分、『なんで僕なんかと葉月が……』とか『葉月にヤバい過去があったらどうしよう……』とか考えてたんだと思うんだけどー」


 完全に心の中を見透かされていた発言に、僕は口に含んでいたハイボールを吹き出しそうになる。

 咳き込みながらぎりぎりで吐き出さずにとどまると、手元にあったお手拭きで口をぬぐった。


「やっぱり図星なんだー。わっかりやすいなー、一太郎は」


「……嘘をつくのは苦手なんだよ」


「でもたった今いい顔になった。どう? 私のこと、少しはわかってくれた?」


「うん……、よくわかったよ。なんか僕が勘違いしていたことも、ちゃんと解けた感じがする」


 葉月はもう一度梅酒ロックの入ったグラスを傾ける。氷がグラスにぶつかるカランという音は、なんとも心地のいいものだ。


「なら良かった。一応はっきり言っておくと、お金じゃないからね。お金が欲しかったらこんな田舎に帰らないで、ドバイとかサウジアラビアに行くっての」


「ははは……、確かにそっちのほうが良さそうだ」


「まあ、結構も自信あるしねー。私が本気になれば石油王ぐらいコロッと落とせていたかも」


「そ、そんなに自信あるの……?」


 僕はふと先日視聴した葉月……ではなく新斗米もこの作品の内容を思い出した。

 確かにあのテクニックなら、世界中のお金持ちを落としてしまうことだって出来そうに思える。


「そりゃもう。てか、もういろいろバレてるでしょ。おっぱいのサイズとか得意な体位とか、冒頭のインタビューで言っちゃったもんね。気に入ってくれた?」


「……そ、それはノーコメントで」


 限りなく肯定に近いノーコメントだ。あえて言わないのは、やっぱり恥ずかしいから。


 それてもちょっと葉月の尻に敷かれているようなこのやり取りが、なぜか異様に心地良かった。普段物静かなはずの僕が、呼吸をするかのように言葉を発せられる。自然な会話。

 こんな会話がずっと出来るのであれば幸せだなと思う。


 ああ、そういうことか。

 僕は、葉月のことが好きになっていたんだな。



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