第10話 何者ナンダカ
いい感じに酔いが回ってきて、空腹だった胃袋も気持ちよく満たされてきた。
さっきまで夕焼けだった空は、もうすっかりすみれ色だ。
僕と葉月を照らしているアウトドア用のガスランタンは、柔らかい光を放っている。その光はほのかに紅くなった葉月のほっぺたと相まって、より色っぽさを増幅している。
とろんとした表情の葉月は、心なしか口調もゆっくりになる。
「それにしても一太郎が北海道にいたなんてねー。もっと早く教えてくれてたら遊びに行ったのにー」
「ははは、教える手段がなかったからしょうがない」
「だよねー、せめて一太郎の携帯の番号ぐらい中学のうちに聞いておくべきだったよ」
「いや……、その時の僕は携帯持ってないし……」
葉月はウソでしょ? と驚く。
当時はいわゆるガラケー全盛期で、中学生ぐらいで携帯電話を持ち始める人も結構多かった。
でもガリ勉メガネの僕は、学業優先ということで高校入試に合格するまで携帯を手にしなかったのだ。
もしあのときもっと早く携帯電話を持っていて、葉月の電話番号ぐらい知っていたならば運命は変わっていただろうか。
いや、多分このままだろう。
いきなり中学時代のスクールカーストトップな女子から電話が来たら、それこそ
なんせ、今だって葉月とこんな距離感で話せていることが信じられないのだ。あまり考えたくはないけれど、普通にお金目的で僕にこういうことをしている可能性だってある。
まだ僕は完全に心を開ききれていないし、彼女について知らないことが多すぎる。
……でもなぜか葉月の裸の姿や、よがるときに出す声は知っている。Fのサイトのおかげ。
世の中は不思議なもんだ。
「あーごめんごめん。ついつい一太郎のことばっかり訊いちゃった」
「ああ、いや、別に構わないよ。隠すようなことはないから、訊きたければいくらでも」
「でもそれじゃあなんかフェアじゃないし。そろそろ私のことも話そうか」
待ち望んでいたような、それでいてちょっと聞きたくないような、そんな言葉を葉月は言う。
おそらくとても刺激的で、僕なんかめまいがしてしまうようなエピソードがポンポン出てくるのではないかと、少し身構えた。
「ふふっ、やっぱり気になる?」
「気にならないと言ったら、嘘になる」
「だよねー、私が一太郎の立場でも多分そう思うもん。でも安心して、そんなに面白くないから」
まるで僕が言うような言い訳を前置き代わりに言うと、葉月は喉を潤すため梅酒ロックに手を付けた。
その口から放たれた最初の一言は、やっぱり葉月っぽい言葉だった。
「……私ね、高校を出てすぐに芸能人になりたいって言って家を出て上京したんだ」
「こ、行動力が凄い……」
「今思うとバカだよねー。芸能人って言っても、モデルとかアイドルとか女優とか色々あるじゃん? なのに全く方向性なんて決めてなくて、ただ漠然と芸能人になりたいってしか思って無かったんだ」
明るくて美人で、人前に出たがりで人を楽しませるのが好き。そんな葉月にとって、芸能人になるというのは心の底からの夢だったのだろう。
夢に向かってがむしゃらに突っ走るのは、とても葉月らしい。
「だから手当たり次第にオーディション受けて落ちまくってた。そりゃそうだよねー、女優とかアイドルを目指して頑張ってる人の中に、ただ漠然と芸能人になりたくて田舎から出てきたやつが混ざってるんだもん。勝てるわけないじゃん」
入学試験や資格試験みたいな絶対的に合格ラインがあるものと違って、タレントのオーディションとなれば才能一発で通ることがあるのかもしれない。でも、基本的には鍛錬を積んで実力をつけなければならない人の方がほとんどだ。
地元では負け知らずだったその時の葉月は、初めて壁というものにぶつかったのだろう。
「……それで、AV女優に?」
「ははは、そんなすぐに転身したわけじゃないよ。ちゃんと経緯があるから」
「そ、そうなんだ」
「まあでも、そんなんだから芸能人としての活動なんて全然出来なくてさ、バイトばっかりしてたんだ。コンビニもやったし、水商売的なこととか、コスプレしてイベントの売り子やったりもしたよ。それはそれで楽しかったかな」
楽しそうなことに一直線、そんな昔の葉月のイメージそのままといった感じだった。
「それでとあるバイトに出会った」
「バイト?」
「そう。そのバイトっていうのは、AVの撮影アシスタントだったの。主に女優さんのサポートをしたり、あとはもう雑用係って感じ」
そういう仕事があると話には聞いたことがある。ひと目につかないところでせっせと働くのは、どんなことでも案外ハードで大変なものだ。
「んで、とある人気の女優さんの撮影をしたときに、ふと気になって訊いてみたの」
「何を?」
「どうしてAV女優になろうと思ったのかなって」
「それは……、大胆な質問をしたね」
その質問からは葉月の思い切りの良さというか、行動力の高さがうかがえる。人気女優さんに突拍子もなく話しかける彼女の姿も、容易に想像ができる。
「そしたらなんて言ったと思う?」
「……うーん、お金のため、かな?」
「残念、はずれー。もちろんお金も大事かもだけど、その人にはもっと違う理由があったんだよ」
「へえ……、一体どんな理由なの?」
葉月は少し息を吸い込んでからその人が言ったであろう言葉を復唱する。
「その人はね、『私は何者でもなかったのが悔しいからAV女優になった』って言ったんだ」
自分は何者でもないという言葉。
当時、ただ漠然と突っ走っていた葉月にとって、その言葉がグサリと突き刺さった。
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