第9話 松尾
「やっほー! うわっ、ジンギスカンパーティーの準備完璧じゃん! キャンプみたいでめっちゃいい!」
「親父が物置から久しぶりにキャンプ道具を引っ張ってきてね。なんだかウキウキしてたよ」
葉月は庭に準備されたキャンプ道具を見るなり目をキラキラさせていた。
彼女みたいな陽キャラに属する人たちというのは、よく野外でバーベキューをやっているイメージがある。その例に漏れず、葉月も外でご飯を食べるのが好きなのだろうか。ちょっと興味がある。
「ほれほれ、お待ちかねのお肉とビール! 早く焼いちゃおうよ」
「うわあ、思ったよりたくさんあるね。食べ切れるかなぁ……」
葉月が持ってきたクーラーボックスには、キンキンに冷えた黒い星の缶ビールと、タレに漬かったジンギスカン肉のパックが数袋入っていた。
パッケージに『北海道名物』と銘打たれたそれは、僕も何度かお取り寄せして食べたことがある。羊肉の独特な臭みはタレによって驚くほど打ち消され、純粋に旨味の塊となった肉が味覚を襲うという、ある意味危険な食べ物だ。
僕はジンギスカン鍋をセッティングして、カセットコンロの火をつける。
炭火で焼くほうがいいのではないかと思うかもしれないが、それは違う。生ラムのジンギスカンと違って、タレに漬けたジンギスカンは『焼く』よりも『煮る』感覚で調理するのだ。
調節のきかない炭火より、カセットコンロのほうが美味しく調理が出来る。
中央が山のように盛り上がったジンギスカン鍋に肉を乗せ、周囲のくぼんだ部分に野菜とタレを入れる。その姿はさながらすき焼きのよう。
「へえー、なんだかイメージしてたジンギスカンと違うね」
「そうだね。諸説あるけど、普通の焼肉っぽくジュウジュウ焼くのは『札幌式』で、こういうタレ漬けの肉は『滝川式』って呼ばれるんだって」
「……なんだか一太郎、めっちゃジンギスカンに詳しくない? ジンギスカン業者の人だったりする?」
「そんなわけないでしょ。僕、大学が北海道だったから、そのへんのことをある程度知ってるだけだよ」
初めて知る事実に、葉月は少し驚きの表情を見せる。
「そうなのっ!? 初耳なんだけど! なんで先に言ってくれないの!」
「ええっ……、だって別に僕の出身大学とか、別にどうでもいいじゃないか……」
「どうでも良くないしー。それも大切な一太郎の構成要素なんだから、できることなら知っておきたいの!」
「そ、そういうもんなのかあ……」
僕の過去のことなんて知ってどうするんだろうか。役に立つ情報でもないし、面白い話でもない。
でも一旦その言葉を
そう思うと、僕も少しだけ葉月の過去について知りたくなってきた。
ましてや元AV女優という肩書きがある彼女のこと。平凡な僕には想像もつかないようなエピソードがあるに決まっている。
その中身を知るには少し怖い。知っておいたほうがいいこともあれば、知らなかったほうが幸せであることも世の中にはたくさんあるから。
無理に掘り起こすことはない。これからゆっくり理解していこうと、僕は焦る気持ちを一旦抑え込んだ。
「おおー、だんだん煮えてきたね。本当にすき焼きみたい」
「もうそろそろいい感じだね。乾杯でもしようか」
「オッケー」
鋳物のジンギスカン鍋の中で、肉や野菜がふつふつと言いはじめている。もう少し肉に火が通れば食べごろだ。
葉月はクーラーボックスから缶ビールを2本取り出して、片方を僕へと手渡す。
プルタブを起こすと、全人類が大好きな『カシュッ』という乾いた音が響いた。
「かんぱーい!」
「乾杯」
待ちに待っていた瞬間が訪れる。
昼間からずっと渇望していたあののどごしに、やっとのことでたどり着いた。
夏に飲むビールも美味いけど、こういう秋の夕暮れ時に飲むビールも最高だ。「この一杯のために生きている」とは、本当によく言ったもの。この歳になって、やっとその言葉の理解が追いついてきた。
「ぷはー、最っ高! ねえ、そろそろ食べてもいい?」
「うん、ばっちり食べごろだよ」
葉月はジンギスカン鍋から羊肉をつまみ、取皿にワンバウンドさせて大きな口へと放り込む。
まるでイメージビデオなんじゃないかと思えるぐらいの綺麗なワンシーンに、僕は思わず見惚れてしまっていた。
「うんっまー! これは美味すぎる! 生きてて良かった!」
「フラワーカンパニーズ以外でそのセリフを聞くのは初めてだよ」
「フラワーカンパニーズ?」
「……なんでもない、僕の好きなバンド」
葉月は僕のどうでもいい一言を聞き流して、そのまま二口目に突入する。
ボサっとしていたら葉月に全部平らげられてしまいそうなので、僕もトングを手にとってジンギスカン鍋をつつき始めた。
「んんー! やっぱ懸賞に応募してよかったー! 今度は何に応募しようかな」
「これから寒くなるから、鍋用のカニとか?」
「それいいね! タラバガニとかズワイガニとか、絶対に美味いやつ!」
まだ応募すらしてないのに、既に当てたかのように喜ぶ葉の横顔は、ずっと見ていても飽きない。
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