第3話 1/fの感触
「……なにそれ、意味わかんないんだけど」
「意味がわからなくても、これが現実」
「なんで一太郎がそんな目に遭わないといけないの……? ひどすぎ……」
「そういう星のもとに生まれてきたんだよ、僕は」
僕は自嘲する。
終わったことを悔いても仕方がないのだ。そういう運命だったと諦めるのが精神衛生上一番楽である。
「でも、それなら別にこっちに帰って来なくても良かったんじゃない? 仕事だって東京の方があるだろうし」
「確かにそうなんだけどさ、ちょっと厄介なことになっちゃって……」
「厄介なこと?」
「ほら、この間僕が葉月に電話番号を教えたときのこと覚えてる?」
葉月はそう言われて、何かに気がついた。
「ああ、あの時ね。なんか、一太郎ってば具合悪そうにしてた」
「……実は、その離婚が原因で女性恐怖症みたいになっちゃってさ」
そう僕が告げると、予想だにしない言葉が出てきたのか葉月は慌て始めた。
「えっ!? ウソ? そうだったの!? ご、ごめん、私と一緒にいて大丈夫?」
「この距離なら大丈夫。……でも、隣にいられるとまたあんな風にパニックみたいになる」
医者が言うにはPTSDの一種らしい。
厄介なことに、満員電車なんかで女性が近くいるだけで発作が起きてしまう。もし触れようものなら、多分泡を吹いて倒れるだろう。
それでは東京で暮らすことは難しいと思い、僕は田舎へ戻ってきたのだ。
その事実を告げると、さっきまで心配そうにしていた葉月の瞳からついに涙が溢れはじめた。
「そんなの……、ひどすぎるよ。一太郎から全部奪っておいておまけに心にまで傷をつけて……、居場所も失わなきゃいけないなんて……」
「お、おい、そんなことで泣くなよ……。別に葉月が心配するようなことじゃないから大丈夫だって」
「そんなことなんかじゃないもん! だって……、だって……」
他人のことでこんなに悲しみや辛さを共有してくれる葉月は、本当に出来た人なのだなと改めて僕は思った。
できることなら泣き出す葉月のそばに寄り添って背中でも撫でてやりたい、そんな気持ちだ。
でも、今の僕にはそれができない。
その事実がものすごくむず痒くてもどかしくて、叫びだしたくなる。
すると突然、葉月は立ち上がる。
「……よしっ! 決めた! 今からその女殴りに行こう!」
「えっ……? ちょっと葉月、何言って……」
「もう我慢ならんのよ! こんなに真面目に頑張っていた一太郎をボロボロにしておいて、タダで逃げるとか絶っ対に許せない!」
「落ち着いてよ葉月、そんなことをしてもなんにもならないし、そもそも僕は元妻の居場所なんて知らない」
僕は興奮気味な葉月を抑えることで手一杯だった。
「でもムカつくの! そんな話を聞いたらひと泡吹かせないと気がすまない!」
「もういいんだよ葉月。僕は別に復讐なんて望んでないし、これは実家で親孝行をする良い機会だと思うことにしたんだ。……心の傷は、治るかわからないけど」
葉月は怒りをおさめるように、手元にあったビールを飲み干した。悔しそうではあるけれど、なんとかビールと一緒に飲み込んでくれたみたいだ。
一方でその拍子に何かいいことを思いついたのか、彼女は大きな瞳をさらに大きく見開いて僕を見た。
「そうだ! じゃあ私と付き合おうよ! それでその女性恐怖症を克服しちゃうの」
「えっ? ちょ、ちょっと何言って……」
こぢんまりとした店内に、葉月の大きな声が響く。
一瞬周りに聞かれてしまうと思ってドッキリしたけど、店主以外に他に人がいなくて助かった。
「一太郎が復讐を望んでいないなら、せめて心の傷ぐらい癒やしてやりたいって思ったの。お願い、協力させてよ」
「で、でも……、わざわざこんなバツイチ都落ち男と付き合う必要なんて……」
こんな田舎では僕みたいな奴と付き合うなんて周囲から疎まれること間違いなしだ。
葉月が良いと思っていたとしても、そこは良心が痛んでしまう。
「バツイチとかそんなこと気にしてないって。私いまフリーだし、一太郎が良いんならリハビリ……、とかもしてげられるし」
「確かにそうだけど、葉月に迷惑が……」
リハビリ――、要は僕の女性恐怖症を治すためにあれこれ手を尽くしてくれるということ。
まずは距離を詰めて触れ合えるように、そしていずれは一つになれるようにということ。
おそらく一筋縄ではいかないだろうし、彼女を傷つけるようなこともたくさんあるに違いない。そう思うと、素直に首を縦に振ることができない。
僕がくよくよしていると、葉月は距離を詰めてすり寄ってくる。僕が発作を起こさないギリギリの距離だ。
「それとも、私じゃ嫌……?」
今日の葉月の服装は、ちょっと肌を出しているなと思っていたけど、ここに来てそれが猛威をふるう。
彼女の胸の谷間が間近にある。
女性恐怖症とはいえども、やっぱり僕の目はそこに行ってしまうのだ。
ガン見していると思われないよう、僕は視線を逸らす。
「い、いや、そんなことは全然無いんだけど……」
「大丈夫大丈夫、心配なんて不要だよ。私、結構リハビリのテクニックには自信あるよ? 伊達に元AV女優やってないから」
サラッと葉月は衝撃的な事実を言う。
僕の耳がこんな至近距離で聞き間違えるようなポンコツでなければ、彼女は間違いなく『元AV女優』と言ったはず。
念の為、確認をとろう。
「……葉月? 今、なんて?」
「だから、元AV女優だって。ほらこれ、私の出演作品」
葉月はスマホを開いてFから始まる男性陣御用達のアダルトなアプリを開いて僕に見せてきた。
その画面には、かなり化粧で顔を盛られた女優の姿。いわゆる黒ギャルというやつ。
確かにその黒ギャルが葉月だと言われれば葉月に見えなくもない。
「ほらこれ、かなり化粧濃いから全然気づかれないんだけど、1番売れたやつだよ。イヤホンあるから視聴する?」
「い、いいです! 遠慮しておきます!」
「えー、面と向かってそう言われるとちょっと落ち込むんたけどー」
「……こんなところでAVなんて見るわけないでしょ」
正直なところ、気になるといえばめちゃくちゃ気になる。でも、人が少ないとはいえ公共の場でAVを見るのはさすがによろしくない。
そんなたじろぐ僕を見た葉月は、なぜか不敵な笑顔を浮かべる。
「今はだめってことは、家に帰ったら見るんだ。ふーん、一太郎のえっち」
「なっ……!」
心を見透かすような葉月の言葉に、心臓がはちきれそうになった。
そんな僕に追い打ちをかけるように、葉月はとんでもないことを言う。
「じゃあせっかくだし、告白の返事はそれを見てもらったあとで聞こうかな」
今日イチいたずらっぽい顔で葉月はそう言う。
何がせっかくなのかよくわからないが、男女のやり取りとしては完敗だ。既に逃げ道などなく、逃げるに逃げられないうさぎのよう。
「もう僕が見るのは確定なんだね……」
「むしろ見てくれないと嫌」
「……わかったよ、ちゃんと見てから返事をすればいいんでしょ」
我ながら、男として最高に情けない告白の保留のしかたをしてしまったと思う。
そうして僕のブラウザには、Fのつくサイトの閲覧履歴が刻まれていくことになる。
ちなみにあとから知ったけど、葉月はFカップらしい。Fというアルファベットに、男は逆らえない。
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