第2話 ウーロンハイ
「かんぱーい!」
「乾杯」
この町に戻ってきてから1週間程が経った。
引っ越しやら新しい職場への挨拶なども済ませ、待ちわびた週末の夜。
僕は葉月の提案どおり、地元のこぢんまりとした居酒屋で彼女と一杯交わしている。
いい歳した男女がサシで飲んで大丈夫なのかなと思ったりした。でも、ビールジョッキを持つ彼女の左手には指輪の類は一切ないことに気がついた僕は、ちょっとだけホッとしていた。
「ごめんねー、他のみんなも呼んだんだけど、家庭がある人ばっかりでさ」
「い、いいんだよ。僕はあまり騒がしくないほうが好きだし……」
「それもそっか。一太郎、体育祭とか文化祭の時、いっつも端っこにいる感じだったもんね」
「あはは、よく覚えているね」
葉月いわく、田舎は人数が少ないから僕みたいなのは逆に目立つらしい。だから覚えていたのだとか。
彼女は人を呼べなくて申し訳なさそうにしているけれど、僕はそれに助けられた形だ。
もし人が多かったら、またこの間のようなことになってしまうだろうから。
「――それでさ、ちょっと一太郎に聞きたかったことがあるんたけど」
飲み始めて少し経ち、最初の一杯目の酔いが心地よく回り始める頃、葉月は唐突にそんなことを言い出した。
お酒はそれほど強くないのか、彼女の顔は赤らんでいて少し色っぽく見える。
「……なに?」
「なんで離婚したの?」
「やっぱりそれ訊いちゃう?」
「当たり前じゃん! めっちゃ気になってるんだから! なに? 浮気しちゃった? 不倫? 慰謝料とか払ったの?」
葉月は格好の獲物を見つけたかのように僕へと疑問をたくさん投げかける。
でも、多分葉月の期待しているような答えは返せない。そんなに面白いことではないから。
「……あんまりいい話じゃないよ」
「そりゃ離婚だからね。いい話が聞けるなんて思ってないよ」
「おまけに、ちょっと情けない話だよ」
「だからお酒の力を借りて、思い切って言っちゃえばいいかなって」
葉月はまるでスッポンのように僕に食いついて離れない。
あまり思い出したくないけど、話さないと葉月は納得してくれなさそうだった。
「……わかったよ。特別に話すことにする。他言はしないでくれよ?」
「もちろん!」
敬礼ポーズを見せる葉月はすっかりご機嫌らしい。
これから話すことはちょっと重苦しいので、それぐらいの心構えでいてくれたほうが助かる。
「僕は5年前に結婚して、子供が1人いたんだ」
「えっ、子供までいたの!? 一太郎もやることやってんだねえ」
「茶化さないでくれよ。結構僕は真面目に話してる」
「ご、ごめん……」
葉月は自分のテンションの高さを少し反省したようだ。上がっていた口角はもとに戻り、彼女は真面目な表情へと戻る。
5年前、僕は友人のツテで出会った女性と結婚をした。
今思えば、この結婚がすべての間違いだったのだ。
程なくして子供が生まれる。それはとても喜ばしいことだった。
しかし僕の元妻は、育児らしい育児をすることはなかったのだ。
別にそれほど収入に苦しんでいたわけではないが、キャリアが途切れるのが嫌だということで、彼女はすぐに働きに出た。
僕は育児休暇や在宅ワークをうまく利用しながらなんとか子供を育てる日々を送った。
育児はわからないことだらけ。それでもこの子が生きていくためには自分がしっかりしなければならないと思い、がむしゃらに取り組んでいたと思う。
もちろん家事と名のつくことも全部やった。炊事洗濯掃除、買い物や家計簿の計算も僕の仕事。
帰りの遅い元妻は、全力で働いているのかいつも疲れた様子だった。だから僕が頑張らないといけないと盲目的に思い込んで、毎日を過ごしていたのだ。
子供が4歳を迎えた今年の春、事件は起こった。
体調を崩してしまった子供を連れて病院に向かうと、血液検査を行うことになった。
そこでついでに血液型を調べてもらったところ、衝撃の事実が判明した。
僕と元妻はA型、でも子供の血液型はAB型だったのだ。
遺伝子的にそんなことがあり得るのかと、僕はパニックになった。もしかしたら、この子は僕の子ではないかもしれない。それでは一体誰の子なのだ?
真偽を確かにするため、元妻には内緒で子供と僕の遺伝子鑑定を依頼した。
結果は案の定、僕の子ではないことが明るみになってしまったのだ。
元妻にこの事実を突きつけると、あっさり他の男との間に出来た子供だと白状した。
しかも、キャリアが途切れるのが嫌だと言って働いていたというのは全くのウソで、実際には多数の男と遊んでいたことまでわかってしまった。
僕は、まんまと元妻に搾取されてしまっていたのだ。
こうなると離婚まではあっという間。
しかもその条件はひどいものだった。
子供の親権は元妻へ、おまけに元妻が支払う僕への慰謝料はなし。その代わり僕の養育費の支払いもいらない。という、極端なもの。
まるであなたとは最初から家族ではなかったのよと言いたげな、そんな条件。
精魂尽き果てていた僕は、もう元妻の顔も見たくないぐらいに心が荒れていた。この条件で構わないから、一刻も早くこの呪縛みたいな人から逃げ出したいという気持ちでいっぱいだったのだ。
そうして孤独になった僕は、地元へと出戻ることにした。
「……とまあ、こんな情けない事情があるわけだよ」
僕は手元にあるウーロンハイのグラスを手に取り、乾いた口を潤すように一口だけ飲んだ。
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