第18話 狼からの礼

 ベッドに横たわっていながら俺達を見つめる、『凍牙とうが』のハルム。魔物でありながら人間との和睦を推し進めた世界最強の存在、神魔王ギュードリンの孫。

 魔物が人間らしい姿に変化する人化転身じんかてんしんのスキルを使用し、本来の姿よりも人間らしい姿である狼人ウルフマンに変化した彼は、思いの外傷ついていないように見えた。

 そんな彼が、薄い水色の瞳をこちらにまっすぐ向けつつ、ベッドから身を起こして言う。


「何者だ」


 ハルムの声には張りこそないが、言葉には力があった。底冷えするような威厳は少しも損なわれていない。

 俺とロドリゴがぐっと言葉に詰まる中、俺の肩から飛び降りたエレンがハルムの横たわるベッドの方に足を踏み出し言った。


「ハルム殿、よろしいかしら? 報告に来たわ」

「お前達は……冒険者か」


 ハルムが小さく目を見開きながら言うと、エレンが自分の胸に手を当てながら発する。


「ギュードリン自治区支部所属、『ガッビアーノ』よ。『業火の爪』ルーロフはあたし達が倒したわ」

「しばらく経てば、あの山の気候も元に戻るだろう。本来の、暮らしやすい土地になるんじゃないか」


 エレンの言葉を受けて、俺もなんとか言葉を口からひねり出した。何にも言わないでいるのも、正直言って収まりが悪い。

 そして、エレンの発した所属に思うところが、やはりあったのだろう。いくらか愛想を崩しながら、ハルムがもう少し身を起こす。


「そうか……お祖母様ばあさまの子らか。わざわざ力を尽くしてくれて感謝する」


 そう言うと、ハルムは微かに頭を下げてきた。動きはまだ少々ぎこちないが、ある程度は回復している様子が見て取れる。

 エレンを含め、ギュードリン自治区の魔物はギュードリンの薫陶くんとうを受けた、言わば子どものようなものだ。本当の意味での子供ではないにせよ、魔物達は皆がギュードリンを厚く慕っている。そう言われるのも道理というやつだ。

 と、そこで声を発したのはディーデリックだ。うっすらと瞳を輝かせながら、ハルムに目を向けつつ言う。


「しかし、やはり氷狼アイスウルフ火蜥蜴サラマンダー。してやられたか、アンスガルの子」


 ディーデリックの声を聞いて、ハルムが一瞬大きく目を見開いた。やはり同じ国で生きる、それぞれ強力な魔物。その存在はよく知っていたらしい。


「その声は、ノールデルメール殿か。久しくお声を聞いていなかったが、健勝なようで何よりだ。人間の冒険者の供をするとは、どんなお心変わりを」

「なに、魔獣である故の気まぐれよ。それより貴様の傷はどうだ」


 ハルムの言葉にディーデリックが小さく鼻を鳴らして答えた。次いで問いかけた彼に、ハルムは肩口をさすりながら返す。


「人間達の薬や魔法のおかげで、もうだいぶ具合がいい。もう数日もすれば、御山おやまに戻れるだろう」


 ハルムはそう言いながら、肩を二度三度動かした。身にまとった服の衿口から傷跡は見えるが、もうすっかり塞がっているようだ。この数日、療養に専念した結果だろう。

 ハルムの様子を見てホッと息を吐いたエレンが、ちらと扉の方に目を向けつつ言う。


「よかったわ。表で警備していたのは、息子さん?」

「そうだ。私がいなくなったら、後を任せられるように鍛えている」


 エレンの問いかけにハルムがこくりとうなずいた。曰く、自分がいなくなった後もフィオーレ山を治められるように常から鍛え、人里に下りてくる時にも連れてきているのだとか。

 自分がいなくなった後のこともしっかり考えている。そういう辺りは、やはり抜かりがない。


「後進が育つのはいいことです。それでハルム、あなたから見て、頑健王はどう思いますか」


 感心した様子でロドリゴが話題を振る。その言葉を聞いて、ハルムは小さく首を振った。その様子にはなんとも、やるせない思いが見える。


「当人こそ充分に強く、ファン・エーステレンを継ぐだけの力はあるが、他人を惹き付ける力、育てる力には劣る。既に配下の心も離れ、魔王軍は瓦解状態がかいじょうたいと言えよう。早晩、魔王城突入の号令が出るやもしれんな」


 ハルムの率直な言葉に、俺もエレンも、ロドリゴも小さくため息を漏らした。

 ファン・エーステレンは魔王の位に就いた魔物に与えられる称号であり、その称号は当代の魔王と、生きて魔王の座を明け渡したギュードリンしか持ち得ないものとされる。だから本来なら、魔王としてヘイスベルトも尊敬されるはずなのだが、いわゆる求心力という点において、あの魔王は一歩劣るらしい。

 現に魔王軍の幹部である後虎院ごこいんはこの二年足らずの間に全滅し、魔王の側近スヴェンも既に死んでいる。幹部クラスの魔物はほぼ全員死んでいると言ってもいい。それだけ、ヘイスベルトは配下を鍛えてこなかったというわけだ。


「ああ、やっぱりそうなんだ」

「だろうね。魔王軍の魔物は各地を襲っていても、その動きに目的意識や統一性はない。適当に暴れ回っている状況だと言える」


 エレンが納得したように言うと、ロドリゴも小さく肩をすくめながら話す。

 侵攻の指示を出す上司がいないのだから当然と言えるが、今の魔王軍の魔物は統率が取れていない。ただ欲望のままに暴れまわり、冒険者に討伐されている状況だ。

 魔王領の中にいる魔物はともかく、人間界にいる魔王軍の魔物は急速に数を減らしているはずだ。これでは侵略も何もない。そろそろ魔王城突入の号令が出る、というハルムの見立ては間違っていないだろう。

 と、そこでディーデリックが小さく鼻を鳴らしながらハルムに声をかける。


「号令が出ても、貴様は御山で狼どもと村人を守るのだろう?」

「無論だ」


 その問いかけに、ハルムは即座に返事を返した。

 魔王城への突入が決定したとして、すべての冒険者が、人間に味方する魔物が、魔王領に押し寄せるわけではない。そもそも冒険者でさえ各国のギルドから選抜する方式なのだ。言わば領主とも言えるハルムのような魔物が、魔王領まで赴く理由はない。


「私は父から、この山を守るように言われた。ファン・エーステレンの系譜として、任された土地を守ることに全力を尽くす」


 自分の胸に手を当てつつ、ハルムはきっぱりと声を発した。それを聞いて安心した様子で、ディーデリックが嬉しそうに声を上げる。


「ふっ、やはり神魔王の子らよな」

「そういうものよ」


 ディーデリックの言葉に小さく肩をすくめながらエレンが返す。元々、ギュードリンの子供や孫と言った直系の子孫は、山や森を守るという役目を負っているのだ。エレンの言う通り、そういうものなのだ。

 と、ハルムが僅かに身体をこちらに向けた。そしてもう一度、小さく頭を下げながら話す。


「お前達は、直に魔王軍に戦いを挑むのだろう。私も、私の子らも力にはなれないが……是非とも勝って、世界に安息をもたらしてほしい」


 ハルムの願う言葉に、俺達は揃って背筋を伸ばした。そして胸に手を当てながら言葉を返す。


「もちろんだ」

「任せてください」


 俺が、ロドリゴが返事をするのを、ハルムは満足げな表情で見ていた。と、そこでロドリゴが小さく身を乗り出しながら声をかける。


「ところでハルム、僕達は氷狼アイスウルフ討伐の依頼を受注して、御山にやってきたんだけれど……問題ないかい、数匹ほど間引かせてもらっても」


 ロドリゴの言葉に、ハルムは僅かに表情を固くした。

 それもそうだろう、フィオーレ山の氷狼アイスウルフはハルムにとって子供のようなものだ。それを数匹とはいえ、倒してもいいかなどとハルム当人に聞くなど、申し訳ないなんてものではない。

 少し考え込んだ後、ハルムは小さくうなずいた。


「構わんよ。あれに数日いいようにされたことで、氷狼アイスウルフの数も増えていることだろう。私が下山した際に人間を襲わないようには伝えたが、このままでは連中も飢えて元の木阿弥もくあみだ。程よく減らしておいてくれ」

「ありがとう、助かるよ」


 ハルムの言葉に、ホッとした様子でロドリゴが言葉を返した。確かにルーロフによって土地の魔力が大きく乱されたことで、魔物の発生数は上がっているだろう。俺達も山を登っている最中、結構な数の氷狼アイスウルフを見かけた。

 このままあれらを放置していけば、個体数が増えた彼らは飢え、また人里を襲いかねない。そうなる前に減らしておくのは大事なことだ。

 話がまとまったところで、エレンがさっと手を挙げる。


「じゃあ、お休みを邪魔しても良くないから。お体、気を付けてね」

「ああ、感謝する」


 エレンの言葉に、ハルムがもう一度こちらに頭を下げてくる。そうして俺達は改めてハルムに頭を下げ、部屋の外にいる彼の息子にも頭を下げ、自分達のやるべきことをやるべく、宿屋を後にするのだった。

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