第35話 腹黒王女から見たクズ
私は誕生日という日が最も嫌いです。
それは私という個人の存在価値をありありと映す鏡のような日だからです。
私の存在する意味だとか意義というものを否応なく、私へと再確認させるための儀式の日に思えてならないのです。
もちろん私だって一人の女の子だからいつもよりも煌びやかなドレスを着飾って薄く化粧をしてみんなから『きれい』と言われるのが嫌いなわけではないです。
でも、今日に限ってはちっともこれっぽっちだって嬉しくなんてない。
『きれい』『かわいい』『なんてうつしいんだ』
そんな空虚な言葉たちではちっとも満たされません。
意味なんてありません。
私のことを本当の意味で理解してくれる人なんて現れるはずない。
そんなことはわかっていました。
だからきっとこの先一生、私はつまらない日常を消費するんだろうと思っていました。
彼に出会うまでは——
∞
『あぁ、なんと綺麗なんだ。是非とも我が――の妃となって――』
『いや何をおっしゃる!我が――――』
「ありがとうございます」
何度目の陳腐な会話なのか、数えるのはやめてしまいました。
これっぽちも込められていない感謝の念も空虚に耳に残り、少し不愉快です。
今までに何千回いや何万回も述べている『ありがとうございます』の言葉。
おおよそ予想していた通りの結果ですね。
全然楽しくない。
でも今日は十四歳となった私の誕生日。
だからいつもより一層のことなお丁寧に賓客のお相手をしなければならない。
そのためには笑みを浮かべ続ける必要があります。
物心ついてから何千回、何枚回と繰り返してきたかわかりません。
もちろんそれは、私が一国の姫としての振る舞いをしなければならない立場上の問題もあります。
でもそれ以上に気にするべきことがあります。
将来的に今日この場にいる隣国の王族や有力貴族と結婚する可能性が高いことです。
そう、だから私の所作や言動は全て見られているという点です。
食事のマナーは将来の夫となる嫁ぎ先で品位を貶めないため。
教養は将来の夫である嫁ぎ先の国を支えるため。
誕生日という祝い事であってもありとあらゆる私自身の言動が、将来結婚するにふさわしい人物に値するのか見定め、評価し、選定する機会。
……なんて言うと、少し悲劇のヒロイン過ぎるのでしょうか。
それでも私にとっては悲劇以外の何ものでもない。
きっとどこかの街娘として生まれていれば好きな人と恋愛して、結婚して、子どもを産んで普通に生きることがでたのでしょうから。
しかし私は違います。
生まれてから自由なんてありません。
私の人生の全ては国の存続のためにあります。
だから、今日という日は、私の生きている意味を否応なく視界へ映します。
今日出席している誰かと結婚するのかもしれない。
好きでもない人に抱かれて……それから子供を産むのかもしれない。
…………だめ。
とめどなく嫌な想像ばかりが脳裏に映し出されます。
だからいっそのこと全て真っ黒に塗りつぶしてしまいたい。
それなのに全然真っ黒になってくれない。次々に色を重ねてしまいたい。
それでも黒く塗りつぶしてしまう前に勝手に光景がかき消えていきます。
そしてすぐに違う光景が現れてきてしまう。
笑顔は引き攣っていないでしょうか。
あとどのくらい笑みを浮かべ続けて、陳腐な言葉を返せば良いのでしょうか。
どうすれば早く今日という一日が終わるのでしょう。
∞
辺境伯のベラニラキラ伯は決まりきった挨拶を終えた後に言いました。
「少々よろしいでしょうか、クロエ様。実は……本日、マリアではなく我が愚息である――チューヤ・ベラニラキラからご挨拶させていただきたいのですが……」
歴戦の猛者のような強面な表情とは違いわずかに柔らかな声。
きっと私を威圧してしまわないように配慮してくれているのでしょう。
今まで挨拶にきた方々とは違う。
私への上っ面だけの美辞麗句や私に取り入って父へと近づこうとするした心など微塵も感じさせません。
私という一個人への配慮というのでしょうか……心遣いを感じられます。
やはりお父様が気にかけていらっしゃるだけのことはあります。
王国の財務庁長官のアデレー伯や王国の魔術顧問であるボーア卿と同じく中立の立場であるもののお父様と懇意にしている間柄。
だからかもしれません。
先ほどまでのどんよりとする気持ちは少しだけ軽くなった気がしました。
「もちろん、私もお会いしたいと思っておりました」
「初めまして。チューヤ・ベラニラキラと申します……」
ベラニラキラ伯の少し後ろから私くらいの年頃の少年が姿を現しました。
しかし挨拶をしてから首を垂れたまま黙り込んでいる。
「……?」
あれ、今『初めまして』と挨拶されましたよね?
果たしてチューヤ・ベラニラキラという少年と今までこのような社交場で一度も挨拶をしたことはなかったでしょうか。
少なくともベラニラキラ家はこれまでの私の誕生日には必ず毎年挨拶にきていたはずです。
昨年の一三歳の誕生日会にはマリアさんがいらっしゃっていた。
あんなにも綺麗な子が同世代にいるなんて思いもしなかったからよく覚えています。
ではその前の年はどうだったでしょうか。
確か——
「はは、チューヤよ。ふざけるのはよしなさい……いくらクロエ様を目の前にして緊張しているとは言え『初めまして』だと……?一昨年にご挨拶しているだろう?」
ベラニラキラ伯は今までの優しい声色からわずかに怒気のこもった声でチューヤ様の頭を叩こうとして——外れました。
チューヤ様の身体はいつの間にか少し後方へと移動しています。
ずっと顔を伏せていたのにすんなりと避けるなんて何かしらの魔術を使ったのでしょうか?
それとも瞬時の身体的な反応だったのでしょうか。
いずれにしてもかなり実践的な身のこなしであることに違いありません。
それくらいのことは鳥の籠で蝶よ花よと育てられた温室育ちの私にだってわかります。
「――っぶな⁉怪我でもしたらどうするつもりですか、父上っ⁉」
先ほどまでの真面目な雰囲気から一変してチューヤ様は砕けた口調の軽い雰囲気で言いました。
きっとこれがチューヤ様の本来の性格なのかもしれません。
「どうなさいましたかっ⁉」「何かあったのかしら」という周囲の貴族たちの声が聞こえてきました。
「っち」と舌打ちするのが聞こえてチューヤ様は渋々といった表情で元の位置まで戻ってきました。
すると「この度は愚息が失礼いたしました」と言って、ベラニラキラ伯はチューヤ様の黒い髪を押さえつけました。
「い、いえ。どうかお気になさらないでください」
「あぁ、なんと慈悲深いお方だ」と言ってベラニラキラ伯は頭を上げました。そして「実は、お恥ずかしながら愚息は落馬した際に少々記憶の一部を失っておりまして――」
なんでもチューヤ様はここ数年の「人」に関する記憶を失ってしまっているとのことでした。
そのような奇妙な症例があるのは興味がそそられますね。
真面目な話をベラニラキラ伯が申し訳なさそうな表情で説明しているにも関わらず当の本人であるチューヤ様はというと……自分のことも向かいにいる私の存在などこれっぽっちも興味なさそうです。
なぜだか先ほどから後ろに控えている私の専属メイドへと視線を向けています。
……なんか、これはこれで私の存在が無視されているような気がして悔しい。
「そうでしたか……それは災難でしたね、チューヤ様?」
私はチューヤ様の視線をメイドから私へと戻させるために声をかけてみました。しかし、チューヤ様は気まぐれな猫のように「あ、はい。そうですね」と言ってつまらなさそうな反応をしました。
これほどまでに私に興味を抱かない殿方なんていませんでした。
だからムキになってしまったのかもしれません。
「ところで、チューヤ様は先ほどから何やらお心が引かれることでもあるのでしょうか?」
「……いいえ、私のことは単なる石ころとでも思ってお気になさらず。さあ、父上とご歓談をお楽しみください」
「チューヤ!なんだその口の聞き方は!あれほど——」
ベラニラキラ伯は怒りの声を上げようとしたところで、チューヤ様が耳元で何かを言いました。
それからベラニラキラ伯は何かを察したように息を呑んで、私へと視線を戻しました。
「大変申し訳ございません。急用を思いだしたため、私はここで一旦退席いたします。御無礼をお許しください。愚息はこのような場に不慣れですが最後まで残りますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「そ、そうですか。ごきげんよう」
私はなんとか返事をしました。
しかしベラニラキラ伯は、早々に立ち去ってしまいました。
流石に、状況について行けずポカンとすることしかできませんでした。
∞
ポツリと残された私と向かいに立っているチューヤ様。
「どうやらお急ぎのようでしたが……チューヤ様はよかったのですか?」
「ええ、俺……私が付いて行っても意味がありませんからね」
「ふふ、砕けた口調で構いません。近くには私とメイドしかおりませんので」
「……ではお言葉に甘えさせてもらう」
「はい」
「……ちょっとこの紙を受け取ってくれないか?」
「ふふふ……あら恋文でしょうか?」
結局、この男もまた私のことをよく知りもしないくせに甘い言葉を使うのですね。
ベラニラキラ伯がいなくなってから積極的にアプローチしてくるところを見ると小心者なのかしら。
いずれにしてもベラニラキラ伯のご子息だから少しはまともな殿方だと思いましたがどうやら期待はずれのようですね。
メイドがチューヤ様から手紙を受け取ろうとして——チューヤ様はそのメイドを無視して手紙を差し出したままです。
「俺は直接、お姫様に受け取って欲しいんだが……それともそのような誠意を見せることもできないのか?」
「ですが——」とメイドが慌てたように何かを言いかけました。
どうやら戸惑うメイドも無視して、このまま強引に私に受け取って欲しいのでしょう。
いささか気の強い殿方のようですね。
これもマイナスポイント。
きっと自分の思い通りにならないと癇癪を起こすような人に違いない。
とりあえずお高いプライド傷つけてしまわないように気をつける必要がありそうです。
「お心を傷つけてしまったようでしたら大変申し訳ございませんでした……」と私は申し訳なさそうに答えて「そうですね。殿方からの告白を無碍にすることはできません」と差し出された手紙を受け取りました。
サラサラとする手触りの良い紙。
……魔力でも込められているのでしょうか。
「ああ、それくらい分別のあるおお姫様でよかったよ」
チューヤ様はなぜか棘のある言葉で返事をしました。
まるで私を挑発するかのような煽る言葉。
そして、さらに私を馬鹿にするような声で続けました。
「ああ、それと。必ず一人になってから読んでくれ。たとえ専属のメイドであっても読ませるなよな?」
なんでチューヤ様はこんなにも強気でいられるのでしょうか。
ちょっと背が高くて切長の瞳で格好いいお顔をしているからこのような態度でもモテると勘違いでもしているのでしょうか。
それにわざわざ告白する相手を不快にさせるような言葉をかけるのかも全く意味がわかりません。そのようにすることで私が惹かれるとでもお考えになったのでしょうか。
まあ、理由はどうでもいいです。
私にとって、殿方なんて存在、初めからどうでもいい存在なのですから。
私は引き攣る頬を動かして答えました。
「ふふ、そのような無粋なことは致しませんからご安心ください。お言葉は乱暴のようですが、意外と繊細なお心をお持ちのようなのですね?」
「ああ、そうだな」とチューヤ様は開き直ったような態度です。
「ふふふ」と私は乾いた笑みを浮かべることしかできませんでした。
∞
メイドのサーシャは私の脱いだドレスを抱えて言いました。
「クロエ様、今日は災難な日でしたね?」
「……?」
「ほらお手紙の事ですよ!」
「お手紙……ですか」
一瞬、誕生日が嫌いなことを見透かされてしまったのかと焦ってしまいましたが、どうやらサーシャの指している意味は違うようです。
サーシャは少し呆れたように視線をテーブルの上へと動かしました。
……あ、ベラニラキラ伯のご子息であるチューヤ様からの手紙のことですね。
「まあ……チューヤ様なりの照れ隠しなのかもしれませんね?」
「いえいえ、クロエ様!あれは絶対に将来ロクな夫になりませんよー」
「そう……かもしれませんね」
そういえば、一人になってから読めだなんておっしゃっていられましたがどうしましょうか。
判断に迷いましたが、私は手紙を手にするためにテーブルへと近づきました。
やはり手紙には何かしらの魔術的な痕跡があるようですね。
微量ながら魔術の流れを感じられます。
これは本当に恋文なのかしら?
その時でした。
私の脳内に響くように声が聞こえてきました。
『おい、俺の声が聞こえたら魔力を流せ』
「――⁉」
「どうかなさいましたか?」とサーシャの少し心配するような声色が背中越しに聞こえました。
「いえ、大丈夫です。一人になってから手紙を読むようにとおっしゃっていましたのでサーシャ、ごめんなさい。少し外してくれるかしら?」
私は追い立てるようにサーシャへと返事をしました。
サーシャは少し怪訝そうな態度で部屋の外へと出て行きます。
「……それでは、何かあればお呼びください」
「ええ」
サーシャの気配が完全に無くなってから私は魔力を流しました。
『はあ……全くクロエ様、気付くのが遅すぎませんかね。てか、今は一人なんですよね?』
「チューヤ様、これはどういうことですか?」
『っち、質問に質問で返すとはクロエ様にも困ったものですね』
……耐えろ私。
王国の秘宝、聖女だなどと形容されるほどの美しさと可憐さを持つのだから……こんな些細なことで一々心をかき乱していてはダメです。
「……こほん、はい一人ですよ。それでなんの用件なのでしょうか。まさか告白でしょうか?でしたら大変申し訳ございませんが――」
『クロエ様はアホなんですか?』
「なっ⁉」
『一度しか言わない。クロエ様——あなたのメイドは暗殺者だ。即刻王国お抱えの暗部に引き渡した方がいい』
「ふふ、それは面白い冗談ですね」
『冗談だったら、よかったのかもしれないな』
チューヤ様の声色から何かを考え込むような雰囲気を感じました。
どうやら冗談や冷やかしでこのような回りくどいことをしているわけではないらしいです。
「……メイドとはサーシャのことでしょうか?」
『名前は知らんが挨拶に伺った時に連れていた女だ』
「……」
サーシャが暗殺者。
俄には信じ難いです。
三年ほど前から身の回りの世話をしてくれておりこれまで不審な動きもしていない……はずです。
それにサーシャの出自は国土地理局のクロイツ伯の次女であり、身分もはっきりとしています。
『あーあれだ。俺の言うことが信じられないのはわかるがとりあえず時間がない。俺の力を使わせてもらう——』
その時でした。
私の背後に僅かな魔術が揺れるのを感じた瞬間には、すでに人の気配がありました。
∞
「あれークロエ様はどなたとお話ししているのですか?」
「サーシャ⁉ここで何をしているのですか。出て行きなさい」
「あーあ。クロエ様知ってしまったんですね?」
「何を言っているの……?」
「ほんとに残念です。殺すつもりまではなかったのですが」
サーシャの声が聞こえた瞬間、チューヤ様の声が遮りました。
「っち、これだから王族と関わりたくなかったんだ。悪いが眠ってもらうぞ、クロエ様」
「眠る……?いえ、そんなことよりも、今のは空間魔術……です……か…チューヤ様――」
なぜか瞼が重くなってきました。
それに……視界がぼやけてきました。
目の前で何かを言っているはずなのに、チューヤ様の声が聞こえてきません。
身体もふわふわとして軽くなってきました。
あれ、足から力が抜けてきました……そして私の意識はそこで途切れてしまいました。
次に目を覚ました時にはすでにサーシャが捕まっていました。
何が起きたのかわかりませんでした。
でもチューヤ様が対処したことは容易に想像できました。
しかし、一向にその証拠がありません。すでに姿を消しており、サーシャも頑なに口を閉ざしたままでした。
そしてそれ以来、チューヤ様に会うことはありませんでした。
彼を探るために暗部に調べさせようともしました。しかしなぜかお父様によって止められてしまいました。
私の疑念は深まるばかりです。
でも幸いなことに学院で再開することになりました。
どうせチューヤ様のことでしょうから軽薄にもすぐに私の美貌に惹かれて話しかけてくるに違いないと決めつけていたのですが……一向にそのようなそぶりを見せないではありませんか。
そもそもあの時、助けてくれたことなど忘れてしまっているようです。
それこそまるで記憶を失っているかのような振る舞いで、不自然です。
なぜなのでしょうか。
演技なのでしょうか。それとも別の理由があるのでしょうか。
わかりませんでした。
だから私はチューヤ様に近づくことにしました。
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