第31話 クズの作戦は成功した?

 ローブを深く被って、俺は声をかけた。


「数分振りですね、先生?」

「チューヤ・ベラニラキラさん……あなたは分別のある生徒だと思っていたのですが、こんなことになって非常に残念です。大人しく王女の場所を教えてくれるのでしたら、あなただけは見逃してあげますよ?」


「へーそれはありがたいお話ですね。ちょうど俺からも提案しようと思っていたんですよ。あの我儘なお姫様と一緒にいるのはもう懲り懲りなんでね」


「ほお……」と言ってノノ先生は僅かに目を細めた。一瞬、油断させておいて奇襲をかけるつもりかと疑ったのだろう。

 しかし俺は何もしないというように両手を上げたまま立ち止まった。


 ノノ先生は口元に笑みを浮かべて言った。


「では取引成立ということで——」

「ですが、一つ条件があります」

「……何でしょうか」とノノ先生は俺をじっと凝視した。

「なぜあのお姫様が必要なのか、その理由を教えてくれませんか」

「あなたがそれを知ってどうするのですか?」

「特にどうもしません。ただ我儘なお姫様にはうんざりしたから弱みでも握って懲らしめたいだけですかね」

「ふむ……まあいいでしょう。最後の生徒への講義ですからね」

 

 ノノ先生はローブのポケットから何かを取り出した。

 小さな石——光沢のある黒い結晶石を掌に乗せた。


「これは『賢者の石』と呼ばれる魔石の一部です。いつだったか、魔石を整理するのを手伝ってくれた際にも説明しましたよね」


「ええ、確か伝説上の大賢者によって造られたとする魔石でしたよね」


「何でも願いを叶えることができると言われています」


「その魔石があのお姫様——クロエとどう関係するんですか」


「この賢者の石はかけらであって不完全です。当然、このままでは使い物になりません。ですから、不完全な部分を補う必要があります。そのためには王家の血が必要なのです」


「なるほどクロエの血が必要ということはわかりました。ですが——」

「……?」

「わざわざ襲うことはないんじゃないですか。それこそ体調を慮って献血でもして、穏便に血をくすねることだってできたはずですよね?なぜこんな回りくどい事をしているんですか」


「はは、それは当然の疑問ですね」とノノ先生は、おかしそうに笑った。そして「いや、失礼しました」と言った。

「これから私が行う儀式には王女の血が必要なのですが、それは単なる王家の血であれば良いわけではありません。愚かにも王国はクロエ・クレオメドリアさんの正体を隠しているようですが、彼女は聖女の能力を有しています」


「聖女ですか……」


 くっそ、結局シニカちゃんから教えられた情報がこんなところで繋がるなんて……都合が良すぎるだろう。


 聖女……その力であらゆる病気や欠損部分を治すことができると言われている奇跡の力を有する聖人。


 先の魔族との大戦時に癒しの巫女などと呼ばれた人物がいた。

 それ以来、いわば都市伝説のような話として平民を中心に流布していることは有名だ。


 確か領地でもそのような噂が流れていた。


 しかし本当にそのような人物がいたのかもわからなければ、聖女の力の真意もはっきりとしていない。


 それにもかかわらず、どうやらこの先生は伝説や噂話の類を信じるたちらしい。


 そんな真実味の薄いことを信じて行動しているのだからちょっといやそれどころかかなり頭のネジがぶっ飛んでいるのだろう。


 まあ、生徒であるルインズを利用していた時点でいかれているのは明らかだな。


 やはり俺が何を言っても交渉でどうにかなるような問題ではなさそうか。


 ノノ先生は相変わらず屈託のない笑顔を浮かべて言った。


「はい、ですから生きている王女の血と聖女としての力を使用することでこの魔石を完全な状態へと戻すのです」


「よくわかりました……ではクロエのところへと案内します」

「ええ是非ともお願いします」


 俺はクロエの待つ小屋へと歩き出した。

 果たしてノノ先生が持つ魔石とやらは本当に『賢者の石』なのか。

 

 その疑問だけが頭の片隅に残った。



 灰色のような濁った空気が小屋を覆っている。


「ここですか?」

「はい。この小屋の中で眠っています」

「なるほど……チューヤ・ベラニラキラさん——」とノノが小さく呟き、チューヤへと振り返った。そして、チューヤの胸にナイフを突き刺した。


「……え?」

 

 チューヤから戸惑う声が上がった。大きく両目を開いて驚きに満ちた表情で、二歩ほどふらふらと下がった。


 ノノはニヤニヤと笑みを浮かべながら力強くナイフを押し込んだ。


 チューヤは「――っぐ」といううめき声とともに吐血した。

 ノノはナイフを手放すとチューヤの身体はドンと地面へと倒れた。


「やれやれ、血が付いてしまいましたね……」

 ノノはチューヤの屍を見下ろして吐き捨てた。

「ふん、私がお前などのガキを信じるわけがないでしょう」

 

 古臭い小屋の扉を押すと、ギーという音が静かに鳴った。

 

 小屋の中へと入ると、やや土臭い匂いがノノの鼻腔をくすぐった。

 騎士科の生徒たちが普段使用している練習用の人形や槍や潰れた刃の剣が綺麗に整理整頓され置かれている。


 そして――マットの上に横たわるように眠らされているクロエ王女の姿があった。

 その瞬間——全身が貫かれるような痛みが走った。


「――うっ、ああああ」


 ノノは身体の中が抉られるような痛みに耐えられなく地面に倒れた。


這いつくばるようにしてクロエ王女の方へと手を伸ばしたがすでにクロエ王女の姿はなかった。いや、正確には不自然なほど色が乱反射している——何かしらの魔術が用いられていることは明らかだ。


 その時だった。


 頭上から先ほど殺したはずのチューヤの声とクロエ王女の声が聞こえた。


「いやー『油断させちゃうぞ大作戦』がここまで上手くいくとは思わなかったな」

「そうですね……まあ作戦名は良くないですが」

「は?めちゃくちゃいけているだろ?」


「ところで——」「おい⁉」とチューヤから抗議の声を上げたがクロエは無視をした。そして「このような薄暗い小屋にか弱い乙女を一人残すのはいかがなものでしょうか。シクシク」とわざとらしく涙を拭う仕草をした。


「仕方ないだろ?てか、あれは単なる投影魔術でお前は小屋の外で待機していただけだろうが。てか、ほとんどマリア姉から送られてきた投影魔術のおかげだけど」


「さすが天才と言われるだけありますね」


 クロエは珍しく他人を褒めた。


「なな、な、なぜ生きているのですか」


 朦朧とする視界の中で、ノノはやっと声を出すことができた。

 這いつくばるノノを見下ろしながら、チューヤがガシガシと黒い髪を掻いた。


「あーあれですよ、実は俺も吸血鬼でした……とか?」

「チューヤ様、ふざけている場合ではありません」

「お前だって先ほどふざけていただろうが⁉」


「ふっ」とプイとクロエがチューヤから視線を逸らした。そして、誤魔化すようにクロエは「そ、そんなことよりも、服を着てくださいっ!」と声を上げた。「あ、そうだった」とチューヤは少し離れたところに横たわっている屍——練習用人形から上着を取った。


「こほん、先生が生きているうちに説明して差上げたらどうですか?」


 クロエはチラチラとチューヤの肉体から視線を逸らして言った。

「まあ、そうだな……」とチューヤは気だるそうな声で返事をしてノノへと意識を向けた。


 ノノはなんとか手足を動かそうとしたが——力が入らない。

 そのようなもがく哀れな教師を無視して、チューヤは説明し始めた。


「さて、ノノ先生。あんたは俺の得意な魔術が空間魔術だと気がついていたはずだ。さっきだって俺は目の前で堂々と転移したんだからな?普通、警戒するものだと思うが……格下の相手だと思って油断してたんだろ?そもそもあんたは俺のことよりもクロエの方が気になって仕方ないみたいだったからな。簡単に騙せたよ」


「どういう……ことですか」


「見ての通り、殺されるふりをしただけだ。死ぬ前にそこにある人形と入れ替わったんだ」と言ってチューヤは騎士科の生徒が普段用いる人間そっくりの練習用の魔術人形を見た。


「チューヤ様……私はヒヤヒヤしたんですからね?いくら私の魔術で霧を発生させても近付かれてしまったら一発でバレてしまいますから」


「いや、仮にバレても一瞬さえ隙があれば——」とチューヤは何かを言いかけたが誤魔化すように「体内にあるコアを拡散的に魔術で打ち抜けばいいだけの話だからな?」


「き、貴様らごときが……私を、出し抜いた……というのか……」


 ノノは薄れゆく意識の中でなんとか反論をした。

 しかし、チューヤは薄く笑みを浮かべて言い放った。


「おいおい、先生、丁寧語じゃなくなっていますよ?」

「――っ!」

「せいぜい、あの世で襲った人たちへ懺悔できるといいですね?」


 チューヤは手をかざして魔術を行使した。

 ノノの意識は完全に沈んだ。

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