第30話 クズの裏側で悪役が思うこと
「転移の魔術ですか……実に興味深いですね」
トトノ・ノノは一瞬、研究者としての好奇心が芽生えたが、すぐに現在の置かれている状況を思い出して、なんとか好奇心から目を逸らした。
しかしこの場合の状況とは何か。
それについては議論の余地があるかもしれない。
まさかこのタイミングで身体が反応するなんて思ってもいなかったのだ。
研究棟での実験をしていたら、急に身体が疼き出した。
その疼きに導かれるようにして、校庭に駆けつけてみれば……二人の生徒の姿があった。
一人は辺境伯の息子チューヤ・ベラニラキラ。
そして第二王女のクロエ・クレオメドリア。
親密そうな二人の姿は、決して昼の学院ではみることのできない光景だった。
そう言った意味ではある意味新鮮だった。
しかしなぜか王女が手に持つ魔道具に嫌悪感を抱いてしまう。
……吸血鬼としての身体が反応しているのか。
そんなことを考えながら帰宅を促すと案外、すんなりと了承した。
ノノ自身としてもまだ聖女としての力が覚醒していない王女を手に入れるのにはいささか危険が伴う。
流石にいつ聖女として覚醒し、聖女の血が手に入るのかわからないのに王女の身柄を拘束し続けるのは難しい。
だから、見逃そうとした。
しかし王女の方はノノを逃すつもりはなかったようだ。
すでに氷の魔術が目の前に迫っていた――
∞
トトノ・ノノは極めて優秀な学者だった。
いくつかの新しい魔術を造り、若干二〇歳という若さで王国学院の正規の教師となった。
しかし、いつからだろうか。
その天才的な思考はいつからか禁忌の魔術へと手を出すことへとシフトした。
人は歳をとる。
ある朝、ノノはそんな当たり前のことに気がついた。
そう、自分が老いていることに。
昨日までは普通であると感じていた肉体。
フラスコを持つ自分の手がシワになっていること。
それに気がついて、慌てて鏡を探し出した。
鏡を覗き込む男が一人いた。
自分の顔はこんな冴えなかったのか……鏡に映る自分の姿が信じられなかった。
頭髪は白く染まり、顔には皺が増えていた。
研究ばかりに意識が向いて、時間の感覚というものがなくなっていた。
ついこないだまで若手研究者としてもてはやされていたはずだった。
しかしいつの間にか数十年経過していた。
そういえば父と母、そして妹はどうしているのだろうか。
ふと気がつくと研究器具や論文の束、埃の被った魔導書以外のものにいつからか興味がなくなっていた。
だから妹からの手紙もいつしか届かなくなっていたことに気が付いていなかった。
種々雑多なものが散乱する部屋で、一人ポツリと立ち、どこに何があったのか、その配置を観察した。
埃の被ったテーブルの上を見ると一通の封筒がある。
いつだったか送られてきた手紙を後で読もうとそのまま放り投げていたものだ。
気が付かぬうちに、ところどころ薬剤でも引っ掛けてしまったのだろうか。
あるいは単に日にあたって黄ばんでしまっただけなのか。
ガザガザとする手紙を手に取ると……数年前の日付だった。
数枚の手紙を読み進めていると、涙のこぼれ落ちたシミのような痕跡があった。
『もうノノ家を維持するだけの財産がありません――』
どうやら人の良い父と母は死の間際に詐欺師に騙されたらしい。
それだけでなく根こそぎ財産を怪しい土地開発に投資していた。だから王都での研究をやめて実家を建て直す方法を考えて欲しい。
そのような趣旨の手紙だった。
そして続きの手紙を探し出した。
どうやら続きの手紙には豪商として名を馳せていた実家はいつの間にか借金を抱えて、没落して無くなったらしい。
父も母も死んだらしい。
その際に無理心中をしようとして歳の離れた妹を巻き込んだらしい。
幸運にも妹だけはなんとか命を取り留めたらしい。
しかし、どこを探してもその後の妹からの手紙がなかった。
一方で王都の騎士団から報告書が届いていた。
妹が収容された教会を探したが、いつの間にか行方がわからなくなったという趣旨だ。
そしてもう一通、つい最近、騎士団から届いた手紙だ。
妹が見つかったという報告書だ。
ボロボロの身体で王都の路上で倒れていたところを保護したというものだ。
どうやら離散した後、貴族に買われたらしい。
が、その貴族は歪んだ性癖の持ち主だった。
身体の一部を切り落とし、薬漬けにするのが趣味だったらしい。
しかし妹はなんとか微かに残った意識で屋敷から逃げ出したようだった。
ノノにとって研究が一番だった。
だから今まで家族なんてどうでも良かったはずなのに、ノノは駆け出していた。
保護している教会へと向かった。
変わり果てた妹の姿があった。
数年会っていないだけで、金色に輝いていた髪は抜け落ちて、二十代のはずなのに今にでも死にそうな老婆のように正気がなかった。
腕や足が中途半端になくなっていた。
いや切り取られていたのだ。
そして何よりも痛ましいことは、精神年齢が逆行していることだった。
『おにいちゃん……パパとママはどこにいるの?』
時々、ノノのことを認識している素振りをした。
しかしすぐに何かを思い出したかのように、妹はボロボロになった布切れをつかんだまま叫んだ。
ノノは痛たしい妹の姿から目を逸らすように伝手を使って高位の回復魔術師を探し出した。
大量の王国金貨を支払って、妹の身体欠損はほぼ治療してもらうことに成功した。
しかしやはり精神の方は治らなかった。
だからだろう。
相変わらず妹の崩壊した精神はまともに話が続かない。
今日も病室で譫言のように父と母とそして兄----トトノの名前を読んでいる。
そうだ——時を戻せば良い。
滅んだとされる吸血鬼の真相の力には時間を巻き戻すことができる力があるらしい。
だから吸血鬼を見つけ出し、解剖することから始まった。
闇ギルドに大量の金を渡して、やっとのことで一匹の吸血鬼を見つけることができた。なぜか死にかけの吸血鬼だったが、死んで灰になっていないだけマシだった。
使えるものは全て使う。
何もかも元に戻すためにあらゆる実験を学院に秘密裏に進めた。
これまで顧みることのなかった家族——妹との時間を取り戻すためにも実験を行う必要がある。
第一に見た目を若返らせることに成功した。
第二に若返った見た目を維持することに成功した。
しかし、記憶力や体力——は衰える一方だ。
それに精神を元に戻すこともできそうになかった。
自分自身に絶望した。そして失望した。
結局、トトノ・ノノという研究者はどこまで行っても二流なのだと悟った。
一流の魔術師……それこそかつて存在したと言われる伝説の『賢者』と比べるまでもなく、自分は取るに足りない存在だった。
『くっそ……なぜ吸血鬼の能力を発揮しないっ!?』
『や、やめてくれ……』
地面を這いつくばる吸血鬼は何度刺しても、何度火破りにかけても生き返る。
手を切り落としても、指を折っても、すぐに元通りに戻る。
しかし一向に時間を戻すような能力……時間が巻き戻るような効果は発動しなかった。
ある日、憔悴しきった男の吸血鬼は言った。
初めて『助けてくれ』という以外の言葉だった。
『オレの両肩を……同時に切り落としてくれ……』
『そうすれば、時を戻せるのか?』
『……たしかめてみろ』
ノノは行き詰まった焦りで深く考えず、吸血鬼の指示通りに行動してしまった。
気がついてた時には遅かった。
すでに吸血鬼は灰になっていた。
『……吸血鬼にはコアがあるのか』
死に損ないの吸血鬼を間違って殺してしまった。
仕方がないので代わりの実験体を調達するために闇ギルドを訪れた。
相変わらずジメジメとする地下水路を歩いていると、怪しいローブの人物が目の前に姿を現した。
男か女かわからないが魔術で声色を変えていた。
『ふふ、キミが求めているものをあげるよ』
『なんだこれは……?』
『これは「賢者の石」さ』
『馬鹿馬鹿しい。そんな伝説信じれるものか』
『じゃあ、試してみるかい?』
そう言って、怪しいローブ姿の人物はノノ掌に石を乗せて、魔力を流した。淡い光を放っている。
それに目を奪われてしまったのがいけなかった。
目の前の人物はノノの懐に潜り込むようにして、いつの間にか用意していた短剣が腹部を抉った。
『——っぐ』
ポタポタと流れる血……脇腹を抑えても流れ続ける。
足から崩れるように身体が地面へと落下する。
『うっ』と地面に身体が当たり空気と共に血が口から飛び散った。
急激に身体を寒さが襲ってきた。
ノノは意識の朦朧とする中で、ローブ姿の人物を睨んだ。
しかしローブの人物はなぜか楽しそうな声で言った。
『ふふ、この石をキミの心臓に埋め込んであげると、吸血鬼になることができますっ!パチパチ。ああ、それと、残念ながら今のキミは不完全だから、聖女の血は自分でなんとかしなよー。まあクロエ様から奪えることができればの話だけどねー』
ぐちゃぐちゃと身体が切り開かれていく。
しかしノノは、痛みを全く感じなかったが、目の前が真っ白に染まった。
ただ……真っ白に染まる前に、一瞬だけ灰色の長い髪を見た気がした。
それにローブの奥から微かに狂気に満ちた瞳が覗き込んでいた。
朝日が視界を覆った。
どうやら気を失っていたらしい。
いつも通りの自宅のベッドの上だった。
一瞬、夢だったのかと錯覚した。
しかしすぐに現実に起こったことなのだと理解した。
なぜならば……掌には数個の『賢者の石』が握られていたのだから。
どうやらノノの体内に入れられたものと同じものらしいことはすぐにわかった。
身体の中で反応するように活力が湧いてきた。
ああそういえば、『聖女の血』がどうとか言っていた。
おそらくまだ試したことのない禁術だ。
『賢者の石』と『聖女の血』。
二つを揃えることで初めて完全な存在になることができる。
……聖女を生贄にすれば、時を戻すことも可能なはずだ。
そこで初めて魔術を完成させることができる。
すでにこの時には、ノノの意識から唯一の家族である妹との時間を取り戻すという本来の目的は抜け落ちていた。
結局どこまで行っても、研究者としての探究心に負けてしまっていることにさえ、自分自身で気がついていなかった。
∞
ノノは肩にかかっていた砂埃を振り払い校庭を一望した。
二人の姿も気配も完全に無くなっている。
しかし結界内から出ることはできない。
おそらく校舎へと続く木々の木陰か或いは騎士科の生徒たちを訓練するための道具が置かれている小屋へと逃げ込んだのか。
ノノは退屈そうにあくびを堪えて、まず木々の方へと進んだ。
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