第28話 クズは騙される
深夜の学院というのは、いささか不気味な雰囲気だ。
魔術的な実験を行う研究棟はこの時間でも光が灯っている。
きっと昼夜逆転して研究に没頭でもしている研究者——学生もいるのだろう。
「幸い校庭からは離れているため、こちらの気配に気がつくことはないでしょ」
クロエは悪戯が好きな幼い子供のように笑みを浮かべた。
このお姫様がお転婆であることは今に始まったことではないと言えさすがに好き勝手行動し過ぎであろう。
まあ、それがこのお姫様が民から好かれる一因なのかもしれない。
いや、しかしながら関係者としては厄介極まりないだろ。
そんな俺の嘆きなどこれっぽっちも気にしていないようにクロエが言った。
「あら、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。それよりも調べるぞ」
「そうですね。とりあえず王宮から魔力測定器を持ってきました」
クロエは抱えていた物体を俺の前へと差し出した。
クリスタルのような光沢のある丸い物体だ。
夜空に浮かぶ月光を吸い込むように青白い色をしている。
「これを使うのか?」
「はい。ですが残念ながら……この魔力測定器は単に魔術の痕跡を浮かび上がらせるだけです。どのような魔術がいつ頃行使されたのかはわかりますが、誰の魔力が込められているのかまでは特定できません」
クロエは少し残念そうな声で言った。
手のひらサイズの魔力測定器か。
通常、魔力測定器は据え置きされており単に魔力量だけを測るもののはずだ。
だからどのような魔術が使用されたのかなどの痕跡を探るような特殊な効果はないはずだ。
心眼など使うまでもなく何かしらの特別な魔術が幾重にもこの小さなクリスタルに施されていることは明らかだ。
高位な魔術師によって作られたものに違いない。
さすがに聖遺物ではなさそうだが、王国が保管する国宝として高価なものであることには違いない。
「それで……どうやって使うんだ?」
「ふふ、問題ありません。魔術書で読んだばかりですからね」
……なるほど、庭園でやけに真剣に読んでいたのは、このクリスタルを使用するための魔術書だったわけか。
クロエは静かに頷いてつぶやいた。
「『光よ我らを導き給え』」
クロエの手にしているクリスタルが一瞬青白い光を放った。
———っ、眩しい。
チカチカとする視界が徐々に見えてきた。
クリスタルを中心にして赤い糸のような線が放射状に伸びている。
これが魔力の痕跡なのか……?
幾重にも赤い線が重なっているところがあれば、ほとんど校庭の地面が見える部分もあり、色が薄い所もあれば濃い所もある。
これはまるで人体に組み込まれている血管のようだ。
流石にこのようなやり方で魔力解析をするのは門外漢であるため全く読み取れない。
しかしどうやらクロエには読めるらしい。
酷く真剣な表情で辺りを隅々まで見渡した。
「これが魔術の痕跡なのか」
「そうですね……やはり魔力が暴発するように仕掛けられていたようです」
「ということは、犯人の仕掛けた魔術も消されていなかったということか?」
「ええ、あえて消さなかったのかもしれません」
「ああそうか。自分の痕跡だけを消してしまったら逆にその部分だけ抜け落ちてしまい目立ってしまうから……か?」
「はい、それに加えてこの校庭の全ての魔術の痕跡を消してしまうこともできなかったのでしょ。毎日のように魔術が行使されているはずなのに魔術の痕跡が全く存在しなかったら、やはりそれもおかしいですからね」
「そうだよな……」
「ですが、この魔術式はどこかで――――」
クロエが何かを言いかけた時だった。
背中越しから少し低い声が聞こえた。
「君たち、そこで何をしているのですか?」
「――っ⁉」
いつの間に後ろにいた⁉
黒いローブを羽織ったノノ先生が立っていた。
キツネ目の瞳が細まり、俺とクロエをじっと観察しているようだ。ノノ先生はゆっくりとした足取りで俺たちへと近づいてくる。
クロエへと視線を向けると、すでにクロエはクリスタルへと込めていた魔力を止めたようだ。周囲に現れていた赤い線は無くなっている。
咄嗟とはいえ魔術の痕跡を探っていたことは誤魔化せたのか。
いや、ノノ先生だって一端の魔術教師だ。
魔術の痕跡が浮かび上がっていたことには気がついていたはずだ。
「クロエさん……それに、そちらにいるのは――」
「チューヤ・ベラニラキラです。こんばんは、ノノ先生」
「そうですか……それでお二人はここで何をしていたのですか?生徒はとっくに帰宅している時間のはずですが……?」
「すみません、実は私たちお付き合いをしておりまして——」とクロエは俺へくっついた。
「――なっ⁉」
このお姫様は何を血迷ったことを言っているんだ。
辺境伯の跡取りと一国の王女が付き合っているなど冗談じゃない。
くそ、わざとらしく豊満な胸を押し付けてきやがった。
柔らかい。
……いやいや、こんな馬鹿馬鹿しい作戦は看過できん。
どうにかしてノノ先生に誤解を与えないようにしなければならない。
いやまずはクロエの手を振り払って——
ノノ先生は俺とクロエを交互に見てから言った。
「ほお……興味深いですね。しかし、あなた達の関係性は聞かなかったことにしますので早く帰りなさい」
「いや俺とクロエはそんな関係ではなくて——」
「わかりました……ごきげんよう」
クロエは俺の声を遮った。そしてチラッと俺へと視線を向けて、口元が僅かに動いた。
『うるさいです』
こいつ……いくらなんでも誤魔化し方が雑すぎるだろ?
いくらこの場から逃げることが出来たって、これからどうやって学院生活をしろというのだ。
波風を立てるどころか嵐のような災害を被ることになるだろう。
スキャンダルどころの騒ぎでは済まない。
一国のお姫様が深夜に辺境伯の跡取りと密会していたなどゴシップもいいところだ。
クロエの横顔はひどく真剣な眼差しでノノ先生を見ている。
そして、俺の手を引っ張るようにして回れ右をした。
「お、おい」
「さあこちらへ」とクロエはなぜかノノ先生から急いで離れるように急足だ。引っ張られるようにして俺もその少し後を追う。
「説明をしろ」
「ええ。ですが――」とクロエは急に立ち止まった。そして、俺の腕を離してから来た道を振り返った。
「どうした?」
数十メートルほど離れたところからでもノノ先生がこちらを見守るように立ったままだ。
「おい……クロエ?」
「先生が犯人ですか……」とクロエは小さくつぶやいた。
「は?」
「チューヤ様、騙してしまいごめんなさいっ」
その瞬間、クロエは跳躍の魔術でノノ先生の元へと飛び出した。
「『大地よ、凍れ』!」
いつの間にか展開されていた魔術式が空中に浮かび、そこから冷気が一気に噴き出してノノ先生を襲った。
「ちょ、おい⁉」
おいおい、さっきからお姫様が暴走しているんだが⁉
確かに俺とクロエが深夜に密会していたことがバラされると今後かなりまずい状況になることはわかる。しかし、いくらなんでも口封じのために教師を襲うか普通……。
冷気が校庭に充満し、視界に霧がかかったように不鮮明だ。
先ほど夜空に浮かんでいた月が隠れてしまい暗闇が支配した。
いや待て……クロエが魔術を行使したくらいでこんなにも空気が澱むのはおかしい。
なんだこの違和感……夜風や音がない。
魔術結界によって校庭だけが切り離されているのか。
徐々にノノ先生のシルエットが浮かんだ。
おそらくクロエの魔術によって数メートルほど吹き飛ばされたのだろう。
ボロボロになった身体で起き上がった。
左腕が丸々凍って、地面に張り付いていたが何の躊躇いも見せずに自らの右手で引きちぎった。
赤い血が飛び散った瞬間――先ほどまでと同じように左腕が元通りになった。
そして——嫌な笑みを浮かべた。
「やれやれ教師を襲うとは反抗的で困ったものですね」
「トトノ・ノノ先生……あなたが吸血鬼だったのですね」
「見ればわかるでしょう」
「なぜ私を攫おうとしたのですか」
クロエは今にも次の魔術を行使しようと身構えている。
くっそ、今になってわかってしまった。
クロエのやつ……俺を騙していたのか。
あのクリスタルは魔術の痕跡を辿るような装置なんかではない。
どんな仕掛けなのかはわからないが吸血鬼を誘き寄せるためのものだろう。
初めから穏便にすませる予定などなかったということか。
ノノ先生は、クロエに失望し呆れるような声で言った。
「そうですね……実験でしょうか」
口元には不気味な牙が見える。それに僅かに瞳が赤く――いやオレンジ色に染まっている。
身体からわずかに溢れている魔力の渦。
何か嫌な予感がする。
先ほどから周囲の空気がわずかに薄くなっている。
いや、ヒリヒリとする空気感とでも言えばいいのか。
何かしらの魔術をすでに使用しているのか……?
ノノ先生は、ゆっくりとクロエへと近づいた。
しかしクロエは静かに質問をした。
「なぜルインズ・ディケイズを吸血鬼にしたのですか」
俺はいつでも戦えるように、クロエとノノ先生を注意深く観察しようとした。しかし俺のことなど歯牙にも掛けないようにノノ先生の意識はクロエへと向けられ続けている。
「『なぜ』とはなんですか?ディケイズさんを実験にした理由ですかね。それともクロエ・クレオメドリア王女——あなたを襲わせた理由ですか?」
「答えなさいっ!」
クロエは叫ぶようにして魔術を行使した。
先ほどよりも大量の冷気が一気にノノ先生を襲う。
ノノ先生は静かに立ったまま「また同じ魔術ですか」と言った気がした。
ローブの奥から病的なほど細い腕を前へとかざした瞬間に冷気が雲散霧消した。
「何度も身体が欠損するのは面倒ですね」
ノノ先生はつまらなさそうに答えた。
――魔術式自体を消したのか?
「って、おい、クロエ!突っ立ている場合じゃないだろ!」
俺は咄嗟にクロエのところまで転移して、華奢な身体を抱えた。
校庭の隅へと移動した瞬間――雷撃が校庭の地面を抉るような轟音がした。
土埃が立ち上り、徐々に視界が鮮明になっていく。
ノノ先生の口元が『逃がしませんよ』と僅かに動いた気がした。
俺はクロエの手を握りしめて、物陰を探して走り始めた。
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