第24話 クズは推理する

 

「――チューヤ様」

「……?」

「もう……心配したのですからね?」


 碧眼が俺を覗き込んでいた。

 若干、うるうるとしていた気がしたが気のせいだろう。


 クロエの安堵したようなため息とそれでいて少し怒ったような声色へと変わった。


「お身体は大丈夫ですか?」

「ああ」


 それにしても、いささか思考がぼんやりとする。

 何だかひどく嫌な夢を見ていた気がするが、頭の中に靄がかかったように不鮮明な光景しか思い出せない。


 少し顔を背けただけで、視界の隅に色白い太ももが見えてしまった。


 どうやら膝枕されているらしい。


 いや……そんなことよりも、さすがにこの状況はまずいだろ。


 一国のお姫様に膝枕をしてもらっているなんてところを誰かに見られたりでもしたら俺の人生は完全に詰むだろう。


 身分不相応にもお姫様をたぶらかした罪で、あらぬ犯罪を疑われて、最悪死刑だってありうるかもしれない。


 そう思ったら、俺は身体を上げていた。


「もう少し、このままでもよかったんですよ」


 クロエが小さくそうつぶやいた気がしたが、俺はずっしりとする身体に鞭を打って即座にクロエから離れた。


 周囲を見渡すと、先ほどまで凍りついていたであろう大地は元の草原に戻っている。


 クロエが何かしらの魔術で元の状態に戻したのだろうか。


 そのような回復魔術――例えば、元の状態へと戻してしまうような特殊な魔術が存在するのかどうか判然としない。


 きっと今この場でクロエを問いただしたところで答えてはくれないのだろう。


 それにそのような特殊な魔術の存在は大概面倒ごとに繋がるに違いない。


 これ以上、面倒ごとを背負い込むはごめんだ。


 半ば思考を放棄して、さらに周囲へと視線を向けた。


 上空に満点の星が浮かび上がっている。

 森は先ほどの戦闘がまるで初めから存在しなかったかのようにシーンと静かな暗闇に呑まれている。


 一体全体、俺は何時間眠ってしまっていたのだろうか。


「あの後……どうなった?」

「ルーちゃん、ブラムス君、そしてキーラが駆けつけてくれました。ルインズ・ディケイズが吸血鬼となり私たちを襲ったことまで一通りお話しました……それから多少強引でしたが、三人には先生の元へと報告していただくようにお願いしました」


「そうか」

「はい」

「あーそのなんだ……色々とありがとうな」


「ふふふ」とクロエは口元を隠して笑った。


「な、なぜ笑う⁉」

「ふふ、いえチューヤ様から感謝されるとは思ってもいなかったので……」とクロエはおかしそうに目を細めた。


「っち、そうかよ」

「不貞腐ないでくださいよ?」


「まったく笑っている場合ではないだろ」

「ふふ、そうかもしれませんね。でも、まずはお礼を。ありがとうございました」


 クロエは深くお辞儀をしてから顔を上げた。

 フワッと金色の髪が揺れた。


「まあ、お互い様ということにしておこう」

「チューヤ様がそうおっしゃってくれるのでしたら……」


 クロエは儚げに口元に笑みを浮かべた。

 なんというか……こういう時だけ深窓のご令嬢のように振る舞うのだから困ったものだ。


 ほんと調子が狂う。


 それこそ何かを話し始めないと不意にクロエのことを抱きしめてしまいそうになる。


 とにかく言葉を吐き出さなければならない。


「今回の件についてだが……何かおかしくないか?」


「そ、そうですね……」とクロエは若干うわずった返事をした。チラッと俺から視線を逸らしてから居住まいを正した。クロエは金色に輝く髪の毛先をわずかにくるくると弄び思案し始めた。 


 クロエが思案する時の癖なのかもしれない。

 いつだったか俺の部屋でもそのような仕草をしていたことを思い出した。


 そして数秒ほどで色白く細長い指の動きが止まった。

 若干細められた瞳が俺へと向けられた。


「彼――ルインズ・ディケイズは、四月の時点で確かに人間のはずでした。当然、王宮の鑑定士が隅々まで身元調査を含めて行いました。もちろん普通の人間であるとわかっていたからこそ、護衛として採用しました。しかしそれがいつの間にか吸血鬼化するなんて……まるで後発的に身体が変化してしまったとでも言えば良いのでしょうか」


 確かにルインズがなぜ急に吸血鬼と化したのか、その理由は不明だ。


 それはきっとルインズを吸血鬼にさせるように唆した犯人がいたはずだからだろう。


 王宮お抱えの騎士候補として学院に入学できるほどの実力者。

 そんな人物が自らの将来性を捨ててまで吸血鬼になるなど到底考えられない。


 いや……ルインズが自ら吸血鬼になりたいと願う別の目的を持っていたのかもしれない。


 それこそ例えば不老不死――永遠の命が欲しかったとかな……。


 いずれにしても普通の人間が自然発生的に吸血鬼に変化してしまうなどという身体の変化がおこならないことだけは、はっきりとしている。


 それに吸血鬼になる病気の類なんてものも聞いたことがない。


 そもそも通常、吸血鬼になるためには吸血鬼の血族——従者か吸血鬼を喰うことで血を取り入れるしかないが、圧倒的に強者である吸血鬼が単なる人間相手に負けるはずがない。


 と言うことはもう一つの方法がおそらく最も考えられることか。


 吸血鬼から直接、吸血行動をされた場合だ。

 ただし単に食事として血を吸われるだけでは吸血鬼化することはない。


 吸血鬼に認められ血を分け与えられることで初めて吸血鬼の眷属となることができる。


 吸血鬼になり、その上で眷属となった吸血鬼よりも格上の吸血鬼の血を吸うことで眷属から解放される。あるいは主人である吸血鬼を倒す――殺すしか方法はないはずだ。


 しかしルインズの場合は、そのどれにも当てはまらない。


 理性をコントロールできない状態だった。

 そう、吸血鬼化に失敗していた。


 ルインズの主人が中途半端に血を与えたからに違いない。


 どのような意図があり、なぜ自らの眷属を中途半端な状態で放置したのか。

 その理由は判然としないが、明らかに異常なことだけは言える。


「おそらく……クロエ――お前を襲おうとした犯人は別にいる可能性が高そうだな」

「そうですよね。中途半端な吸血鬼へと姿へとなってしまう場合、吸血行動の際に、明らかに意図的に吸血鬼化を途中で止めた黒幕がいるはずです」


 それから俺たち二人の間は、静寂に包まれた。


 時々夜風によって木々がゆらゆらと揺れた。


 それにしたって先生が到着するまでもう少し時間がかかるのだろうか。

 

 そんなことを考えていないと、やはり俺はクロエのことを抱きしめてしまいそうになる。

 

 何かを思考していないと誤魔化せそうにないな……。


 いや、何を血迷ったことを考えているんだ。

 

 とにかく先生、とっとと来てくれ。

 強くそう思った。

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