第23話 クズの思い出しくもない追憶


 夢を見ているのだとすぐに気がついた。


 そう、これはまだ学院へ入学する前の記憶。

 ベラニラキラ家の領地に隣接する深い森——通称『眠りの森』。

 その森の入り口へと歩いて向かっている時だ。


「チューヤ、待ってよっ!」

「……ヘラが遅すぎるんだろ?」

「でも……セバスが『森に入ってはいけない』って言っているんだもん」

「だいじょうぶ!オレがヘラのことまで守ってやるから、安心しろ!」

「うん……」


 ヘラはスカートを翻して駆け寄ってきた。

 そして「……ん」と言って小さな手を差し出してきた。


 オレはヘラの手を握りしめた。


「えへへ、これで安心だね」とヘラは照れくさそうに笑った。


 あの時、恥ずかしくて誤魔化すように言ったんだ。


「は、はやく行くぞっ!」

「うん!」


 オレはヘラを引っ張るように森へと足を踏み入れた。


 そうだ。この後、初めてヘラが吸血鬼の末裔であることを知った。


 それまでは近所に住んでいる裕福な領民だと思っていた。

 気弱で真面目でそれでいてかわいい普通の女の子。


 そうだと思っていたんだが……そうではなかった。


 庭園を散歩するかのようにいろとりどりのな花や様々な虫を見つけて、二人で森を散策していた。


「チューヤ……ちょっとこの森、さっきよりも暗くない?」

「た、確かに……とりあえず引き返そうぜ」

「うん!」


 ヘラの屈託のない笑顔がオレを照らした。

 だから、いつの間にか領地内から遠く離れてしまっていたことなんて、すぐに忘れて引き返し始めた。


 

 でも、そんなに都合よく森から抜け出せるわけもなく……魔獣に遭遇した。


 もうダメかと思った。

 短剣は持って来ていたが、明らかに通用しないほどの巨体な蛇。


 子どもの俺たちなんて簡単に丸呑みできてしまうほどの双頭の蛇。


 ああ、そうだ。

 あの時、震える右手で短剣を握りしめて、なんとか立っていることで精一杯だったんだ。


「だ、大丈夫だから……ヘラは、オレの後ろにいてくれ」

「でも——」


 でも、オレのそんなちっぽけな意思なんて意味がなかった。

 双頭の蛇の大きな口がオレたちに迫ってきた。

 毒々しい色をした八重歯から液が垂れて、プシューという音を立てて地面を焦がす。


 あの時のオレはただ突っ立っていることしかできなかった。

 

 その時——ヘラの魅了が発動した。

 

「やめてっ!」


 威圧的な魔力が隣から発生し周囲を覆った。


 気がついて時には、一切の音が聞こえなくなっていた。

 蛇は死んでいるのか生きているのかわからないほどに固まっていた。

 不気味な雰囲気を纏い、動かない。


 ヘラを見ると、普段は茶色だった瞳の色が真っ赤に染まっていた。


「これ……ヘラがやったのか?」

「……チューヤ、ごめんね」


 ヘラはなぜかあやまった。

 その後、オレたちはお互いに繋いだ手を離さぬようにぎゅっと握りしめて帰った。


 もちろん父上にこっぴどく叱られた。


 その時に初めて……ヘラの正体が吸血鬼であることについて聞かされた。


 すぐに場面が反転した。

 逢魔時――日が暮れ、灰色の空が支配していた。


 一見するとボロボロと今にも崩れ落ちそうな見た目の廃城が目の前にある。


 記憶の中の俺は躊躇うことなく、敷地内へと足を踏み入れた。


 その瞬間、幻影魔術が解けた。


 城壁が今でも崩れ落ちそうだった古城の外観は、煌びやかな白色に塗られた装飾へと変化した。


 自動的にガタンと門が開いた。


 歩幅を緩めることなく、オレは歩き続ける。

 

 色とりどりの花が植えられた庭園を歩いていくと重圧感のある扉へと辿り着いた。


 取手に触れようとして手を伸ばして——扉がギューと歪な音とともに自動的に開いた。

 

 白銀に輝くシャンデリアが吹き抜けに吊るされるように天井に配置されている。


 真っ赤な絨毯が地面に敷かれ、大理石でつくられた壁にはどこかの偉い画家が描いたであろう絵画が掛けられていた。

 

 絨毯に沿って廊下を進むと突き当たりにスタンドクラスがある。

 そこを右に曲がると――無数のドアがある。

 そのうち中央に配置されているドアを開くと寝室につながっている。


 目印は、ドアの向かい側にスタンドグラスが配置されていることだ。


 ノックせずに、オレは扉を開けた。


 部屋の中央が視界に入る。

 人が四人ほど寝ることができそうな天蓋のついた特大のベッドが置かれている。

 ふさふさとするベッドから腰を上げて、ヘラは俺へと振り向くことなく言った。


「ごめんね、チューヤ。私たちの血族に受け継げられる『心眼』なのに——チューヤに背負わせることになってしまって」


「オレなら大丈夫だから……だから……ヘラ、そんな悲しい顔をしないでくれ」


「でも、チューヤ……」


「そもそもヘラが気にすることではないだろ?ベラニラキラ家に適合者が現れたら『心眼』を授ける。その代わりにベラニラキラ家の収める領内で先の大戦の生き残りの吸血鬼たちを未来永劫守り続ける――それが今は亡き爺さんとヘラの親父さんとの契約なんだろ?」


「そうだけれど……」


「だったらヘラが気にすることなんて何もないだろ?」


「でも……人間に心眼を授けるなんて――万が一暴走でもしてしまったら……」


 ヘラは何かを言い淀んで俯いてしまった。


 ヘラのことだ。きっと現状を変えることなんてできないことは十分にわかっているはずだ。


 しかしそれをなんとか覆したくて、その方法を考えているのだろう。


 それでも——ヘラの悲しむ顔を見たくない。


「だったら、その万が一の暴走が起きた時にヘラがオレのことを助けてくれよ?」


「……え?」


「だから、オレに万が一のことがあったらヘラがなんとかしてくれ。なんて言っても吸血鬼の真祖なんだろ?人間一人の命を永らえることくらいは朝飯前だろ?」


「……チューヤ」


「うん、そうだな。ヘラがずっとオレのそばにいてくれて責任をとれば問題ないだろ?」


「もう……普通、責任を取るのは男の子なんじゃないのかな」


 ヘラは儚げに微笑んだ。


「もしも……この先、私が一緒にいることができなくなったらどうするつもりなの?」


「それは……いや、そんなこと考えられないな」


「じゃあ、想像してみてよ?」


「そうだな……どこかの貴族と結婚して普通に領地を維持しながら暮らすんじゃないか?……いや、やっぱり領地経営は面倒そうだから、そこら辺は任せたいな」


「もー奥さんにだけ領地経営を任せるなんて……不甲斐ない夫だなー」


 口をわずかにプクッと膨らませて揶揄うような声をあげた。そしてすぐに「ふふふ、でもチューヤだったらすぐにでもいい人が見つかりそうだよね」とかき消えそうな声で呟いた。


「あー……どうだろう?やっぱりお前がいない生活は考えられないわ」


「チューヤ……そんなこと簡単に言わないでよ」


「いや、別に簡単に言ったわけじゃないが――」


 ヘラはオレの名前をつぶやき近づいてきた。

 真紅の長い髪が絡みつくようにオレを包み、真っ赤な唇から鋭利な歯が覗かせる。少し悲しげな表情で——オレの首筋に噛み付いた。


 少しちくりとしたかと思ったらすぐに快楽がオレの意識を襲った。


 血だけじゃなくて、他の何かが徐々に抜かれていく感覚はあるが、それでもこの快楽にずっと身を任せてしまってもよいように思えた。


 ヘラの華奢な身体を抱きしめようとして——ヘラの温もりが離れた。


 赤い瞳にはわずかに涙で潤んでいた。

 真っ赤に染まった口元から血液が流れ落ちた。


「ごめんね……これ以上吸ったら、私――」

「……」

「チューヤのこと欲しくなってしまうから」


 ヘラは今にも消えてなくなってしまいそうに儚げに微笑んだ。

 

 どうすることもできなくて、ただ離れていくヘラの後ろ姿を見ていることしかできなかった。



 そしてさらに場面が反転した。


「セバス!なぜヘラを結果の中に封印した⁉」


「チューヤ様……これは国王からの命令です。それゆえに、ベラニラキラ家当主であるジョーヤ様が許可をしたことでもあります」


「王国にバレたのか⁉︎いや、父上がそんな馬鹿な命令を支持したのかよっ」


「チューヤ様……これは、ヘラ様のご意志でもあります」


 セバスは黒い瞳をまっすぐとオレから逸らすことなく言った。

 すでに決まりきったルーチンでもこなす感情のない声だ。


 あの時のオレはやけに冷静なセバスに腹が立っていた。


「うざけるなっ!ヘラは一生その結界内から出ることができないんだぞっ!悠久の時――時間の止まった結界内で孤独に過ごすことになるんだ……それを自分の意思で望むわけがないだろうが!お前だって吸血鬼の一族なのだから一生孤独で生きることのつらさをわかるだろ」


「チューヤ様……」


 セバスは何かを言いかけたが、結局、何も言い返さなかった。


 ふざけるな。

 こんなことが許されていいわけがない。

 

 何が人柱だ。

 何が生贄だ。


 そんな自己犠牲でベラニラキラ領内に生き残った吸血鬼たちを全員——人間へと戻すなんてそんな禁忌の魔術が成功しても意味がないだろう。


 本当に吸血鬼たちがそんなこと望んでいるわけないだろ。


 先の大戦で吸血鬼を守り続けた真祖である族長の一人娘を生贄にしてまで吸血鬼たちは——自分たちが助かることを望んでいるとでもいうのか。


 そんな薄情な奴らしか生き残った吸血鬼――いや今は人間となったやつしかいないとでも言うのかよ。


 いつの間にか駆け寄ってきたマリア姉がオレを抱きしめた。


 耳元で今にでも泣きそうな声で、それでいて駄々をこねる幼い子どもに言い聞かせるように優しく言った。


「ごめんね、チューヤ君。お姉ちゃんにもっと力があれば別の方法もあったのかもしれないけど……今は、この方法しか思いつかなかったの」


 六芒星の魔法陣が輝き、真っ赤な結界の中で微笑むように眠るヘラの姿。


 どこからかゼンマイ仕掛けの時計のように秒針がカチカチと鳴る音が聞こえた。


 その瞬間、視界が真っ白く覆われた。

 何かに引っ張れるようにして意識が表層へと戻される感覚だ。


 その時、ヘラの優しい声が聞こえた気がした。


『チューヤ……こんな記憶の中にいてはダメ。さあ、早く戻って』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る